参謀 Volume 2 [PDF]

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文 春 文 庫



児 島 襄 し17







I











謀 下 1 目次







ル ジ



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ニ― '



シ ャ ル



ニ ン グ



1



參 マ ー



, 力



. シ コ ミ ッ ト



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69



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八 ウ



5 17 30 43 83



56 96 149 136 123 110 174



ハ ン ス ,シュパイデル 5



——



ハ ン ス .シュパイデル



ド イ ツ 国 防 軍 陸 軍 中 将 .哲 学 博 士 ハ ン ス .シ ュ パ イ デ ル 。



こ の 名前は、第 二 次 大 戦 史 に 欠 か せ な い 、 と い われる。そ し て 、 シュパイデル中将が有名なの



が 、 シ ュ パ イ デ ル 中 将 が ロ ン メ ル 元 帥 の 參 謀 長 に な っ た の は 、 一 九 四 四 年 四 月 末 で あ る 。 すで



は 、 "砂 漠 の キ ツ ネ =,0ン メ ル 元 帥 の 參 謀 長 と し て で あ る 。



にロンメル元帥の声名は高く、それまでに元帥が示した戦歴の中に、 シュパイデル中将の姿はな



だ か ら 、 シ ュ パ イ デ ル 中 将 に と っ て も 、参 謀 長 と し て の さ え た 手 腕 を ふ る ぅ 機 会 は 乏 し か っ た



い。 そ の 後 の 0ン メ ル 元 帥 は 、 む し ろ 、 過 去 の 栄 光 を 背 負 っ て 、 斜 陽 の ド イ ツ 帝 国 と 重 い 運 命 の 歩みをはこんだだけであり、きわだった戦勝も、用兵の妙も記録していない。



わ け だ が 、 そ れ で も 、 シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、 「ロ ン メ ル の 名 参 謀 長 」 と し て 喧 伝 さ れ て い る — なぜか?



参 謀 長 は 指 揮 官 の 最 高 の 補 佐 役 で あ る 。 と き に 、指 揮 官 を 夫 、 参 謀 長 を 妻 に た と え る の も 、 そ



シュパイデル



ースを



ロンメル



元帥の運命に影響する特異な幕僚ぶりをつとめたので



すすむが、その間、



中将のように哲学博士は少なく、



大 学 で 哲 学 と 歴 史 を 学 び 、 一九二五



シュパイデル



チュービンゲン



中 将 は 、十 七 歳 で 第 一 次 大 戦 に 參 加 し た 。戦 後 も 陸 軍 に 残 り 、 やがて陸軍 大 学 校



中 将 も ま た 、指 揮 官



の 密 接 な 関 係 に よ る 。 そ し て 、夫 婦 の 間 柄 で は 、 し ば し ば 妻 が 夫 の 将 来 を リ ー ド す る が 、參 謀 長



ある。 シュパイデル



を卒業して參謀コ



博 士 号 を も つ 軍 人 は 、東 西 古 今 に 例 は あ る が 、



年 二 月 、, 哲学博士の学位をうけた。



はしばしば



メガネ



を か け た 風 貌 は 、 一見、



鳥の中の〃賢者" の扱いをうけるが、







フク



中将の



想わせる。 シュパイデル



フクロゥを



し か も 、 第 二 次 大 戦 後 、 母 校 チ ュ ー ビ ン ゲ ン 大 学 の 哲 学 科 主 任 教 授 と な っ た 中 将 の 如 く 、 「ブ ロ



ガで



中将の写真をみると、



軍人兼プロの学者」 という例は、さらに少ない。 シュパイデル ロゥは、 子 ど も マ ン



ふさわしい



評 言 だ が 、同 時に、參 謀



として



最も適切な



年 将 校 時 代 の 考 課 表 の 記 述 は 、 ふ し ぎ な ほ ど 一致して変わらず、 次 の よ う な 文 宇 が な ら ん で い た 。 「正 確 な 判 断 .. す ぐ れ た 分 析 力.. イ ン デ ッ ク ス . ヵ ー ド .に 似 た 記 . 憶. 力慎 ま し い 人 間 味 と



もの静かで思慮深い哲学者に



. . 」



ま さ し く 、



ユーモア



資 質 の 表 現 で も あ る 。 シュパイデル中将は、有 能 な 幕 僚 と 認 め ら れ 、出 世 し た 。



ハ ン ス ,シュパイデル 7



その判断は考課表のごとく、 つねに正確を称えられたが、ただ一度、 シュパイデル中将は判断 を誤ったことがある。



シュパイデル



中将は即座に ベルリンに



報告した。



一九三三年、 少 佐 の と き 、 パ リ 駐 在 武 官 補 佐 官 に な っ た が 、 一 九 三 七 年 の フ ラ ン ス 陸 軍 大 演 習



「フ ラ ン ス 陸 軍 は 、 近 代 的 攻 撃 力 に 欠 け て い る 。 た だ し 、 攻 撃 さ れ た 場 合 、 将 軍 た ち は 最 後 ま で



を見学すると、



しかし、 この判断は完全にまちがっていた、とシュパイデル中将は、回想する。



戦ぅ決意をもっている」



「ド イ ツ 軍 に と っ て 幸 福 だ っ た か 、 フ ラ ン ス 軍 に と っ て 不 幸 だ っ た か 、 そ れ と も フ ラ ン ス 兵 に と



って幸福であり、 ド イ ツ 軍 に と っ て も の 足 り ず に 不 幸 だ っ た か は わ か ら な い が 、 とにかくドイツ



フランス



ロンメル



占 領 軍 參 謀 長 、第 五 軍 參 謀 長 、







元帥の參謀



イタリア



軍 が フ ラ ン ス 国 境 を こ え る と 、 フ ラ ン ス の 将 軍 た ち は 、最 後 ま で 戦 え と い ぅ 命 令 は 一 度 も だ さ な



シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、第 九 軍 団 作 戦 參 謀 、



かった」



八 軍 参 謀 長 な ど を 歴 任 し て 、前 述 の 如 く 、 一九四四年四月、中 将 に 昇 進 し て 長に就任した。 四十七歳である。



ロ ン メ ル 元 帥 は オ ラ ン ダ 方 面 ド イ ツ 軍 総 司 ム 卫 目 とし て 、 時 間 の 問 題 と み ら れ る 連 合 軍 上 陸 作 戦 の阻止を命ぜられていた。



元帥が



シュパイデル はたして



中将は、 どのような



ロンメル あり、



補佐をすれば



よいのか、



チ ヱ



確信は



もて



ックしても



中将には、中将なりの考えがあった。



ど のような



シュパイデル



自分が



元帥の経歴も性格も、十分に知っていたが、元帥に会うまでは、



指揮官で



参 謀 、とくに參謀長という職務について、



なかった。



あ る が 、参 謀 長 に は な い 。



「參 謀 と 参 謀 長 と は ち が う 。 參 謀 は ま ち が い を お か し て も 、 參 謀 長 と い う 関 門 で ら う チ ャ ン ス が



あり、



その參考意見の



参 謀 長 の 失 策 は 、 そ の ま ま 指 揮 官 の 過 ち と な り 、 全 部 隊 に 影 響 が お よ ぶ 。 こ れ は 、參 謀 ま か せ かの參考意見を必要とするもので



指揮官についても、あてはまる。



な に が し



るタイブの



指 揮 官 で も 、結 局 は



せばめ れ ば せ ば め る ほ ど 、参 謀 に 接 触 せ ず と も 、参 謀 長の声を耳にする機会は捨てられな



そういう



に し ないで、自 分 で 決 断 す



ヮクを



だが 、 な かには、參 謀 長 の 意 見 も 聞 き た が ら な い 指 揮 官 が い る 。 こ の よ う な 指揮官の下では、



いはずだからだ。



ロンメル



シュパイデル



元帥は手間がかかる



あ る か ど う か に 、不 中将は強い感動をうけて



ボスで



參 謀 長 は 、 む し ろ 、積 極 的 に 指 揮 官 に 面 会 を 求 め ね ば な ら な い し 、 報 告 書 も 不 必 要 に 分 厚 く し て 、 中将としては、



読むよりも話を聞くほうが早い、という気持ちにさせねばならない」 つまり、 シュパイデル



深呼吸した。



安があったわけだが、最初の打ちあわせがすんだとたん、



「幕 僚 に と っ て 最 大 の 喜 び は 、 自 分 ょ り す ぐ れ た 指 揮 官 に 仕 え る こ と で あ る 。 私 は 、 元 帥 に 会 っ



の 配 置 、 能 力 に か ん す る 数 宇 を 、 楽 観 的 な 面 と 悲 観 的 な 面 と に わ け て 、 な ら べ て 報 告 し た 。 する



て 、 そ の 喜 び を 感 じ た 。 私 は 、 自 分 の 思 想 、 判 断 、推 理 は い っ さ い 述 べ ず 、 參 謀 か ら 聞 い た 部 隊



シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、 北 部 フ ラ ン ス か ら オ ラ ン ダ に 至 る ロ ン メ ル 軍 の 守 備 に つ い て 、主 に 部 隊



と 元 帥 は 直 ち に 、論 理 と 結 論 を み ち び き だ し た 」



配 置 を 説 明 し た の だ が 、 ロンメル元帥は、各 部 隊 の 展 開 能 カ の 不 備 と 補 給 不 足 に 注 目 し て 、 上陸 連合軍の撃破は不可能だ、 と結論したのである。



静 か に 、 しかし、きっぱりといいきるロンメル元帥にむかって、 シュパイデル中将は姿勢を正



「血 を 流 す こ と は で き る 。 し か し 、 そ れ だ け の 戦 争 は 無 意 味 だ 」



した。



シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、哲 学 者 で あ る 。 人 間 の 運 命 、社 会 の 運 命 と い っ た こ と に つ い て 考 え る 。 ロンメル元帥は、軍 事 関 係 の 書 物 以 外 は い っ さ い 手 に し な い 。教 養 と い ぅ 点 で は 、 至って幅がせ







元参謀総長 、















. ペ







大 ク 将ら反ヒトラー派と連絡を



















ヒトラー総



見定め、 ス ツ ッ ト ガ ル ト 市 長 力 ー















ま い が 、部 下 を 想 い 、 国 家 の 前 途 を 想 ぅ ま じ め な 気 持 ち の 持 ち 主 で あ る こ と は 、 シ ュ パ イ デ ル 中



0丨



統の失脚と対連合軍和平工作にかんする謀議をつづけていた。



ル .シ ュ ト



シュベイデル中将は、 かねてドイツの敗北が必至で



^ 将に述べたひとことで理解できる。



\







^







9



10



「私 は 、 元 帥 が ド イ ツ の 運 命 を 変 え 得 る 存 在 で あ る こ と に 気 づ い た 。 む ろ ん 、 元 帥 は 生 粋 の 軍 人 だ。 政 治 的 謀 略 に は 不 向 き だ 。 私 自 身 に も 自 信 は な い 。 しか し 、 も し 元 帥 がドイツ国民とドイツ 国 防 軍 の 名 誉 の た め に 決 起 す る な ら 、 私 は 參 謀 長 と し て 最 後 ま で 元 帥 を 補 佐 し 、守 る 覚 悟 を き め



シ ュ パ イ デル中将は、 ソ連軍に 対 抗 す る 東 部 戦 線 の ド イ ツ 軍 の 事 情 、同盟国であるイタリア軍



た」



の 能 力 、 連 合 軍 の 兵 力 と 装 備 に か ん す る 情 報 な ど を 、意 見 な し に ロ ン メ ル 元 帥 に 提 示 し た 。



元 帥 に と っ て も 、そ れ ら の 情 報 は 承 知 ず み で あ る 。 次 々 に ド イ ツ 軍 に 不 利 な 判 断 と 結 論 が 出 さ



トラー



ナチス



総 統 を 辞 職 さ せ 、代 わ り に ロ ン メ ル 元 帥 を 大 統 領 に し て 、 連 合 国 と 和 平 す る 計 画 を う



ロ ン メ ル 元 帥 は 、 び っ く り し た 。 じ つ は 、 シ ュ ト ロ ー リ ン 市 長 は 則4年 の 八 月 に 、 ロ ン メ ル 元 帥 批 判 の 文 書 を 送 っ て き た 。 さ ら に ニ か 月 前 の 二 月 終 わ り 、 元 帥 の 自 宅 を 訪 ね 、 はっきり



トロ—リン市長の名前が出た。



れ 、 話 題 は 自 然 と ド イ ツ の 将 来 に 移 っ て い っ た 。 シ ュ パ イ デ ル 中 将 の ロ か ら 、 ベック大将やシュ



に とヒ



元 帥 は 、考 慮 す る 日 を 答 え て そ れ 以 上 の 会 談 は 中 止 し た が 、 シ ュ パ イ デ ル 中 将 か ら シ 市 長 の 名 前 を 聞 き 、 反 ヒ ト ラ ー工 作 の 範 囲 が 意 外 に 広 い こ と と 、 シ ュ パ イ デ ル 中将



ちあけていた。 ロンメル



ュトローリン



のょうな優秀将校が參画していることに、強い印象をうけた。



^



'一



シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、 ロ ン メ ル 元 帥 に 「ニ 頭 の 馬 に の っ て ほ し い 」 と 、 提 案 し た 。 軍 人 と し て の任務をはたしながら、 ヒトラー失脚をはかれ、 というのである。



和平を求めるチャンスは、連合軍の. ョーロッパ上陸のときである。ゆ えに、連 合 軍の上陸



中 将 は 、説 明 し た 。 ——



——



しかし、 ロンメル軍は敵上陸軍を撃滅する任務を与えられている。ゆえに、 あらゆる戦術



は成功せねばならない。



——



だ が 、 い か に 努 力 し て も 敵 は 阻 止 で き な い の だ か ら 、敵 が 上 陸 し た ら 、 ロンメル元帥はま



を駆使して任務の達成をはからねばならない。



ロ ン メ ル 元 帥 の 忠 誠 を 疑 わ せ な い よ う 、綿 密 な 作 戦 計 画 を 立 案 し 、 か つ 実 施 す る 。



ず ヒ ト ラ ー 総 統 に 抗 戦 の 無 理 を な っ と く さ せ る よ う つ と め る 。 シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、 いささかも



「ヒ ト ラ ー に 敗 北 を 認 め さ せ る こ と は で き な い だ ろ う 。 私 は 、 彼 を 知 っ て い る 。 彼 は 、 敗 北 と わ



い る 限 り は 、戦 い つ づ け る に ち が い な い 」



か っ て も 、辞 職 も 自 殺 も せ ず 、 ド イ ツ 国 民 の こ と な ど は 考 え ず に 、 ドイツに一軒でも家が残って



五 月 二 十 七 日 、 シ ュ パ イ デ ル 中 将 の 家 に 〃 同 志 " が 集 ま り 、 い ざ と い う と き は 、 ロンメル元帥



' ハ ロ ン メ ル 元 帥 の 言 葉 に 、 シ ュ パ イ デ ル 中 将 は う な ず い た 。 そ の 予 感 は "同 志 " た ち も 共 有 し て ス い る 。 ヒ ト ラ —総 統 が 承 知 せ ぬ と き は 、暗 殺 す る こ と に な る だ ろ う … …。 ハ



が全ドイツ軍に命令すべきだ、 と決議した。



11



12



六月六日、 ノルマンディに連合軍が上陸を開始すると、 シュパイデル中将は必死の防戦につと め た が 、予 想 ど お り 、 ド イ ツ 軍 は 敗 退 を つ づ け た 。 シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、淡 々 と ド イ ツ 軍 の 悲 況







( 0ン メ ル 〕 軍 が う け た 損 害 は 、 十 万 八 十 九 人 に 達 し た 。 わ が 軍



をあらわす数宇に満ちた報告書を、 ヒトラー総統大本営に送った。 「六 月 六 日 か ら 七 日 ま で に わ が



は、 敵 を く い 止 め る た め に 全 力 を つ く し つ つ あ り 」



七月十五日、 シュパイデル中将は、 ロンメル元帥の名前で西部方面軍総司令官ギュンタ1



「ノ ル マ ン デ ィ 戦 線 の 状 況 は 、 日 毎 に 困 難 を 増 し 、 急 速 に 危 機 に 近 づ き つ つ あ る 」



ォ ン .ク ル ー ゲ 元 帥 に 手 紙 を 書 き 、 そ れ を ヒ ト ラ ー 総 統 に 伝 達 し て く れ る よ う 、 依 頼 し た 。



シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、連 合 軍 の 火 力 と 装 甲 の 圧 倒 的 優 勢 に た い し て 、 ドイツ側の 損 害 と 補 充 不 足 、 新 編 制 師 団 の 未 熟 、装 備 不 十 分 、 鉄 道 お よ び 道 路 破 壊 に よ る 補 給 困 難 、 弾 薬 の 不 足 と 兵 員 の 疲 労 な ど 、味 方 に 不 利 な 条 件 を 明 示 し て 、次 の よ う に 結 論 を し た 。 「こ の よ う な 状 況 で は 、 敵 は 容 易 に 、 と く に 第 七 軍 地 区 の 前 線 を 突 破 し て フ ラ ン ス に 進 入 す る で あ ろ う 。 こ の 敵 の 突 進 を 阻 止 す べ き 機 甲 部 隊 は な く 、空 車 の 姿 も ほ と ん ど 戦 場 に 見 な い 。 わが5



中将と



ロンメル



元帥は、 ヒトラー総統が、



その



手紙を見ても敗北をなつとくする



は英雄的な戦いをつづけている。 しかし、 いかに戦っても、 この不公平な戦いの終末は目にみえ



シュパイデル



ている」



ハ ン ス ,シュパイデル 13



と は 思 わ な か っ た 。 ま た 、 フ ォ ン .ク ル ー ゲ 元 帥 が 、 総 統 に 手 紙 を 伝 達 し て く れ る か ど う か に つ



「し か し 、 私 は ひ と つ の 芽 が め ば え る の を 期 待 し た 。 ド イ ツ 国 防 軍 の 中 に も 、 狂 信 的 な ナ チ ス 主



いても、自 信 は な か っ た 。



義 者 は い る 。 し かし、軍 人 と し て の 冷 静 な 判 断 の 持 ち 主 も 少 な く な い 。そ の よ う な 将 校 に は 、 最



クルーゲ



元帥は、 シュパイデル



中将の予測



ロンメル



はらっても



現陣地を死守せ







トラー



総統に



ロンメル



書簡は届けなかっ



貴 下 の 命 令 を う け た 。 だが 、そ



ような



元帥の判断は正しい、 と認めた。



よ、 という



元 帥 の 手 紙 を う け と っ た 五 週 間 後 、自 ら ヒ ト ラ ー 総 統 に 次 の



ロンメル



ど お り 、



高 の 声 望 を も つ ロ ン メ ル 元 帥 の 情 勢 判 断 は 、強 い影響力を持つにちがいない。 クルーゲ元帥に期 待 し た の も 、そ う い う 心 情 的 シ ン パ の 地 位 で あ っ た 」



して、元 帥 は 、



た が 、部 下 の 指 揮 官 た ち を 集 め て 協 議 し た 結 果 、



「本 官 は 、 い か な る 代 償 を



意 見 を 具 申 し て 、自 決 し た 。



の 代 償 が 、 ゆ っ く り 、 し か し 確 実 な 部 下 の 死 で あ る こ と を 知 っ て か ら は 、将 来 に た い す る 希 望 を



元帥は、



シュパイデル



中将が見定めたとおりの誠実な軍人であった。 ヒトラ



ー総 統 あ



失 っ た … … 本 官 は 、 あ え て こ の 事 態 を 貴 下 に 報 告 す る の が 、責 任 あ る 指 揮 官 と し て の 義 務 で あ る



クル—ゲ



と信ずる」



て の 書 簡 の 中 で は ふ れ て い な か っ た が 、親 衛 隊 師 団 が 、 一人のドイツ軍将校が殺された報復に一



村の男女全員を教会にとじこめて焼殺するなど、明らかに武力の崩壊よりもドイツ軍が軍紀の崩



14



も、



死はせまっていた。



シュパイデル



壊をみせはじめた事態に絶望して、自殺したのである。



元帥に



そのころ。



ロンメル



——



中将がクルー



ゲ元帥に手紙を送った五日



ロ ン メ ル 元 帥 は 、 七 月 十 七 日 、前 線 視 察 中 に 銃 撃 を う け て 負 傷 し 、 自 宅 で 療 養 し て い た 。



後 、 ヒ ト ラ ー 総 統 を 小 型 爆 弾 で 暗 殺 す る 計 画 は 失 敗 し 、 次 々 に "同 志 " は 逮 捕 さ れ て い た 。



九 月 五 日 、 シュパイデル中将はロンメル軍參謀長を解任され、 ベルリンに出頭せよとの指示を



は 、 翌 日 、 九 月 六 日 、 ロ ン メ ル 元 帥 を 訪 ね て 、 "注 意 さ れ た い " と 注 意 し た 。 そ し て 、 元 帥 に 注



うけた。 むろん、 ヒトラー暗殺計画にかんする喚問であることは明白である。 シュパイデル中将



「閣 下 、 た ぶ ん 、 こ れ か ら 参 謀 長 と し て の 私 の 最 後 の 勤 め が は じ ま る と 思 い ま す 」



目 し て 敬 礼 す る と 、 いった。



ンメル元帥は、 け げ ん そ う にまばたきして説明を求める風情であったが、 シュパイデル中将 〇 は、 そ の ま ま 、微 笑 し て 敬 礼 す る と 、部 屋 を 出 た 。



刑務所に収容された。



シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、 九 月 七 日 午 前 六 時 、 朝 食 前 に 訪 れ た 親 衛 隊 将 校 に 逮 捕 さ れ 、 ベルリンの ブ リ ン ツ . ア ル ブ レ ヒ ト 街 の 秘 密警察( ゲシュタポ)



元帥の名前も



ある。



だが実際には、



ロンメル



元帥は



どこまで



計画に



タッチし



秘 密 警 察 は 、訊 問 し た 。 シ ュ パ イ デ ル 中 将 の 名 前 は 、 ヒトラー暗殺計画グル ー ブ の 記 録 に も の っている。 ロンメル



ハ ン ス ,シュパイデル 15



ていたのか?



シュパイデル



中 将 は 哲 学 者 の 冷 静 さ と 、銳 い 頭 脳 と 、 な に よ り も 機 敏 な 反 応 と で 、 秘 密



拷 問 は 、 さ す が に 加 え ら れ な か っ た が 、 連 日 、夜 と な く 昼 と な く 、 シ ュ パ イ デ ル 中 将 は せ め ら



だが、



れた。



警察の訊問をはねかえした。



「私 は 、 ど の よ う な 場 合 に も 、 感 情 を お さ え 、 ひ た す ら 事 実 だ け を し ゃ べ っ た 。 解 説 も し た 。 説



明 も し た 。 し か し 、 そ れ は 相 手 を 説 得 す る た め と い う よ り も 、 事 実 は こ れ 以 外 に な い 、 となっと



中 将 は 、 油 断 な い 作 戦 で こ の "舌 戦 〃 に 勝 利 を お さ め た 。



中 将 と 秘 密 警 察 と の 闘 い に は 、戦 車 も 歩 兵 も な い 。武 器 は 、 ただ言葉だけであっ



よいし、利口だと信ずるようになった」



く さ せ る 形 を と っ た 。 そ の た め 、訊 問 者 た ち は 、 し だ い に 、自 分 た ち よ り も 私 の ほ う が 記 憶 力 が



シュパイデル



元 帥 は 、 一九四四年七 月 二 十 日 の 事 件 に つ い て 、具 体 的 行 動 を と る こ と は ま っ た く 不



シュパイデル



「ロ ン メ ル



たが、



可能であった」



ロンメル



元 帥 の 最 期 は 、 よ く 知 ら れ て い る 。 十 月 十 四 日 、 自 動 車 で 連 れ だ さ れ た 元 帥 は 、自決



と 、約 三 週 間 の 訊 問 の の ち 、 秘 密 警 察 は 報 告 書 に 記 述 せ ざ る を 得 な か っ た か ら で あ る 。



れた毒薬を飲んで死んだ。



す る な ら 国 葬 に す る 、 い や な ら 人 民 裁 判 に か け て 家 族 の 安 全 も 保 証 で き な い 、 と い わ れ 、 与えら



16



ロンメル ロンメル



ドイッ シュパイデル



元帥を処刑すれば、



シュバ



中将の証言が元



国防軍将兵の反



元帥に、自殺したら国葬の栄誉を与える、という決定が下されたのは、



中 将 の "舌 戦 〃 の 勝 利 の 成 果 で あ る 。



だが、 イデル



意をかきたてるという不安が、 ヒトラー総統にあったにせよ、もし



理は発生しなかったはずだからである。



帥に決定的な不利をもたらすものであったならば、 ヒトラー総統に元帥処刑をちゅうちょする心



「私 は 、 参 謀 長 と し て 、 元 帥 に 借 り が あ る よ う な 気 が し て い た 。 元 帥 に は 、 ノ ル マ ン デ ィ 戦 線 で



て 一 日 も 早 い 終 戦 を 願 う 気 持 ち の ほ う が 強 か っ た よ う だ 。 だ か ら 、作 戦 面 で は 、 し ば し ば 元 帥 に



元 帥 の 声 価 を き ず つ け な い よ う な 戦 い を 、 約 束 し た 。 し か し 、 や は り 、 私 と し て は 、 元帥に従っ



ふさわしい強力な攻撃をひかえた。私は、元帥の逮捕が予想されると、元帥の名誉を守る作戦を



よ る



シュパイデル



ものかもしれない。



中 将 が 評 価 さ れ る の は 、戦 場 で の 活 躍



実 行 す る 決 意 を か た め た 。 私 は 、事 実 も 真 実 だ け で 戦 う こ と に し た 。 そ し て … … 勝 っ た 。 こ の 最



陸軍が生んだ最優秀の参謀の一人、



後 の 作 戦 だ け は 、完 全 に 成 功 し た 」 ドイッ



の ほ か に 、指 揮 官 に た い す る こ の 徹 底 し た 忠 誠 ぶ り に



シ ュ パ イ デ ル 中 将 は 、 ロンメル元帥の死後、 コンスタンス湖近くの収容所に監一^ されていたが、



が ベ ル リ ン に 連 絡 し よ う と し て い る す き に 、他 の 収 監 者 と と も に 、 脱 走 し た 。



連 合 軍 が 接 近 し て 処 刑 の 噂 が ひ ろ ま る と 、中 将 は ヒ ム ラ ー 内 務 長 官 の 偽 命 令 書 を 作 り 、警 備 将 校



マ イ ル ス ,ブローニング 17



I



と、







大 佐 は 、 一 九 四 ニ 年 (昭 和 十 七 年 ) 五 月 ニ



米国海軍史上、最悪の日が訪れたと思った。



マ イ ル ス ,ブローニン



おそらく、



を 基 幹 と す る 第 十 六 機 動 部 隊 は 、 サ ン ゴ 海 海 戦 (五



第 十 六 機 動 部 隊 參 謀 長 マ イ ル ス .ブ ロ ー ニ ン グ



十六日を回想する。 空 母 「エ ン タ ー ブ ラ イ ズ 」 「ホ ー ネ ッ ト 」



けて、



ハワイに



帰ってきた。



迎 え ら れ 、 太 平 洋 艦 隊 司 令 部 に 出 頭 し た 司 令 官 ウ ィ リ ア ム . ハ ル ゼ ー 中 将 は 、旗 艦 どってく る と 、 意外な情報を ブ ロ ー ニ ン グ大佐に伝えた。



ハ ワ イ . 真 珠 湾 入 港 が 五 月 二 十 六 日 で あ っ た が 、待 ち か ね た よ ぅ に岸壁からとびだしてき



を ぅ



月 七 〜 八 日 ) にとも な い 、海 戦 に 參 加 し た 第 十 七 機 動 部 隊 を 救 援 す べ く 、 現 場 に む か っ て い た が 、



その



五 月 十 六 日 、 「即 時 帰 還 せ よ 」 の 急 電



ランチに



「エ ン タ ー ブ ラ イ ズ 」 に も







情 報 ^ ニ つ-- ひ と つ は 、 暗 号 解 読 に よ り 数 日 中 に ヤ マ モ ト 提 督 の 日 本 連 合 艦 隊 が ミ ツ ド ウ ヱ



18



丨島攻略にやってくるのがわかったこと。



「後 任 は 、 ス ブ ル I



も う



ひ と つ は 、第 十 六 機 動 部 隊 は た だ ち に 迎 撃 の た め



撃沈され、



ヨークタウン」 17



は辛



ニ隻の空母



う じ て ハ ワ ィ に







「レ キ シ ン ト ン 」



ア ン ス だ 。 わ し が 推 薦 し て 、 ニ ミ ッ ツ (大 将 ”太 平 洋 艦 隊 司 令 長 官 ) も 承 認



に出港するが、 ハルゼー中将は皮膚炎のため入院すること、 の二つであった。



「レ キ シ ン ト ン 」 は



ー少 将 指 揮 の 第 十 七 機 動 部 隊 は 、



ブ ロ ー ニ ン グ 大 佐 は 、愕 然 と し て 、 つぎに呆然とした。



したよ」



のうち、



サンゴ海海戦で、 フレッチャ 「ヨ ー ク タ ウ ン 」



うけて



修理中である。



れ る ほ ど に 大 破 さ れ て い た 。 米 太 平 洋 艦 隊 に は 、 ほ か に 空 母 「サ ラ ト ガ 」 が あ っ た が 、 日 本 潜 水



つ ま り 、米 海 軍 に は 、 太 平 洋 を 守 る た め の 主 兵 力 は 、真 珠 湾 空 襲 で 戦 艦 を ぜ ん ぶ 撃 沈 破 さ れ て



艦の攻撃を



一方、 ヤ マ モ ト 提 督 が 引 率 し て く る 日 本 艦 隊 は 、 と い え ば 、



いるので、第 十 六 機 動 部 隊 の 空 母 ニ 隻 だ け と い え た 。



「情 報 で は 、 大 型 空 母 四 隻 の ほ か に 小 型 空 母 五 、 六 隻 、 そ れ に 戦 艦 は 少 な く と も 十 隻 以 上 が 加 わ



ま ず 勝 ち 目 は な く 、 せ め て 相 当 の 打 撃 を 与 え る た め に は 、 最 優 秀 の 指 揮 官 が 必 須 で あ る 。 ハル



り 、 日 本 海 軍 の ほ と ん ど が や っ て く る ら し い 」 と、 ハ ル ゼー中将は、 いう。



ゼー中将なら、 やれる。 だが、 スプルーアンス少将では… … ? ブ ロ ー ニ ン グ 大 佐 は 、 ス プ ル ー ア ン ス 少 将 が す ぐ れ た 指 揮 官 の 一 人 で あ る こ と は 、 よく知って



マ イ ル ス .ブ ロ ー ニ ン グ 19



ミッ



ブ ロ ー ニ ド ゥ



るよ」



る 。



そ れ に は 、 わ れ わ れ の ボ ス は 、経験と独



ヱ ー (島 ) を ヤ マ モ ト に 奪 わ れ れ ば 、 次 は ハ ヮ ィ を 襲 わ れ わ れ わ れ は 太 平 洋 を



ング大佐は、 ハルゼー中将に危惧を表明した。



い た 。 「冷 静 、 緻 密 、 慎 重 」 と い う の が 、 ス ブ ル ー ア ン ス 少 将 に た い す る 一 致 し た 人 物 評 で あ し か し 少 将 は こ れ ま で 巡 洋 艦 部 隊 の 指 揮 官 は つ と め た が 、空 母 部 隊 を 指 揮 し た こ と が な い 。



「も し



あけ渡さねばならぬと思いますが」 「ミ ッ ド ゥ ヱ ー に来る敵は必ずたたかねばなりません。



「同 感 だ 。 そ れ で … … 」



同意す



ハ ル ゼ ー 中 将 は 、 し か し 、 ブ ロ ー ニ ン グ 大 佐 の そ れ 以 上 の 発 言 を お さ え た 。大 佐 が



「ィ エ ス 、 ま っ た く



創力に富んだ指揮官でなければならぬと信じます」



うなずいた



指 揮 官 と



幕僚との



コンビ、



いった。



官 は 幕 僚 を 選 べ る が 、幕 僚 は 指 揮 官 を 選 56



と 、 大佐に別れの握手を求めながら、



とく. に 十 分 に 互 い の 気 心 を 知 り あ っ た 組 み あ わ せ が 必 要 だ 、 といいた



さ らに、 な に を い お う と す る か は 、察 し が つ い た 。大 佐 と し て は 、重 要 な 戦 い で あ れ ば あ る ほ ど 、



ハルゼー中将は、 だ ま っ て い た が 、 目 を 細 め る



いはずである。



「キ ャ ブ テ ン (大 佐 )、 キ ミ も 知 っ て い る と お り 、 ^



か 決 め に く い 。 た だ 、 す ぐ れ た 幕 僚 で あ れ ば 、ど ん な 指 揮 官 に た い し て も そ の 能 力 を 最 大 限 に 発



ぶ こ と は で き な い 。 そ し て 、 ど ん な 人 物 が 、 す ぐ れ た 指 揮 官 、 す ぐ れ た 幕 僚 で あ る か は 、 なかな



, 五 月 二 十 八 日 、



揮 さ せ る よ ぅ リ — ド で き る し 、 す ぐ れ た 指 揮 官 は 、鋭 敏 な 反 応 を 示 す は ず だ 」



— —



隻 I、 駆 逐 艦 十 一 隻 で あ る 。



第 十 六 機 動 部 隊 は 、 真 珠 湾 を 出 港 し た 。 空 母 「エ ン タ ー ブ ラ ィ ズ 」 「ホ — ネ ッ ト 」 の ほ か に 重 巡 五 隻 、軽 巡



や が て 対 面 す る 日 本 艦 隊 は 、 空 母 四 隻 (「赤 城 」 「加 賀 」 「飛 竜 」 「蒼 竜 」) を 基 幹 と し て 、 戦 艦 ニ 隻 、 重 巡 ニ 隻 、 軽 巡 一 隻 、 駆 逐 艦 十 二 隻 、 計 二 十 一 隻 の 第 一 機 動 部 隊 の ほ か 、 「攻 略 部 隊 」 (空 母 「瑞 鳳 」、 戦 艦 ニ 、 重 巡 四 、 軽 巡 一 、 駆 逐 艦 八 )、 「主 力 部 隊 」 (空 母 「鳳 翔 」、 「千 代 田 」、 戦 艦



米 国 側 に は 、 こ の 日 本 艦 隊 の 正 確 な 勢 力 内 容 は わ か っ て い な か っ た 。 し か し 、先 陣 の 機 動 部 隊



三、 軽 巡 一、 駆 逐 艦 九 )、 「警 戒 部 隊 」 (戦 艦 四 、 軽 巡 ニ 、 駆 逐 艦 十 二 ) が 後 ろ に ひ か え 、 総 計 空 母 七 隻 、戦 艦 十 一 隻 を 含 む 七 十 隻 の 圧 倒 的 大 艦 隊 で あ る 。



が ガ 空 母 四 隻 以 上 " を 持 つ こ と は 、察 知 し て い た 。 そ し て 、そ れ だ け で 十 分 に 強 す ぎ る 相 手 で あ



タ—



ブラィズ」 の甲板を散歩しながら、 ブ ロ ー



ニ ン グ参謀



ハ ル ゼ ー 中 将 は 、 真 珠 湾 基 地 の 海 軍 病 院 の 窓 か ら 、皮 膚 炎 の か ゆ み に お そ わ れ る 全 身 を か き む



る。



ス プ ル ー ア ン ス 少 将 は 、 旗 艦 「エ ン



し り な が ら 「お そ ら く 全 滅 す る で あ ろ ぅ 」 第 十 六 機 動 部 隊 の 出 陣 を 見 送 っ た 。



長に話しかけていた。



20



マ イ ル ス .ブ ロ ー ニ ン グ 21



ーニング大佐に疑惑を感じていた。 ハデ好みのハルゼ



ー中 将 と コ ン ビ を 組 ん で き た 大 佐 で あ



朝食がすむと、 スプルーアンス少将はすぐ散歩をはじめ、同時に參謀長を呼ばせた。少将は、 ブ ロ



損 害 を 与 え る 見 込 み が な け れ ば 、優 勢 な 敵 艦 隊 の 攻 撃 に 味 方 艦 隊 を さ ら し て は



司 令 長 官 ニ ミ ッ ツ 大 将 は 、 出 撃 に あ た っ て 、次 の よ う に ス ブ ル ー ア ン ス 少 将 に 命 令



そうだとしたら、それだけで来たるべき海戦の敗北は約束されているといえよう。



る。 同 様 に 衝 動 的 な 性 格 の 持 ち 主 で は な い か と 思 わ れ た か ら で あ る 。 もし、 太 平 洋 艦 隊



「敵 に よ り 大 き な



した。



いいかえれば、敵 に 発 見 さ れ ぬ 位 置 で 待 ち 伏 せ し て 奇 襲 せ よ 、 という指示 で あ る 。そ し て 、劣



ならない、 という原則に従うべきである」



リまで計算をつづける冷静さが必要である。



勢 の 兵 力 で 優 勢 な 敵 に む か う に は 、 そ れ が 唯 一 の 戦 勝 法 だ が 、 そ の 戦 法 を 成 就 す る に は 、 ギリギ



空母戦を知らぬスブルーアンス少将にとって、下すべき決定は参謀長の進言にすがらざるを得



「ミ ス タ ー



,ブ ロ ー ニ ン グ 」 と 、 ス



ブルー



アンス



少 将 は 、並んで



歩 く



ブロー



ニ ン グ大佐に、



いつ



ないが、 はたして、 ブローニング大佐は勝利を生む冷たい判断を提供してくれるであろう か。



た。



「閣 下 、 閣 下 は す で に 巡 洋 艦 部 隊 指 揮 官 と し て の 体 験 を お 持 ち で す 」



「私 は 空 母 の 指 揮 を し た こ と が な い 。 忠 告 を 聞 か せ て も ら い た い が 」



22



「ィ エ ス 。 だ が 、 ミ ス タ ー ,ブ ロ ー ニ ン グ 、 こ ん ど は 《 元 全 に 航 空 戦 の は ず だ 。 し か も 、手持ちの コマはいたって少ない。空 母 ニ 隻 で百五十八機、 ミッドゥェー島の海兵隊機や陸軍機が約百機。



「恐 ろ し い で す 。 で す が 、 閣 下 、 閣 下 も 私 も ブ ロ で す か ら 」



相 手 は 空 母 四 、 五隻。ざっと四百機はあるだろう。 心配じゃないかね」



静 か に 答 え る ブ ロ ー ニ ン グ大佐の言葉に、 スブル— ア ン ス 少 将 は 、 ビ タ リ と 足 を と め 、 むきな お る と 、大 き く う な ず い て 大 佐 に 握 手 を 求 め た 。



「結 構 だ 、 参 謀 長 。 た い へ ん に 結 構 な 答 え だ 。 そ う 、 私 た ち は ブ ロ だ 」 戦争には多くの市民が参加する。だが彼らは、 にわか仕立ての戦士である。勝敗の責任は少将



ニ ン グ 大 佐 の 言 葉 は 、大 佐 が そ う い う



ーニング大佐



も、



ブロの



安 堵 し て い た 。 大 佐 は 、 いう。



沈着な



覚悟の持ち主で



あることを、



示して



た ち 職 業 軍 人 の 肩 に か か っ て い る 。そ れ だ け に 、 アマチュアに許される失敗もブロには許されな



、V 〇 I ブロー



ブ ロ



い る 。 ス ブ ル — ア ン ス 少 将 は 、満 足 し た 。



「ハ ル ゼ ー 中 将 が 指 摘 し た よ う に 、 幕 僚 に と っ て 最 も 心 強 い 指 揮 官 は 、 確 か な 反 応 を み せ て く れ



ことが



わかっ て 、胸 の 暗 雲 は 晴 れ た 。 勝 利 を 、私 は 確 信 し た 」



る 存 在 だ 。 じ つ は 、 私 も ス ブ ル ー ア ン ス 提 督 に 不 安 を 感 じ て い た が 、彼 が 昇 進 よ り も ブ ロ の 誇 り を重んじている



も う ひ と つ-- ブ ロ ー ニング 大 佐 は



「私 た ち の 性 格 は 明 ら か に 相 違 し て い た 。 し か し 、 目 的 の た め に は 感 情 を お さ え る 自 信 の 点 で 、



心して、 ひたすら確実な勝利のための戦術案出に没頭した。



ハワィのニミッツ



大将から吉報が入電した。



ど ん な に 非 情 か つ 大 た ん な 作 戦 で あ ろ う と も 、そ れ が 合 理 的 に 勝 利 を 結 論 で き る ブルーアンス少将はうけいれる、 と確信できたからである。 五月三十一日、



四 機 と 毎 日 ハ ワ ィ か ら 連 絡 、偵 察 に く る 8



爆撃機、 これはその日にょって機数が一定しませ 17



「す る と 、 母 艦 機 は 空 母 三 隻 で ニ 百 三 十 三 機 、 基 地 航 空 機 を あ わ せ て ざ っ と 三 百 三 十 機 .. う む 、



ん」



2 6



「? 6 丫 哨 戒 飛 行 艇 三 十 機 、 海 兵 隊 の 戦 闘 機 二 十 六 機 、 爆 撃 機 三 十 四 機 、 雷 撃 機 六 機 、 そ れ に 6



将 は 、眼 を 輝 か せ て ブ ロ ー ニ ン グ 参 謀 長 を 呼 ん だ 。 「ミ ッ ド ウ ヱー 基 地 の 正 確 な 機 数 は 、 わ か る か ね 」



駆 逐 艦 六 と と も に 真 珠 湾 を 出 港 す 。貴 隊 と の 会 合 点 、北 緯 三 十 二 度 、 西 経 百 七 十 三 度 … …。 ミ ッ ド ウ ヱ —島 に は 、 さ ら に 航 空 機 が 増 派 さ れ た 、 と の 連 絡 も う け て い た 。 ス ブ ル ー ア ン ス 少



日 で 終 了 。 三 十 日 午 前 九 時 、 再 び マ ー ク .フ レ ッ チ ャ ー 少 将 の 第 十 七 機 動 部 隊 に 編 入 重 ^ ニ



-- サ ン ゴ 海 海 戦 で 大 破 し た 空 母 「ヨ ー ク タ ウ ン 」 は 、 三 か 月 と 見 込 ま れ た 修 理 を 奇 跡 的 に ニ



ものなら、 ス



互 い に 一 致 し て い た 」 と、 つ け 加 え て い る が 、 い ず れ に せ ょ 、そ の 後 、 ブ ロ ー ニング大佐は、安



マ イ ル ス ,ブローニング 23



24



練 度 は ?」



「母 艦 急 降 下 爆 撃 隊 が 八 十 点 、 あ と は 四 十 点 前 後 と い っ た と こ ろ で し ょ う か 」



パィロットの



「な る ほ ど … … で は 、 方 法 は … … 」 「ィ エ ス 、閣 下 。弱 い ジ ャ ブ で ひ き つ け 、 相 手 の 体 が の び た と こ ろ に ラ ビ ッ ト .パ ン チ を く ら わ せる以外にはありません」



N



1島 基 地 航 空 機 を む か わ せ 、 つ



ブローニング大佐が提案した作戦は、しごく単純なものであった。 まず南雲忠ー中将が指揮する日本第一機動部隊に、 ミ ッ ド ゥ



し か し 、 この戦術 は き わ め て 冷 酷 な 計 算 に も と づ く 非 凡 な も の と い え る 。南雲 中 将 が 基 地 航 空



い で 母 艦 機 で 総 攻 撃 を す る 。そ れ だ け で あ る 。



機 の 攻 撃 に 気 を と ら れ て い る 間 に 、 一気に横なぐりの奇襲をかけょうとするものだが、作 戦が成 功 す る た め に は 、絶 対 に 事 前 に 味 方 が 発 見 さ れ な い こ と と 、 基 地 航 空 隊 が で き る だ け 長 く 南 雲 中



基 地 航 空 隊 の 練 度 は 「四 十 点 前 後 」 で あ る 。 ま ず 歴 戦 の 日 本 海 軍 ゼ ロ 戦 に 全 滅 さ せ ら れ る こ と



将 の 眼 を ひ き つ け て い る こ と が 、必 要 になる。



は、 ま ち が い な い で あ ろ う 。



第 十 六 機 動 部 隊 は 六 月 二 日 、 予 定 ど お り 、 北 緯 三 十 二 度 、 西 経 百 七 十 三 度 付 近 で 、第 十 七 機 動



だが、 ブ 1 0 ニ ン グ 大 佐 は 静 か に ミ ッ ド ゥ ェ ー基 地 航 空 機 百 機 の 全 滅 を 前 提 に し た "勝 利 計 画 "を 進 言 し 、 スブル I アンス少将も平然と採用した。



は、



二十



南 雲 機 動 部 隊 は 、北 緯 三 十 二 度 、東 経 百 七 十 九 度 の 海 上 に い た 。 この位置



スプルーアンス



少 将 は 、不 安 な 表 情 を 示 し た 。



五月三十日以降は毎日、 ?



ミッ



ノットの



高速で



ミッドウヱー



ば、



そろそ ろ



ある。



発見して



絶対に必要で



いいこ



付 近 を 行 き つ 戻 り つ し な が ら 、南 雲



ることが



いるなら



マイル



先に発見す



島に接近していた。



前 日 ま で の 濃 霧 を 抜 け 、南 雲 機 動 部 隊 は ぴ た り と 輪 形 陣 を と と の え 、



西北約三百



こちらが



行動して



飛行艇が南南西から北北東にかけて七百マイル哨戒をおこ



以上、



ドウヱー島



ねらぅ



日本側がスケジユールどおりに



そ し て 、奇 襲 を



正しく、



ある。







そ の 南 西 約 四 百 マ イ ル ——



機動部隊発見の報告を待ちわびた。



スブルーアンス少将は、



ろで



情 報 が



なっている。







情 報 で は 、 日 本 艦 隊 の ミ ッ ’ト ウ ヱ ー 島 攻 撃 は 六 月 五 日 の は ず で あ る 。 一方、 ミ ッ ド ウ ヱ ー 島 か



六月三日。



った。



ヤン列島方面からはりだした不連続線による煙霧にへだてられ、両者は相手の存在に気づかなか



日 米 両 機 動 部 隊 の 距 離 は 約 六 百 マ イ ル 、 と も に 北 緯 三 十 二 度 線 上 に い た わ け だ が 、 アリユーシ



か ら 南 東 に む き を 変 え 、 ミ ッ ド ウ 1— に 直 進 す る 。



ちょぅど そ の こ ろ 、



部隊と合流した。



マ イ ル ス .ブ ロ ー ニ ン グ 25



26



I



-



南雲機動部隊は、 ミツド ウ



ドウユ



I



島 を と び た っ て い た 十 一 機 の 飛 行 艇 の ぅ ち 、第 五 十 八 番 艇



I X



島 北 西 二 百 四 十 マ イ ル か ら 、 百八



N



1島 の 北 方 二 百



爆 撃 機 が 攻 撃 し た 。 し か し 、 南 雲 機 動 部 隊 の 所 在 は 不 明 な の で 、米 国 側 は 、 最 も 有 利



す る と 、 三 日 午 前 九 時 四 分 、飛 行 艇 が ミ ツ ド ウ 一—島 南 西 七 百 マ イ ル に 、 日 本 輸 送 船 ニ 隻 を 発 見し、 6







I



こ ん ど は 、第 五 十 八 番 艇 の 発 信 に 応 じ て か け つ け た 第 九 十 二 番 艇 が 打 電 し た 。



I



ア ン ス 少 将 は 、 南 雲 機 動 部 隊 へ の 接 近 は 下 命 し た が 、 ブロ



ブロー一ング大佐は、 敵 と の 距 離 約 百 七 十 マ イ ル と 測 定 す る と 、 即 時 全 力 攻 撃 を ス ブ ル ー ア ン



ブ ロ ー ニング、 ま だ 敵 の 全 貌 は つ か ん で い な い 。 敵 空 母 は あ と ニ 、 三 隻 は い る は ず



ニング大佐の提案には首をふった。



だ」



「ミ ス タ 1



I



ス少将に進言した。 しかし、 スブル







「敵 空 母 ニ 隻 、 戦 艦 数 隻 、 方 位 三 百 二 十 度 、 距 離 百 八 十 マ イ ル 、 針 路 百 五 十 度 、 速 力 二 十 五 ノ ツ



午前六時三分



雲の中に逃れた。



が 南 雲 機 動 部 隊 を 発 見 し た 。 し か し 、 同 機 は 「敵 空 母 見 ユ 」 の ー 電 を す る と 、 ゼ ロ 戦 に 追 わ れ て



午 前 五 時 三 十 四 分--



機のミツドウユー空襲隊を発進させた。



六月四日午前四時三十分



マイル付近に後退した。



な 待 ち 伏 せ 地 点 に 予 定 さ れ て い た 、 北 緯 三 十 二 度 、西 経 百 七 十 五 度 、 ミ ツ ド ウ



17



マ イ ル ス .ブ ロ ー ニ ン グ 27



目 標 に む か っ て 航 行 し ま す 。 日 本 艦 隊 は 明 ら か に ミ ツ ド ウ 1— に 近 づ い て い ま す 。 攻 撃 隊



「閣 下 、 た し か に 正 確 な 調 査 は ま だ で す 。 し か し 、 母 艦 は 艦 載 機 を 発 進 さ せ れ ば 、 収 容 に 便 利 な よ う に



プ ロ ー ニ ング大佐は、 日 本 側のミツドウュー空襲隊が母艦に帰るとき、 つまりその収容で甲板



は必ず確認できます」



ス タ ー .ブ ロ ー ニ ン



グ。計 算 を し て み よ う 。 わ が 第十六、第 十 七 機動部隊の艦



い る い ま 、 攻 撃 隊 を 発 進 さ せ れ ば 、 ち ょ う ど ぴ っ た り の 時 期 に 敵 の 頭 上 に 到 達 で き る 、 というの



が ふ さ が れ て 迎 撃 態 勢 が と れ な い と き に 、 空 襲 し よ う 。 そ の た め に は 、約 百 七 十 マ イ ル は な れ て



である。



「待 ち た ま え 、 ミ



マイル



だ。 いま行けば、 ほ と ん ど 往 復 だ け で せ い い っ ぱ い だ 。む ろ ん 、全機の十八パーセン



載 機 は 戦 闘 機 七 十 九 、 急 降 下 爆 撃 機 百 十 二 、雷 撃 機 四 十 ニ だ 。 し か じ 、 雷 撃 機 の 行 動 半 径 は 百 七 十五



スブル— アンス



少将は、



百マイルまで



接近してから攻撃するほうが確実だ、 と述べた。



ト の 雷撃機の損失だけですむなら、それでもいい。が、その保証はない」



敵発見は午前六時三分。そのとき敵はミツドウュー島から約二百四十マイルの地点にいた。



ブ ロ ー ニ ン グ 大 佐 は 、 時 計 を 見 た 。 午 前 六 時 三 十 分 を す ぎ て い る 。大 佐 は 、 説 明 し た 。



「イ エ ス 。 そ れ は ひ と つ の 計 算 で す 。 し か し 、 閣 下 、 別 の 計 算 も あ り ま す 」



I



い ま は も っ と 近 づ い て い る だ ろ う が 、 な お 約 二 百 二 十 マ イ ル は あ る 。 敵 の ミ ツ ド ウ ュ ー空 襲 隊 は 、



28



だから、 二百二十 マイルを



N



帰 ら ね ば な ら な い 。 が 、味 方 は 百 七 十



マイルと







ば よ



い。



1島 基 地 の 航 空 機 は 、 す で に 敵 攻 撃 に む か っ て い ま す 。 未 熟 者 の 攻 撃 で す 。



「閣 下 、 最 も 重 要 な の は 、 味 方 が 発 見 さ れ な い う ち に 攻 撃 を 加 え る こ と で す 。 い ま は 発 見 さ れ て いません。 ミ ッ ド ゥ



のちに、 ブ ローニン



グ大佐は、



いつまで持ちこたえられるか、 わかりません」



「私 は あ の と き 、 人 間 よ り は 計 算 機 に な っ て い た 。 ま る で 基 地 肮 空 隊 を ギ セ イ に す る の が 目 的 の よ う に 、 機 数 と 発 進 順 序 、 ゼロ (戦 ) に 撃 ち お と さ れ る 時 間 と 、 わ が 攻 撃 隊 の 発 進 、 飛 行 時 間 を 考 え あ わ せ 、 一 秒 ご と に 勝 利 の 扉 が 閉 ざ さ れ て いく 恐 怖 に か ら れ て い た 。 撃 墜 さ れ る 飛 行 機 が 貴



わち幕僚の任務だと思い、それしか考えられなかった」



「ホ



重 な 人 命 の 喪 失 を 意 味 す る こ と も 忘 れ た 。 確 実 な 勝 利 の 判 断 を 指 揮 官 に 提 供 す る の が 、 私 、 すな



ス プ ル ー ア ン ス 少 将 は 、 ブ ロ ー ニ ン グ 大 佐 の 進 言 に う な ず き 、 空 母 「エ ン タ ーブライズ」



と、回想する。



I



丨海戦の勝敗は、 このスブルーアンス少将の決断によって決まった。



ッ チ ャ ー 少 将 は 、 ガ全力投球" を 危 険 と み な し て 、 三 十 五 機 を 発 艦 さ せ た )。



フ レ 丨ネット」 の百五十八機のうち、上 空 警 戒 用 の 四 十 ニ 機 を の ぞ く 百 十 六 機 の 発 進 を 命 じ た(



ミッドゥ



ともに



南雲機動部隊を迎撃に多忙にさせた。そして、







0 —ニ ン グ大佐の予測



ど お り 、



米 国 側 攻 撃 隊 は 、 一 部 は 目 標 未 確 認 で ひ き 返 し 、 ま た 個 別 攻 撃 の 形 を と っ た が 、基 地 航 空 機 の 波状攻撃と



日 本 側 が ミ ッ ド ウ ユ ー 空 襲 隊 を 収 容 し た 直 後 に 、 急 降 下 爆 撃 隊 が そ の 頭 上 に 殺 到 し て 、 一気 に 空



駆 逐 艦 一 隻 、 飛 行 機 約 百 五 十 機 を 失 っ た の に た い し て 、南 雲 機 動



ド ウ ヱ ー 海 戦 は 、予 想 以 上 の 米 国 側 の 勝 利 に 終 わ っ



母 三 隻 (「赤 城 」 「加 賀 」 「蒼奄し) を 炎 上 さ せ た 。



クタウン」 と



残 る 空 母 「飛 竜 」 も や が て 撃 沈 さ れ 、 ミ.ッ



米 は 空 母 「ョ ー



た。



ある。



ときに



側の勝利は、 いわば



人間と しての



ブ ロ 丨 ーング



大 佐 の 勝 利 と い え る が 、 海 戦 後 、大 佐 は 昇



疲 れ を 感 ず る 。 ょ い 幕 僚 と は 、幕 僚 以 上 に な ら ぬ こ と だ と 思 っ た 」



こ と わ り 、 や が て 予 備 役 編 入 を 願 い 出 た 。 「幕 僚 は 、 非 情 な 職 務 で あ る 。 そ の 職 務 に 忠 実 で



からで



あれば、



進 を



そ し て 、 この米国



,壊 滅 的 打 撃 , を ぅ け た 。



部 隊 は 空 母 四 隻 、重 巡 一 隻 を 失 い 、重 巡 一 隻 大 破 、 ほ か に戦艦一、駆 逐 艦 三 隻 が 中 破 す る ほ ぼ



マ イ ル ス .ブ ロ ー ニ ン グ 29



30



ジ ヨ ー ジ . 0 . マー シ ャ ル



米 陸 軍 参 謀 総 長 ジ ョ ー ジ . 0 ,マ ー シ ャ ル 元 帥 を # ^ す る と き 、 し ば し ば 語 ら れ る エ ピ ソ ー ド



——



たとえば、



がある。



元 帥 は 少 尉 任 官 と 同 時 に 結 婚 し た が 、病 気 が ち の 夫 人 は 一 九 二 七 年 に 心 臓 病 で 死 亡 し た 。 が、 一九三〇 年 、 中 佐 だ っ た 元 帥 は 、 好 ま し い 女 性 に 出 会 っ た 。 三 人 の 子 ど も を も つ 未 亡 人 だ っ た が 、 マ ー シ ャ ル 中 佐 は 美 人 で 知 性 豊 か な 彼 女 、 カ サ リ ン .丁 .ブ ラ ゥ ン に 心 を ひ か れ 、 パ ー テ ィ の あ と、 ホテルまで送ると申し出た。 場 所 は オ ハ イ オ 州 コ ロ ン パ ス 市 で 、 カ サ リ ン に は は じ め て の 土 地 で あ っ た が 、 マーシャル中佐 の 車 に の っ て し ば ら く す る と 、首 を か し げ た 。 ホ テ ル か ら パ ー テ イ 会 場 ま で は 、 たしかものの五 分間もかからなかったのに、 パーティの会場を出発してからすでに四十分以上も、たっている。



ジ 3 — ジ ,0:,マーシャル 31



し か し 、 わ ざ と 同 じ 道 を ま わ っ て い る よ う す も な い 。 カサリ ン は 、中 佐 に た ず ね た 。



「と ん で も な い 」 と い う の が 、 マ ー シ ャ ル 中 佐 の 返 事 だ っ た 。



「ね ヱ 、 中 佐 。 あ ま り こ の 街 に は お 詳 し く な い よ う で す わ ネ 」



--- も う ひ と つ 、



「詳 し い で す よ 。 二 度 と 同 じ 道 を 通 ら ず に 、 こ れ ほ ど ま わ り 道 が で き る の で す か ら な 」



二 人 が 咭 婚 す る と 、 中 佐 が 所 属 す る フ ォ ー ト .ベ 一ング基地の将校クラブで、全 将 校 が 参 加 す



る 歓 迎 パ ー テ ィ が も よ お さ れ た 。 マ ー シ ャ ル 中 佐 は 、新 夫 人 の 横 に 立 ち 次 々 に お 祝 い を 述 べ に く



て い るとか、短 い 人 物 評 を さ さ や い て い た 。



る 将 校 、 夫 人 た ち に 、 新 夫 人 が 適 切 な あ い さ つ が で き る よ う 、 最 近 昇 進 し た と か 、 長年つきあっ



(三 つ 子 )と 、 カ サ リ ン 夫 人 に さ さ や い た 。 す か さ ず 、 カ サ リ ン 夫 人 は 満 面 に 優 雅 な 微 笑



す る と 、 一 人 の 夫 人 が 近 づ い て き た 。 最 近 、 三 つ 子 を 生 ん で 、 ご 自 慢 で あ る 。 中 佐 は 「トリプ レ ッ ト 」



を た た え て 、相 手 の 手 を に ぎ り し め た 。



は 、 三 つ 子 の ほ か に "三 人 乗 り 自 転 車 " の 意 味 を も



三 つ 子 と は 思 わ ず 、 自 転 車 と 推 理 し た の で あ る が 、 と た ん に 、 セキ



「ト リ ブ レ ッ ト 」 ま さ か



した。



夫人は、



トンと



「ま ア 、 奥 様 。 こ の 間 は ほ ん と う に 結 構 な ト リ ブ レ ッ ト を あ り が と う ご ざ い ま し た 」



カサリン



相手はキョ つ。



「つ ま り 、



奥 さ ん 。 奥 さ ん は わ が 兵 営 に 三 人 の 大 将 候 補 を 加 え ら れ た 。 三 倍 の 喜 び だ と 、家 内 は



ば ら い し た マ ー シ ャ ル 中 佐 が 、 つけ加えた。



32



申して I



おります」



以上のエビソ I



"世 界 X、 ドによくあらわれているとみなされるからで



ドがもてはやされるのは、 マーシャル元帥の慎重な計画性と臨機応変の政



の参謀長"といわれる元帥の資質が、 このエビソ



I



治 性 、 い い か え れ ば "米 陸 軍 史 上 最 も 偉 大 な ス テ ー ツ マ ン .ソ ル ジ ャ ー (軍 人 政 治 家



元帥の名



マ ー シ ャ ル 元 帥 は 、 一九三六年十月、 や っ と 准 将 に 昇 進 し た 。 す で に 五 十 六 歳 。 士 官 学 校 を 卒



ある。



知られていた。



シャル



業 し て か ら 三 十 四 年 間 た っ て .い る 。 ま ず は 退 役 寸 前 の 〃 は な む け " 昇 進 と み ら れ た 。



して



だ が 、 実 際 に は 、 そ の 准 将 進 級 は 、 そ の 後 の 急 速 な 昇 進 の 開 幕 で あ っ た 。 マー 前 は 、陸 軍 部 内 で も 、政 界 の 一 部 で も 、最 も 有 能 な 将 校 と



よ る



もの



と く に 、 元 帥 は 、 一 九 三 三 年 十 月 か ら ィ リ ノ ィ 州 兵 第 三 十 三 師 団 先 任 参 謀 を つ と め た が 、 この



シャル



元帥の登



で あ っ た こ と と 、それにもかかわら ず 先 任 參 謀 と し て 第 三 十 三 師 団 の 将 校 団 の 能 力 を 向 上 さ せ た



任 命 が 当 時 の 参 謀 総 長 ダ グ ラ ス ..マ ッ カ ー サ ー 大 将 の マ ー シ ャ ル 元 帥 に た い す る 偏 見 に



そ こ で 、 マ ッ カ ー サ —大 将 が 参 謀 総 長 を 辞 任 す る と 、 待 ち か ね た よ ぅ に 、 マ ー



手腕とで、 マーシャル元帥にたいする同情は深まっていた。



用 が は じ ま っ た の で あ る 。元 帥 は 、准 将 に な っ た ニ 年 後 に は 少 将 に #進して 陸 軍 参 謀 次 長 に 任 命 さ れ 、 さ ら に そ の 翌 年 、 一九三九年九月には、 三 十 四 人 の 上 級 者 を と び こ え て 、大 将 に す す み 、 參謀総長に就任した。



ジ 3 — ジ ,0 ,マーシャル 33



シング



元帥は強くマー



大統領と親しい第一次大戦の勇



大 統 領 は 、 マーシャル元帥を知ら とくに



ベルト



元帥を推薦していた。



も耳にしていた。



シャル



こと



参 謀 総 長 人 事 は 、大 統 領 の 権 限 に ふ く ま れ る 。 ル ー ズ パー



し か し 、 な に ご と も 自 分 の 眼 と 耳 で 確 か め た い ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 は 、 一 九 三 九 年 四 月 、 マー



ジ ョ ン .



な か っ た 。 名 前 は 聞 き 、評 判 が 良 い 将



ことは



承知しているが、 はたして、 八 月 に任期が満了する



シャル



の二つである。



ーグ參謀総長



まきこまれることは



そ な え て 、參 謀 総 長 は 、有 能 な う え に も 有



戦争における個人と組織との関係にどんな考えを持



次 長 に 、 二 つ の 質 問 を し た 。.



きに



いずれ米国が世界的規模の戦争に



マ リ ン .ク レ



シ ャ ル 参謀次長を@室 に 呼 ん だ 。す で に 公 務 上 の 接 触 は た び た び あ り 、 マーシャル次長が冷静な 人物である



ヨー ロ ッ パ の 戦 雲 は 色 濃 く な り 、



の 後 任 、 いや、 そ れ 以 上 に 適 任 者 で あ ろ う か ? 当時、



まちがいない、 と大統領は予測していた。そのと



大 統 領 は 、 マー



能な人材でなければならないはずである。 ルー ズ ベ ル ト



——



勇気ということについてどう考えるか? っているか?



「大 統 領 閣 下 。 勇 気 に は 、 二 種 類 あ る と 思 い ま す 。 ひ と つ は 肉 体 的 な も の 、 つ ま り 個 人 的 危 険 に



責 任 を



とる勇気で



あ り ま し



ょう」



た ち む か う 勇 気 で す 。 も う ひ と つ は 、道 徳 的 な も の 。外 部 の 権 威 、 あ る い は 良 心 と い う 内 側 の 権 威に直面して



34



「現 代 の 戦 争 に お い て は 、 戦 場 は 一 眼 で 見 渡 せ る に は あ ま り に 広 く な っ て い ま す 。 し た が っ て 、 一人の指揮官がすべてを決定できる時代ではありません。戦 争 は 、 いわば議会や企業における管 理 の 過 程 に 似 て 、決 定 と 指 揮 は 複 数 者 の 討 讓 と 合 議 か ら 生 ま れ ま す 。 そ の 意 味 で 、 個 人 は 組 織 の 構 成 者 で あ り ま す 。 が 、 同 時 に 、戦 い の 最 終 的 な 裁 決 者 は や は り 、 個 人 で な け れ ば な り ま せ ん 」 ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 は 、 マ ー シ ャ ル 次 長 の 言 葉 を 聞 き 終 わ る と 、 即 座 に 握 手 を 求 め た 。 にぎっ た 手 を は な す と 、 次 期 参 謀 総 長 に 任 命 す る 書 類 作 成 を 秘 書 官 に 命 じ た が 、部 屋 を 出 る マ ー シ ャ ル 「将 軍 。 參 謀 総 長 は 、 ま す ま す 政 治 的 な 職 務 に な っ て き た 。 そ ぅ じ ゃ な い か な 」



次 長 を 呼 び と め る と 、 いった。



た し か に 米 陸 軍 参 謀 総 長 の 職 務 は 、軍 事 的 な 性 格 ょ り も 、政 治 色 の 強 い も の で あ り 、そ し て 、



参謀総長になったマーシャル元帥は、まず米陸軍を大戦にそなえて強化する仕事にとりかかっ



それはまたマーシャル元帥に適任の職場でもあった。



た 。増 員 と 装 備 の 近 代 化 が 主 目 的 だ が 、 海 軍 も 同 様 の 目 標 を め ざ し て い る 。当 然 、なにかと陸海 競 合 、あ る い は 陸海対立の事態が発生したが、 マーシャル元帥は、 つねに妥協と巧みな政治的手



太 平 洋 戦 争 前 、 マーシャル元帥が推進して実現した重要な決定のひとつに、 ドィツ打倒優先戦



腕で処理した。



米国の国防方針は、 レィンボー計画の名の下に、 日本を主な仮想敵とみなす太平洋第一主義で



略がある。



ル シ



あ っ た が 、 マーシャル元帥は、参 謀 次 長 時 代 か ら 、主 戦 場 は ヨ ー ロ ッ パ 、主 敵 は ド イ ツ 、そして 米国の積極的參戦以外にとるべき道はない、 と考えていた。



参 謀 総 長 に 就 任 す る と 、 マ ー シ ャ ル 元 帥 は 、部 下 の 幕 僚 た ち を 集 め て 、 米 国 を 中 心 と す る 自 由



陣 営 の 世 界 戦 略 の 検 討 を 命 じ た 。 す で に 、 ナ チ ス .ド イ ツ は 戦 い を は じ め て お り 、 日 本 も 中 国 で



戦争をしている。 このニ大敵国をどうやって撃破すればよいか、 というのである。



幕 僚 の 結 論 は 、す 早 か っ た 。連 合 国 の 中 で 、 最 も 強 力 な 米 、英 、 ソ連三国が協同して戦える戦 場 は ョ ー ロ ッ パ で あ る 。 も し 日 本 打 倒 を 先 に す れ ば 、 連 合 軍 兵 力 は 二 分 さ れ る こ と に な り 、対日



戦 後 に 米 軍 が ョ ー ロッパにむかうときには、すでに英、 ソ連が敗北している危険がある。 ゆえに、



マー



シャル元帥は、



まったく



同感だ、



と答 え た が 、 質 問 し た 。



まずドイツを撃破し、 ついで日本にトドメをさすべきだ、というのである。



「だ が 、 ド イ ツ 打 倒 を 優 先 さ せ る に し て も 、 そ の 前 に わ が 国 が 参 戦 し な け れ ば な ら な い 、 米 国 民



1: は 正 義 の 戦 い 以 外 に は 立 ち 上 が ら な い 。 で は 、 い か に し て 、 米 国 は 、 米 国 民 の す べ て が ふ る い た



. つ正義の戦いのドアを開き、しかも、必ずドイツ第一主義を守りとおすことができるだろうか」



I



、諸君。 そ れ は わ れ わ れ の 任 務 で もある。 わ れ わ れ に は 、 国 家 の 名 誉 と 安 全 の 責 任 を 負 わ



「そ れ は 、 政 府 の 仕 事 で あ っ て 、 わ れ わ れ の 職 務 で は な い で し ょ う 」 と い う の が、幕 僚 た ち の 合 唱 に 似 た 一 致 し た 返 事 だ っ た 。



「ノ



^ ジ



.0 35



36 マーシャル



元帥が そ う い う と 、



幕僚たち はむしろ



意 外 な 表 情 を し た 。軍 務 は 政 治 に 従 属 す



さ れ て い る 。 わ れ わ れ は 、陸 軍 の 参 謀 で あ る と 同 時 に 、 国 家 の 参 謀 で も あ る は ず だ 」



マーシャル



元 帥 は 、軍 務 に 高 度 の 政 治 感 覚 が 必 要 だ と 考 え て い た 。そ し て 、



その



るも



考 え 方 は 、太平



の で 、 軍 人 は み だ り に 政 治 に 介 入 す べ き で は な い 、 と 教 え ら れ 、信 じ て い た か ら で あ る 。 だ が 、



一 九 四 一 年 (昭 和 十 六 年 ) 十 二 月 七 日 午 前 十 一 時 五 十 八 分 、 マ ー シ ャ ル 元 帥 は 日 本 政 府 か ら 在



洋戦争開戦前の措置に明示された。



サンフランシスコな



どの米軍司令官に警報を発した。



米 大 使 館 あ て に 送 ら れ た 日 本 側 の 最 後 通 告 の 暗 号 解 読 文 を 読 む と 、直 ち に ハ ヮ イ 、 フ ィ リ ピ ン 、



「東 部 標 準 時 間 午 後 一 時 、 日 本 は 実 質 上 最 後 通 牒 に ひ と し き も の を 提 示 し つ つ あ る 。 な お 日 本 側



カリブ海、



は、そ の 暗 号 機 械 を 即 時 破 壊 す べ き 命 令 を 発 し た 。指定時刻がいかな る 意 味 を す る か は 目 下 不 明 な る も 、厳 戒 を 要 す 」 午後一時というのは、 日本政府が米国側に通告文を手渡せと指定した時刻であり、まさに攻撃



に と ど き 、効 果 は な か っ た 。 元 帥 は 、警 報 を 直 通 緊 急 電 話 で 指 令 せ ず 、商 業 電 報 で 通 知 し た か ら



開 始 予 定 時 間 で あ っ た 。 だ が 、 こ の マ ー シ ャ ル 元 帥 の 警 報 は 、 ハヮイには、 真 珠 湾 空 襲 四 時 間 後



である。 真 珠 湾 事 件 の 査 問 委 員 会 が 開 か れ 、 マ ー シ ャ ル 元 帥 も 呼 ば れ て 、 な ぜ 警 報 を 電 話 で な く 、電 報 で 送 つ た の か と 、 質 問 さ れ た 。 元 帥 は 、平 然 と 答 え た 。



ジョージマ ーシャル 37



「わ が 国 に は 、 わ が 国 の 高 潔 な 行 動 に 疑 念 を 抱 く 一 部 の 人 々 が あ り ま す 。 も し 、 予 防 措 置 で あ っ



て も 、緊 急 警 報 を 発 す れ ば 、 こ れ ら の 人 々 は 、 そ れ を 日 本 に た . い す る 現 実 の 処 置 と み な し 、 逆に



た と え 被 害 を う け て も 、市 民 の な っ と く 、 世 論 の 一 致 を 得 る の が 国 家 の 利 益 に な る と い う 。 つ



日本側の行動に正当性を与える口実にしないとも限りません」







アフリカからィタリア、



めた。







ま り は 、 "国 家 の 参 謀 , 意 識 の 発 露 で あ る が 、 そ の 後 戦 争 中 を 通 じ て 、 マ ー シ ャ ル 元 帥 の す べ て



と す す



出席し て 、



打倒計画を着々



首脳会談には必ず



ドィツ



ソ連との



に米軍を進める



元 帥 は 、英 国 、



ョ— ロ ッ パ



シャル



北部



マー



の判断と決断は、この自覚と覚悟を支柱にして変わることはなかった。



して



激論の場となった



シャル



元帥を



推 薦 し た 。



元帥は必ず妥協の道を



見出し、 しかも、



必ず



き は 、各 首 脳 は こ ぞ っ て そ の 指 揮 官 に



支 持 を う け 、 一 九 四 三 年 十 一 月 、 テへラ たと



ひとしい



が、 マーシャル



会 議 は 、 性 格 の 強 い チ ャ ー チ ル 英 首 相 、 ス タ ー リ ン ソ 連 首 相 、 さ ら に 各 国 の 将 軍 、提 督 た ち に ょって、 しばしば



米国の利益を優先する戦略を考案した。



お か げ で 、 マーシャル元帥は、連 合 国 首 脳 の マー



ン首脳会談で連合軍の北フランス進攻作戦が協議され



「こ の 決 定 的 大 作 戦 の 指 揮 官 は 、 そ れ 以 上 に 賢 明 な 、 あ る い は 、 そ れ 以 上 に 安 心 で き る選 択 は な い と 確 信 で き る人 物 で な け れ ば 、 な ら な い 。 そ の ょ う な 人 物 は 、 一 人 だ け い る 。 そ れ は 、 マ ー シ



と、 スターリン



ャル将軍だ」 首相がいえば、 チャーチル英首相も、側近にもらした。



「ほ か の 誰 が 指 名 さ れ て も 、 わ が 国 に は そ れ 以 上 の 将 軍 で あ る マ ウ ン ト パ ッ テ ン 、 モ ン ゴ メ リ ー



むろん、 ルーズベルト



大統領



進 攻 作 戦 の 全 責 任 を ひ き う け 、《 元全にはたす



元帥以外にないと信じていた。



も、 このヨーロッパ



な ど が い る が 、 マーシャルなら、 わが最良の将 軍 た ち に 匹 敵 す る 存 在 と し て 異 存 は な い 」



シャル



テヘランに



来る前に、ひそかに



マー



シ ャ ル 元 帥 に 「才 — パ







ロー



ド」







ハヮー大将は、 そ の 政 治 的 手 腕 に 不 確 実 さ が あ っ た 。



「英 国 、 ソ 連 、 フ ラ ン ス 、 そ し て 他 の ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 と も 協 力 し て お こ な う 作 戦 で あ れ ば 、 最 高



資 格 の あ る 人 物 は 、 マー



大統領は、



ア ィ ゼ ン



指揮官は最高の政治家の資質を必要とする」



ズベルト



その点、 もう一人の候補者である ルー



暗 号 名 で 呼 ば れ る ヨ ー ロ ッ パ 進 攻 作 戦 の 最 高 司 令 官 任 命 の 内 意 を 、告 げ て い た 。 マ ー シ ャ ル 元 帥 も 、喜 ん だ 。 第 一 次 大 戦 に は 参 加 し た が 、 第 二 次 大 戦 で は 、 一度も実戦指揮の



元帥は、



ア ィ ゼ ン



ハヮー大将を司令官に任命した。



引 っ 越 し の 準 備 を は じ め 、少 し ず つ 家 財 道 具 を 官 舍 か ら は こ び だ



大統領は、



さっそく



経験がない。軍人として淋しい限りである。 おそらく史上空前の大作戦の指揮をとる機会にめぐ



マーシャル



まれるのである。



ところが、 ルーズベルト



した。



ジ3 — ジ マ ー シ ャ ル 39



マ ー シ ャ ル 陸 軍 参 謀 総 長 と と も に 統 合 参 謀 本 部 を 構 成 す る 海 軍 作 戦 部 長 ア ー ネ ス ト .キ ン グ 大



将 、 大 統 領 特 別 顧 問 ゥ ィ リ ア ム -リ ー ヒ 海 軍 大 将 、 陸 軍 航 空 部 隊 司 ム 卫 目 ヘ ン リ ー .ア ー ノ ル ド 大



将 の 三 人 か ら 、猛 烈 な 反 対 が 表 明 さ れ た か ら で あ る 。 理 由は、次 の よ う な キ ング大将の大統領あ



「米 国 、 そ し て 連 合 国 に と っ て 、 最 大 の 目 的 は 勝 利 で あ る 。 そ の 勝 利 を 確 実 に で き る の は 、 参 謀



て進言に、要約される。



総長としてのマーシャル将軍の政治的手腕と献身があるからであり、それを欠いては勝利は望め



ル ー ズ べ ル ト 大 統 領 は 、 テ ヘ ラ ン 会 談 の あ と 、 カ イ ロ で マ ー シ ャ ル 元 帥 に む か い 、 「将 軍 、 キ



なぃ」



ミ が ワ シ ン ト ン に い な く て は 、私 は 安 眠 で き そ う に な い 」 と い う 表 現 で 、 最 高 司 令 官 任 命 は 中 止 し た こ と を 、告 げ た 。 マ ー シ ャ ル 元 帥 は 、 静 か に 答 え た 。



「私 は 、 ど の よ う な 大 統 領 閣 下 の 決 定 に も し た が い ま す 。 そ れ が 私 の 務 め で す 。 ま し て 、 こ の 問



マ ー シ ャ ル 元 帥 は 、「軍 事 は 政 治 に 従 属 し 、 政 治 は 勝 利 に 従 属 し ま す 」 と つ け 加 え た が 、 元 帥



題 は 、個 人 的 感 情 を 考 慮 に い れ る に は 、 あま り に も 重 大 す ぎ ま す 」



た と え ば 、 一 九 四 四 年 九 月 、大 統 領 選 挙 戦 の さ な か に 、 ルー ズ ベ ル ト 大 統 領 の 対 抗 馬 、 共 和 党



は、す べ て を 勝 利 の た め に 捧 げ る べ き だ 、 と 信じ、他 の 者 に も そ の 信 念 を 求 め た 。



の ト マ ス .デ ュ — イ . ニ ュ ー ヨ ー ク 州 知 事 が 、 米 国 が 日 本 側 暗 号 を 解 読 し て い る 事 実 を 聞 き こ み 、 それを選挙戦に利用しようとしているとの噂を、耳にした。



40



「親 愛 な る デ ュ ー ィ 知 事 閣 下 」 I



と、 マ ー シ ャル元帥は直ちに、 デ ュ ー ィ 候 補 に 親 展 の 手 紙 を



書 き 、暗 号 解 読 に つ い て 言 及 し な い よ う 、要 請 し た 。



を寨露すれば閣下は大統領を選挙で倒すことはできるでしよう。 しかし、同時にわが米国



「こ の 事 実 を 明 ら か に し て (ル ー ズ ベ ル ト ) 大 統 領 が 日 本 の 攻 撃 を 事 前 に 推 測 で き る 立 場 に あ っ た こ と



マー シャル



元帥は、あるいはデューィ候補はその切り札をださなければ落選するかもしれない



の太平洋での優位はくずれ多くの米国の若者が戦場で倒れることも明らかであります」



が 、 「そ の 落 選 は 祖 国 の 勝 利 と い う 栄 誉 あ る 報 酬 を も た ら し ま す 」 と 強 調 し た 。



シャル



元帥のすぐれた政治感覚と説得力の物語と



ァフリヵ



いるが、



ッパ進 攻作



さ れ て



上陸からョーロ



歩 兵 出 身 と し て 、地 上 兵 力 を 重 視 し す ぎ た 点 で あ る 。



元 帥 が 主 張 し た 第 二 次 大 戦 中 の 重 要 作 戦 は 、北



とくに



元 帥 の 政 治 性 に も "泣 き 所 , は あ っ た 。



エピソードもまた、 マーシャル



デ ュ ー ィ 候 補 は 、 元 帥 の 提 案 を 承 知 し 、選 挙 演 説 で は 一 言 も 暗 号 問 題 に ふ れ ず 、落 選 し た 。 この し か し 、 マーシャル



マー



陸軍軍人として、



そ れ は 、歩 兵 の 軍 靴 に よ っ て の み 保 証 さ れ る 」



戦 まで、 いわゆる戦略爆撃などの大規模空襲は含まず、あくまで地上部隊を中心にした作戦であ



「戦 勝 … … ?



った。



と は 、 元 帥 が 参 謀 次 長 時 代 、陸 軍 大 学 校 で お こ な わ れ た 図 上 演 習 の さ い 、生 徒 の 質 問 に 答 え た



ジ ョ ー ジ ,〇,マ一シャル 41



沖 繩 戦 の メ ド が つ い た 昭 和 二 十 年 六 月 十 八 日 、 ト ル ー マ ン 大 統 領 (注 、 ル ー ズ べ ル ト 大 統 領 は



言 葉 だ が 、 元 帥 は 、対 日 戦 で も そ の 主 張 を 維 持 し つ づ け た 。



四 月 十 二 日 に 死 亡 ) は 陸 海 軍 長 官 、 幕 僚 幹 部 を 集 め て 対 日 侵 攻 作 戦 を 検 討 し た 。 九 州 上 陸 、 さら



に 関 東 上 陸 作 戦 が 用 意 さ れ て い た が 、 戦 略 諜 報 局 (083)の 情 報 に ょ れ ば 、 日 本 海 軍 に は 小 機



動 部 隊 一 隊 分 の 艦 艇 し か な い 、空 軍 は 自 殺 戦 術 以 外 の 能 力 は な く 、 日 本 陸 軍 四 百 六 十 万 人 は 食 糧



ト ル ー マ ン 大 統 領 は 、 日 本 に 侵 攻 す れ ば 、 「白 人 に ょ る 領 土 侵 略 と い う こ と で 、 か え っ て 日 本



難にあ え い で い る 。上陸侵攻作戦の必要はあるまい、 という。



人 を 団 結 さ せ る 結 果 に な ら ぬ か 」 と い い 、大 統 領 特 別 顧 問 リ ー ヒ 海 軍 大 将 は 、九 州 作 戦 で は 使 用



兵 力 七 十 六 万 六 干 七 百 人 の 三 十 五 パ ー セ ン ト 、約 二 十 七 万 人 の 死 傷 が み こ ま れ る 、 と指摘して、 し か し 、 マーシャル元帥は、首 を ふ つ た 。



作戦の中止を提案した。



そして、七月、



ポッダムで



連 合 国 首 脳 会 談 が 開 か れ た と き も 、 マー



シャル



元 帥 は 、原子爆弾の



「戦 争 に は 、 手 軽 で 血 を 流 さ な い 勝 利 の 道 は あ り 得 な い 。 そ れ は 憂 鬱 な 事 実 で あ り ま す 」



実験の報告をうけながら、 日本上陸侵攻作戦の実施を主張した。



マ ー シ ャ ル 元 帥 は 、 原 爆 の お そ る べ き 威 力 に か ん す る 報 告 書 を 読 む と 、 さ り げ な く 、 そういっ



「す ば ら し い 爆 弾 だ 。 上 陸 作 戦 支 援 の た め に ニ 、 三 発 ほ し い も の だ 」



た。 のちに、元帥が回想し た と こ ろ で は 、原 爆 の 残 虐 性 を知ったがゆえに、 あえてその使用を強



42



調 せ ず に 通 常 の 戦 争 手 段 に よ る 日 本 屈 伏 策 の 遂 行 を は か っ た 、 と の こ と で あ る が 、その見解の底



米 国 の 戦 史 家 サ ン ト .グ リ ー ン フ ィ ー ル ド は 、 次 の よ ぅ な 論 評 を こ こ ろ み て い る 。



に、歩 兵 に よ る 勝 利 に た い す る 根 深 い 信 仰 が あ っ た こ と は 、 否 定 で き な い 。



「マ ー シ ャ ル 参 課 総 長 の 戦 略 が 、 慎 重 な 政 略 に 裏 打 ち さ れ て い た こ と は ま ち が い な い 。 し か し 、 そ の 政 略 も 、 し ょ せ ん は 、 た だ 勝 つ こ と を 目 ざ す 旧 式 の 軍 人 魂 に 支 え ら れ て い た 。 だ か ら 、 ひた



は、 不 向 き な 将 校 と い え る だ ろ ぅ 」



す ら 勝 利 だ け が 目 的 で あ っ た 第 二 次 大 戦 で は 有 用 だ が 、高 次 元 の 政 治 的 目 的 を 必 要 と す る 戦 争 に



マーシャル元帥は、 駐 中 国 大 使 、国 務 長 官 を つ と め た が 、中 国 大 使 時 代 、 中 国 の 国 共 内 戦 の 指



フィールドの論評の的確さが立証された、といえるかもしれない。



導 に あ た っ た も の の 、支 援 す る 蔣 介 石 軍 は 敗 北 し て 大 陸 を 追 わ れ た 。 あるい は 、戦史家グリーン



ア ー ネ ス ト .キ ン グ 43



明 治 三 十 六 年 (一九〇 三 年 ) 十 月 下 旬



I



縑食駅で小さな事件が発生した。



午後三時ごろ、駅の出札口に一人の若い外国人がやってきた。長身で黒い軍服を着て いた の で 、



. .



」 と行き先を告げたとたん、米国士官の顔がこわば



駅 員 は す ぐ 、 浦 賀 で 修 理 中 の 米 国 軍 艦 の 士 官 だ 、 と 気 づ い た 。 た ぶ ん 、鎌 倉 の 大 仏 の 見 物 に ^ も



す る と 、 ニ コ ニ コ し な が ら 「ョ コ ス 力



きたのだろぅ。



つた。 あ わ た だ し く 、 身 体 中 を さ ぐ り ま わ し 、 顔 色 が 赤 く な つ た り 青 く な つ た り し て い る 。 駅 員 の 顔 か ら も 、外 国 人 に た い す る 無 意 識 の 愛 想 笑 い が 、消 え た 。



駅長に会いたい、



と申 し 出 た 。 駅 長 も 助 役 も 不 在 だ っ た の で 、



一人の駅員が応対すると、



や が て 、 そ の 青 年 士 官 は 、多 少 の 英 語 を 理 解 す る 親 切 な 日 本 人 紳 士 と と も に 、駅長室にはいっ てきて、



士官は話しだした。



44



——



自 分 は 、 米 合 衆 国 海 軍 少 尉 候 補 生 ァ ー ネ ス ト .キ ン グ と い う 者 で あ る 。 ァ ジ ァ 艦 隊 所 属 の



巡 洋 艦 「シ ン シ ナ チ 」 の 乗 組 員 で 、 同 艦 が 浦 賀 碇 泊 中 な の で 、 鎌 倉 に 見 物 に き た 。 と こ ろ が 、 い ま 切 符 を 買 お う と す る と 、財 布 が な い 。 す ら れ た ら し い 。



ことをお



約束す



「す ば ら し い 手 ぎ わ だ 。 心 か ら 貴 国 の ス リ の 技 術 に 敬 意 を 表 す る が 、 つ い て は 、 横 須 賀 ま で の 切



る」



符 を 発 行 し て ほ し い 。 む ろ ん 米 国 海 軍 の 名 誉 に か け て 、料 金 は 近 日 中 に 持 參 す る



つきだと



I



いう信仰の持ち主だったのか







駅 員 は 、 た ど た ど し い 通 訳 を 通 じ て 、米 国 士 官 の 物 語 に う な ず い て い た が 、 聞 き 終 わ る と 、首



「彼 は 、 ひ ど く 疑 わ し そ う だ っ た 。 あ る い は 外 国 人 は ゥ ソ



をふった。 キング候補生がのちに同僚に語ったところにょると



も し れ な い 。 と に か く 、 現 金 が な け れ ば 切 符 は 売 れ な い 、 と く り 返 し 、 結 局 本 官 は ォ ー パ ー をぬ



セント



もださなかった」



キ ン グ 候 補 生 は 横 須 賀 か ら 、 さ ら に 馬 車 で 浦 賀 に 帰 り 、約 一 週 間 後 、 再 び 鎌 倉 駅 に 行 っ て ォ ー



ぎ、 そ れ を 抵 当 に し て 、横 須 賀 ま で の 三 等 切 符 を も ら っ た 」



「し か し 、 ひ ど く 不 愉 快 だ っ た の で 、 料 金 だ け を は ら い 、 チ ッ プ は 一



パーをひきとった。



太 平 洋 戦 争 中 の 米 合 衆 国 艦 隊 司 令 長 官 兼 作 戦 部 長 ァ ー ネ ス ト .キ ン グ 元 帥 は 、 そ う 当 時 を 回 想



で最後の機会であった。



し て い る が 、 こ の 鎌 倉駅事件は、元 帥 の 生 涯 を 通 じ て 、 一般の日本人市民とじかに接触した最初



ア ー ネ ス ト ,キング 45



そ し て 、 個 人 の 人 生 に は と か く 第 一 印 象 、初 体 験 が 強 い 効 果 を 与 え る も の だ が 、 キ ン グ 元 帥 の



キ ン グ 元 帥 は 、 一 八 七 九 年 十 一 月 二 十 三 日 生 ま れ 、 ア ィ ル ラ ン ド 系 移 民 で あ る ジ ェ ー ム ス .キ



場 合 も 、鎌 倉 駅 事 件 は 、元 帥 の 対 日 観 に 根 深 ぃ 影 響 を ぉ ょ ぼ し た 。



ングの三 男 で あ る 。 父 は 、鉄 道 会 社 の 職 員 だ っ た 。



太 平 洋 戦 争 が は じ ま っ た と き は 、海 軍 大 将 で あ り 、大 西 洋 艦 隊 司 令 長 官 で あ っ た 。



一九 〇 一 年 に 海 軍 兵学校を卒業し、 アジア艦隊、大 西 洋 艦 隊 乗 り 組 み 、潜 水 艦 、 飛行隊勤務を 経 て 、 そ の 厳 格 で 有 能 な 資 質 を 評 価 さ れ な が ら 、着 実 に 昇 進 し て い っ た 。



開 戦 に と も な い 、 キ ン グ 元 帥 は 米 合 衆 国 艦 隊 司 令 長 官 に 任 命 さ れ 、 一九四ニ年三月には、作戦



米 海 軍 作 戦 部 長 は 、 日本 海 軍 の 軍 令 部 総 長 に あ た る 職 務 で 、 いわば最高幕僚長である。当 然 、



部長を兼ねた。



キング



この



重責に



さして



動 揺 し な か っ た 。 理 由 は ニ つ ——



元帥はかねて日本に



元 帥 の 肩 に 、太 平 洋 の 勝 利 の 期 待 が 集 中 し た 、 といえる。



元帥は、



キング



そ の 責 任 は 米 海 軍 の 戦 略 構 想 、作 戦 計 画 の 立 案 の す べ て に わ た る 。 ことに対日戦の主役は海軍で



だが、



あるだけに、







報告にきた副官の前で、



ハッシとテー



すで



ブルを



と大 声 で 叫 ん だ が 、 た し か に そ の 言 葉 ど お り 、



聞 く と 、



にはわかっていた」



元 帥 は 、真 珠 湾 攻 撃 の ヮシ



ニュース



たいする海軍戦略に独特の持論をもち、また戦争の能率的遂行についてのアィデアも持っていた



キング



からである。



た た き 、 「そ れ だ 、



46



に大佐時代に日本の真珠湾攻撃の可能性を指摘していた。



キ ン グ 元 帥 は 、 一九三ニ〜三三年、大 佐 の と き 、海 軍 大 学 校 高 級 課 程 学 生 と な っ た 。



キング



元 帥 は 、次 の よ う な



レポートを



提出し た 。



米 海 軍 の 関 心 は 日 本 海 軍 に あ り 、学 生 に 与 え ら れ る 研 究 テ ー マ も 、 つねに日本海軍打倒戦略で



「… … 歴 史 的 に み て 、 米 国 は 戦 争 に た い す る 事 前 準 備 を 十 分 に お こ な え な い 体 質 を 持 っ て い る 。



あった。



す な わ ち 、市 民 の 利 益 を 第 一 に 考 え る 米 国 式 民 主 主 義 の 下 に お い て は 、政 策 は 市 民 に 重 点 が お か れ 、 国 家 は 優 先 さ れ な い 。市 民 の 関 心 が 、 各 自 の 個 人 的 利 益 に 集 中 し て い る 以 上 、 国 家 の 立 場 で



,オ レ ン ジ " ( 日 本 ) は 、 わ れ わ れ を 不 利 な



対外



戦 に ひ き ず り こ ん で 打 撃 を 与 え よ



こ こ に 、 米 国 の 軍 事 的 弱 点 が あ る 。 つまり、 米 国 は 敵 の 攻 撃 に た い し て 、 す 早 く 反 応 で き な い 。



危 機 に そ な え る な ど と い う 配 慮 は 、市 民 の 歓 呼 を さ そ う こ と が 不 可 能 だ か ら で あ る 。







いや、国 民 は 対 外 戦 争 に 反 対 の 意 向 さ え 表 明 す る だ ろ う 。 そ こ で 、



ま き こ ま れることを、



期待せ



ねばならない」



,と の 戦 い で は 、 ま ず き わ め て 不 利 な "手 段 と 方 法 " し か 与 え ら れ



う と す る だ ろ う 。 そ の た め に は 、 ,オ レ ン ジ , は フ ィ リ ビ ン 、 さ ら に ハ ヮ ィ を 攻 撃 す る 可 能 性 も



戦争に



あり、 わ れ わ れ はガオレンジ ない



キ ン グ 元 帥 が こ の よ う な 考 え 方 を も っ た の は 、元 帥 に よ れ ば 、まさにその 四 十 年 前 の 鎌 倉 駅 事 件 が 根 拠 に な っ て い た 。 元 帥 は 、 いう。



ア ー ネ ス ト .キ ン グ 47



「ヵ マ ク ラ で の 体 験 は 、 私 に 日 本 人 の 二 つ の 特 性 を 教 え て く れ た 。 ひ と つ は 、 財 布 を う ば う の に



暴 力 よ り は ス キ を ね ら う 技 術 を 重 視 す る と い う こ と で あ り 、 も う ひとつは、駅員の態度が象徴し



て い る 如 く 、相 手 の 不 利 に 容 赦 し な い と い う こ と だ 。 こ の 二 つ の 特 性 が 軍 事 面 に 発 揮 さ れ れ ば 、



日 本 の 戦 争 の や り 方 が 、奇 襲 と あ ら ゆ る 方 向 へ の 前 進 基 地 推 進 を 基 本 に す る こ と は 、容 易 に 想 像 できるはずだ」



攻勢という四



そこで、 ,キ ン グ 元 帥 は 、 海 軍 大 学 校 で の レ ポ ー ト に 、 対 日 戦 の 遂 行 方 法 も 書 き 加 え た 。



「ゆ え に 日 本 に た い す る 戦 争 方 法 は 、 自 然 に ① 防 禁 4 ② 防 禦 攻 勢 4 ③ 攻 勢 防 禦 -



イニシア テ ィ ブ を



次 に 部 分 的 な 攻 撃 を 加 え る 防 禦 攻 勢 を 試 み 、戦力が充実したところで



とる。 し か し 、そ の 段 階 で も 、 日 本 側 の 浸 透 作 戦 を 考 え 、兵力 の 多 く を



され、



段階の過程をふむことになる。 すなわち、 われわれは最初は準備不足というよりも、無準備の状



戦争の



態で開戦を余儀なく



である」



後 方 基 地 確 保 に ま わ す 攻 勢 防 棄 体 制 を 維 持 し 、確実に後方が安全にな っ て か ら 攻 撃 に 専 念 す べ き



キ ン グ 元 帥 は 、開 戦 と と も に ヮ シ ン ト ン に 呼 ば れ 、 ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 か ら 米 合 衆 国 艦 隊 司 令



コース



も腹案があります」



とつ



づけよ



長 官 任 命 の 内 示 を う け 、 つ い で 対 日 戦 略 に つ い て 質 問 さ れ る と 、即 座 に か つ 自 信 に み ち て 、以上 大 統 領 は 、 「さ ら に 最 も 有 利 な 太 平 洋 進 撃



キ ン グ 元 帥 を お さ え 、 そ れ に し て も よ く 事 前 の 研 究 が で き て い る 、 と 感 心 し た 。 キング



ルーズベルト



のような大佐時代の構想をひれきした。



う と す る



「ィ エ ス 、 ミ ス タ ー 大 統 領 。 本 官 は 四 十 年 前 か ら 日 本 と 日 本 人 を 知 っ て



元 帥 は 、胸 を は っ た 。



ささいな



とるよう な こ と を



せず、 か も し れ な い … … 。



かたに



おります」



もっと



親切に



ころの







明治三 していれば、



体験にもとづいた元帥の対日戦略は着実である。その意味では、



キ ン グ 元 帥 の ハ ッ タ リ で あ る 。 元 帥 の 知 日 体 験 は 、前 述 の 如 く 、 わ ず か に 二 十 四 歳 の



しかし、その



倉駅事件にすぎない。



バーを



あるいは太平洋戦争は別の様相で展開した



十六年に鎌倉駅員が元帥のォー



--- と こ ろ で 。



した



キ ン グ 元 帥 は 、米海軍' の 最 高 貴 任 者 で あ る 米 合 衆 国 艦 隊 司 令 長 官 の ほ か に 、作 戦 用 兵 の 貴 任 も



「作 戦 計 画 の 根 本 は 、 戦 力 の す べ て を ム ダ な く 、 か つ す べ て を 能 率 よ く 動 か す こ と に あ る 。



負う作戦部長を兼任することになったが、元帥は、 この面でも用意ができていた。



そ し て 「す べ て を







X



リ ー酒 を 飲 み 、



パ1 セ ン ト に 」 を モ ッ ト ー に し



が っ て 、 良 い 作 戦 が 考 え だ さ れ る た め に は 、 組 織 が つ ね に 有 効 に 動 く よ う に 、機 構 と 人 員 配 置 が



元 帥 は 、 「厳 格 公 正 」 「即 時 実 行 」、



と た ず ね る と 、 元帥



モ ッ ト ー に の っ と っ た も の で 、酒 は 夕 食 時 に ニ 、 三 杯 の シ



タ バ コ も 一 日 紙 卷 タ バ コ 一 箱 だ け で あ る 。 の ち に 、伝 記 作 者 が 、 趣 味 は ?



ていた。生 活 も こ の



キング



整備されていなければならない」



48



「映 画 俳 優 で は ス ベ ン サ



は答えている。 I



,ト レ



ィ シ ーが 一 番 好 き だ 。 楽 し み と い え ば 、



ク ロ ス .ヮ ー ド .パズ



ル をと く こ と だ が 、 や る の は 問 題 が 難 し い と き に 限 る 。 ス ポ ー ッ は ゴ ル フ が 好 き だ 。 し か し 、 こ



まこと に 〃 無 趣 味 " ともみえる仕事第一主義であるが、 かといって、元帥は神経質な官僚タィ



れもやれ る と き の 話 で 、 た い て い は 、 散 歩 に な っ て し ま う 」



プ で よ な か っ た 。 む し ろ 、 つ ね に 「型 を つ く ら ず 、 型 を 破 る 」 こ と が 、 「組 織 に 生 命 を 与 え る 必



I



米大 西 洋 艦 隊 の 方 針 は 、 海 軍 長 官 に よ っ て 承 認 さ れ た 米 海 軍 政 策 に も と づ く 。 この



I



命令または指示をだす場合、要求する結果については明確な用語で規定されるべ



I



下級者の積極的行動は奨励される。その進言は歓迎されねばならない。



下 汲 者 は 、 そ れ に よ っ て 自 分 で 考 え 、 判 断 し 、決 定 し 、行 動 す る こ と を 習 得 す る か ら で あ る 。



下級者の積極的行動



よい。



き だ が 、 実 行 方 法 に つ い て は 、情 勢 即 応 の 余 地 を 残 す た め に 、 一般的な表現にしておくほうが



命 令 と 指 示



戦態勢にあることを要求される。



方 針 を 遂 行 す る た め に は 、大 西 洋 艦 隊 の 全 艦 艇 、全 部 隊 は 、 つねに物 心 両 面 に お け る 最 高 の 臨



基本政策



表した。



一 九 四 一 年 二 月 に 大 西 洋 艦 隊 司 令 長 官 に な る と 、 さ っ そ く 次 の よ う な 『大 西 洋 艦 隊 綱 領 』 を 発



須条件だ」 という信条の持ち主であった。



ア ー ネ ス ト .キ ン グ 49



50 す べ て を























卜纟 に大 西 洋 艦 隊 の 全 部 隊 は 、



つねに保有する人的、物的資源を最良かつ



き に 、太 平 洋 戦 争 が



はじまり、 キング



あっ







訓 練 さ れ 、第 二 に 保 有 す る 装 備 は つ ね に



最 も 有 力 に 利 用 す る こ と を 心 が け ね ば な ら な い 。戦 争 に 、準 備 不 足 と い ういいわけは不要であ ょう



いると



維持され、利用されねばならない。



る。 ま ず 第 一 に 、 必 要 な 任 務 を 完 全 に 達 成 で き る ょう



こ の 『大 西 洋 艦 隊 綱 領 』 の 実 践 に と り か か っ て



最大効果を発揮できる



帥 は 作 戦 部 長 と な っ た 。 元 帥 が 、 さ っ そ く 『綱 領 』 の 方 針 を 作 戦 部 に 適 用 し た の は 、 自 然 で



キ ン グ 元 帥 が 作 戦 部 長 に 就 任 し た と き 、部 員 は 八 十 五 人 で あ っ た が 、 元 帥 は 一 貫 し て 人 員 の 縮



た。



「組 織 を 最 も 生 き 生 き し た 状 態 に し て お く に は 、 各 自 に せ い い っ ぱ い 仕 事 を さ せ る 必 要 が あ る 。



小 、不要業務の削減を主張しつづけた。



きる



仕 同じ



だ 。 だ か ら 、 一人でで



仕事に こと



たいせつである」



そ の た め に は 、有 能 な 少 数 の 者 に た く さ ん の 仕 事 を 与 え る



ことが、



二人はいらず、 一人に二つの仕事はいらなくなる。ま た 、人間は疲れるから、 いつまでも 事を与えるのもまずい。その人物の能力の最良の部分を活用する



キ ン グ 元 帥 は 、 そ う い っ て 、特 定 の 担 当 者 以 外 は 、 あ ら ゆ る 機 会 を 求 め て 部 員 を 各 戦 線 か ら 選 抜 し 、 せいぜいー年間前後で激しく交代させた。 この元帥の職場管理方式は予想以上の効果をあ



副 官 : 3, :オ レ ム 中 佐 は 、 い う 。



「む ろ ん 、 作 戦 部 が す ぐ れ た 業 績 を あ げ た の は 、 厳 格 な 規 準 で 最 優 秀 の 将 校 を あ つ め る こ と に 努



率は下がるどころか、 かえって職場には、 つねに前線の緊張感が導入されて絶えることがなく、



力 し た た め だ が 、優 秀 者 だ け に 仕 事 の の み こ み は 早 か っ た 。 お か げ で 、 一 年 未 満 で 交 代 し て も 能



打倒に陸軍主力を投入する必要があるため、 日本との戦いは海軍に主導権がある、と



上 陸 作 戦 の 先 頭 に 立 つ 。 元 帥 は 、 上 陸 用 舟 艇 の 改 良 に よ り 、海 兵 隊 が そ れ ま で よ り も 画 期 的 に す



海 兵 隊 は 、 日 本 海 軍 の 陸 戦 隊 と 同 じ く 海 軍 に 所 属 す る が 、陸 戦 隊 よ り も は る か に 戦 闘 力 を 持 ち 、



元 帥 が と く に 注 目 し た の は 、海 兵 隊 の 能 力 向 上 で あ る 。



て を 百 パ ー セ ン ト に 」 の モ ッ^ にしたがい、新 し い 戦 闘 能 力 の開発にも眼をひ力らせた



そ こ で 、 元 帥 は 、 一 方 で 持 論 に 即 応 し た 海 軍 軍 備 を と と の え る 努 力 を つ く す と と も に 、 「す べ



元帥の戦略方計を承認した。



ス .ド ィ ツ



キ ン グ元帥は、 四 段 階 の 対 日 戦 遂 行 方 法 を ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 に 進 言 し 、大統領は当分はナチ



強い反陸軍意識である。



ひとつは、 すでに述べたように、元帥が大佐時代に思いついたままであること、 もうひとつは、



の考案に没頭したが、その戦略はまた、 二つの特徴をもっていた。



ま た 仕 事 に 個 人 の シ ミ が つ く こ と も な く 、仕 事 は い つ も 能 率 的 、 具 体 的 に 処 理 さ れ て い っ た 」 キ ン グ元 帥 は 、 こ の よ う に ま ず 自 分 の 職 責 を は た す た め の 土 台 を 作 り 、 そ の う え で 、 対 日 戦 略



5 1 ア ー ネ ス ト ,キング



52



早 く 、 か つ 大 量 に 兵 員 、 資 材 の 揚 陸 が で き る よ う に な る と 、 陸 軍 参 謀 総 長 ジ ョ ー ジ .マーシャル



「陸 軍 は 、 は っ て 前 進 す る が 、 海 兵 は 走 っ て 敵 陣 に と び こ み ま す 。 師 団 単 位 の 兵 力 を 一 気 に 上 陸



元 帥 に 、陸 海 協 同 作 戦 の 活 用 を 提 案 し た 。



という



表現が気に



さ せ る の で す か ら 、 日 本 側 が 守 る 太 平 洋 の 島 に た い し て は 、 そ の 大 小 を と わ ず 、海 兵 は 利 用 で き



だが 、 マーシャル参謀総長の反応は冷たかった。陸 兵 は は い 、 海 兵 は 走 る 、



ま す 。 と い う こ と は 、今 後 は 、 陸 軍 と 海 軍 と が 手 を つ な い で 日 本 に 進 め る わ け で す 」



「結 構 な ビ ジ ョ ン で す が 、 海 軍 に は 通 信 、 衛 生 、 情 報 そ の 他 複 雑 な 要 素 か ら な る 集 団 兵 力 を 指 揮



いらなかつたらしい。



マー



シャル



参謀総長と協調はしたが、



す る 伝 統 は な か っ た よ う に 思 い ま す 。 上 陸 は 、 た し か に う ま く お や り に な れ る 。 し か し 、 海軍の 限度は浜辺まで、そのあとは陸軍の持ち場でしような」



し て



マーシャル参謀総長の冷言に、 キング元帥も姿勢を冷却化させた。 いらい、 キング元帥は' 同じく統合参謀本部の一員と



こ と 対 日 戦 略 の 基 本 方 針 に つ い て は 、頑 固 に 自 分 の 主 張 を 維 持 し つ づ け た 。 「防 禦 」 「防 禦 攻 勢 」 「攻 勢 防 禦 」 「攻 勢 」 と い う 四 段 階 作 戦 の う ち 、 キ ン グ 元 帥 は 、 一 九 四 ニ 年



ラリアに



集結するマッカー



サー軍に ソロモン



群島を制圧させる作戦



(昭 和 十 七 年 ご ハ 月 の ミ ッ ド ゥ ユ ー 海 戦 で 第 ニ 段 階 が 終 わ り ゝ 第 三 の コ 攻 勢 防 禦 し 段 階 に は い っ



陸軍も同意して、 オースト



たと考えた。



ア ー ネ ス ト .キ ン グ 53



「と ん で も な い 。 島 は 海 に あ る 。 海 は 海 軍 の 職 場 だ 。 作 戦 は 、 太 平 洋 艦 隊 司 令 長 官 の 管 轄 に な



を 計 画 し た 。 そ し て 、 マーシャル参謀総長は、作 戦 の 主 導 権 は 陸 軍 が に ぎ る 、 と主張した。



















































群 ナ 島を突破す







































が最適 ス



日 ら 本に







しきりに



















は、 ト



























確信していた。 と



群島の南に ル



、 ャ































諸 ト 島制圧作戦を主張し



も 、大 佐 時 代 の 構 想 で パ











群 島 、 カロリン諸島の北側



キ ン グ 元 帥 は 憤 然 と し て 反 対 し 、 七 月 五 日 、偵 察 機 が ガ ダ ル カ ナ ル 島 に 日 本 軍 飛 行 場 を 発 見 す と 、 モ ッ ト ー ひ の とつで あ る 「 即時実行」 にしたがい、 ただちに第一海兵師団に発令して、 一



る」











元帥は



か月後にガダルカナル島に上陸させた。







が、 一九四三年になる



「マ リ ア ナ に む か う に は 、 南 か ら の 脅 威 を の ぞ く 必 要 が あ る か ら だ 。 そ し て 、 マ リ ア ナ ま で の 敵



た。



の島の基地をつぶせば、 日本艦隊は必ず総力をあげて出てくる。 ポケットの財布をスラれる心配



.















大 ツ 将 に 対 日 進 攻 計 画 を 説 明 し た 。そ し て 、 一九四三年十一月にギルパート諸島タラ



キング元帥は、 ょほど四十年前のスリがうらめしいとみえ、そ う い っ て 太 平 洋 方 面 総 司 令 官



な し に 、全 力 投 球 の 決 戦 が で き る 」



0



ワ 環 瞧 攻 略 が す む と 、翌 年 七 月 に は 、 マ リ ア ナ 群 島 サ ィ パ ン 島 を 占 領 す る 計 画 を た て た 。



54 し か し 、 サイパン島が



陥落し、



戦に



と も な う 『マ リ ア ナ



沖海戦』



で日本海軍が く り だ



元帥は、 日本には進まず台湾を攻撃する作戦を主張した。



サイパン キング



キング元帥の心境が変化したためではなく、 むしろ、元帥の失望によるものであった。元帥は、



した小沢機動艦隊を撃破すると、



七月二十一日、 ハワィで一ミ ッ ツ 大 将 に 語 っ た 。 「あ ら ゆ る 徴 候 か ら み て 、 日 本 は 弱 り き っ て い る 。 も は や 、 わ れ わ れ が 夢 み た 日 米 艦 隊 の 大 決 戦



ア ジ ア か ら の 補 給 源 を 遮 断 し て 、本 土 を 爆 撃 す れ ば い い 。 そ れ に は 台 湾 を 占 領 す れ ば 、 日本と東



は 期 待 で き な い 。 し て みれば、 われ わ れ 海 軍 と し て は 、 日 本 を 屈 伏させるためには、 日本の東南



南アジアとの連絡はとだえる」



ッ ツ大 将 が い う よ う ニ、 , ,



に、



マッカー



サ ー 大 将 ハがワ イ に く る 。



ルーズべルト



大統領



もくる。



「陸 軍 は 、 フ ィ リ ビ ン 攻 撃 を 主 張 し て い ま す 。 一 週 間 後 に は マ ッ カ ー サ ー将 軍 が き ま す が 」



キング元帥に代表される海軍の台湾コースと、 マッカーサー大将が主唱する睦軍のフィリピン攻 略 と 、 そ の い ず れ が 対 日 戦 略 と し て 優 先 す べ き か 、 大 統 領 が ニ .ミ ッ ツ 、 マ ッ カ ー サ ー 両 指 揮 官 と



「フ ィ リ ピ ン 攻 撃 は 戦 略 的 に は 無 意 味 だ 。 意 味 が あ る と す れ ば 、 日 本 占 領 下 に 抵 抗 し た 7 ィリビ



協議して決定するためである。



ニミッツ



大将の手をにぎりしめた。



ミ ッ ツ 大 将 も 、「 奮 闘 します」 と答えた。 -1



キ ン グ 元 帥 は 苦 々 し げ に 論 評 し 、 「政 治 的 な 見 え で は 戦 争 に 勝 て な い 。 ぜ ひ 、 が ん ば っ て く れ 」



ン市民を激励する、 という政治的効果だけだ」



と、



ア ー ネ ス ト .キ ン グ 55



し か し 、政 治 家 で あ る ル ー 文 べ ル ト 大 統 領 は 、結 局 は 、 マ ッ ヵ ーサー大将が強調する〃政治的



報 告 を 聞 い て 、 キ ン グ 元 帥 は 、作 戦 次 長 0 鲁クック中将に、 いった。



作戦. ,に 賛 成 し て 、 フ ィ リ ピ ン 攻 略 作 戦 が 承 認 さ れ 、台 湾 は す ど お り と き ま っ た 。



「大 統 領 は 、 米 陸 海 軍 の 最 高 司 ム 卫 目 だ 。 そ の 決 定 に は 従 わ ね ば な ら な い 。 し か し 、 ど ぅ や ら 戦 争



は、政 治 的 段 階 に は い っ た ょ ぅ だ 。 そ し て 戦 略 は 政 略 に 従 属 し な け れ ば な ら ず 、 勝利のためのチ



そ の 後 、 キ ン グ 元 帥 は 陸 軍 の 主 張 を 尊 重 す る 態 度 を 示 し つ づ け 、陸 軍 が 計 画 す る 日 本 本 土 上 陸



— ム .ヮ ー ク は く ず し て は な ら な い 」



I



冗談である。



と質 問 す る と 、



元 帥 は 辞 職 願 い を 受 理 さ れ て 辞 職 し た が 、後 任 の ニ ミ ッ ツ 元



作 戦 も 支 持 し な が ら 、終 戦 を 迎 え た 。 キング



元帥は日本本土進攻作戦には反対だったのになぜ考えを変えたのか、



元帥は微笑して答えた。



キング



一九四五年十二月十五日、



キング



帥が、



むろん



「四 十 年 前 に 盗 ま れ た 財 布 を と り か え せ る か と 思 っ て ね 」



56



ロハ — Iト ,



,力



^ ^ .一ニ



「と に か く 、 一 緒 に い る 、 寝 る と き 以 外 は 、 つ ね に お 互 い の 〃 視 界 , 内 に い る こ と 。 こ れ が 、 チ



パ ー ト .8.力 ー ニ ー 少 将 は 、 着 任 す る と 、 ま っ 先 に 参 謀 た ち を 集 め て 、 〇



— ム .ヮ ー ク を つ く る 初 歩 的 な 秘 訣 だ 」 米第三艦隊參謀長



る 。 性 格 の 強 烈 な 指 揮 官 の 下 で は 、 良 き に つ け 悪 し き に つ け 、 な に は と も あ れ 、幕 僚 陣 の 団 結 が



そ ぅ 注 文 し た 。艦 隊 司 令 長 官 は 、 ゥ ィ リ ア ム .ハルゼー大将。 米 軍 き っ て の 猛 将 と み な さ れ て い



必要だと判断したからである。



I



」 の第二甲板にある艦隊司令部会讓室だった







だ が 、 い い 終 わ っ た 数 分 後 、 ヵ ー ニ ー 參 謀 長 は 、 「前 言 取 り 消 し 。 諸 君 は す で に べ テ ラ ン だ 」



ュージャージ 「-1



と 、会 心 の 笑 み を も ら す こ と に な っ た 。 幕 僚 た ち を 集 め た の は 、旗 艦



が、部 屋 の 内 側 の ド ア に は り つ け て あ る 看 板 に 、 力ーニー参謀長 は 気 が つ い た か ら で あ る 。



ロパ 一 ト . 3 . 力 一 ニ 一 57



「卑 劣 計 画 部 」 (ダ ー テ ィ . ト リ ッ ク .



デパー



ント)



文 宇 を 眺 め た と た ん 、参謀



と叫んで、 ニコニコと訓示終了を宣言した。



という



ト メ



——



か」



「卑 劣 計 画 部 」 は 、 真 珠 湾 を 日 本 機 動 部 隊 が 空 襲 し て 太 平 洋 戦 争 が は じ ま っ た と き 、 当 時 、 第 八



長 は 、 「お お 、 ま だ そ の 心 境 を 忘 れ ず に い た の



トリックはない



もので しょうか」



と 質 問 し て い ら い 、 参 謀 た ち は 「卑 劣 計 画 部 」 を 自 称 し 、 卑 劣



機 動 部 隊 司 令 官 だ っ た ハ ル ゼ ー 中 将 に 、 参 謀 の 一 人 が 、 「卑 怯 な ジ ャ ッ プ に 仕 返 し で き る 卑 劣 な



ハ ル ゼ ー 艦 隊 の 巡 洋 艦 艦 長 で あ っ た 力 ー ニ ー 大 佐 も 、 こ の 「卑 劣 計 画 部 」 な る ァ ィ デ ァ に 共 鳴



計画の考案に熱中してきた。



る こ











知 り 、大 い に 満 足 し た の で あ る 。



し て い た 。 だ か ら 、參 謀 長 就 任 と と も に 、 そ の 当 時 の 精 神 と 気 迫 が 参 謀 た ち の 胸 に 生 き 残 っ て い



力 ー -1—参 謀 長 は 、 初 歩 的 な 注 意 は 撤 回 し て 高 級 な 討 議 に 移 る 、 といい' 、 「卑 劣 計 画 」 の 理 論 体系をつくりあげたい、 と述べた。























声 と 同 じ く 、多 少 の 空 気 の 震 動 以 外 に は 、 具 体 的 な 効 果 を 与 え る こ と は で き な い 」



「ど ん な 計 画 に も 理 論 が な け れ ば な ら な い 。 理 論 と 思 想 に も と づ か な い ブ ラ ン や 作 戦 は 、 女 性 の



ま ず 部 員 で あ る 諸 君 か ら 、 そ の 理 論 解 説 を 願 い た い 、 と 質 問 し た が 、 返 答 が な い の で 、 「で は 、



本 官 の 考 え を ひ ろ う す る が 、 そ も そ も 卑 劣 な だ ま し 討 ち と い う の は 、相 手 に 最 も 迅 速 か つ 効 果 的



ら 、 た い し て チ ェ を め ぐ ら す 必 要 は な い 。 そ こ で 、 ま ず わ れ わ れ の 戦 術 思 想 は 、先 制 攻 撃 主 義 を



な 打 撃 を 与 え る 目 的 の た め に 、考 え る も の だ 。 じ っ く り 、 かつじわじわと敵をやっつけてよいな



58



し か し 、 や み く も に パ ン チ を く ら わ す だ け で は 、 こ れ ま た チ ェ は い ら な く な る 。 そ こ で 、 パン



基本にする。



チ を 有 効 に す る た め に 、 つ ね に 主 導 権 を に ぎ っ て ジ ャ ブ を く り 返 し 、 一 定 地 域 に 敵 を 集 め 、 釘づ



ナ を し か け 、 ま ち が い な い 時 に ま ち が い な い 打 撃 を 与 え る …… こ れ が 卑 劣 計 画 の精髄というもの



け に し て お い て 、 一気に全力攻撃をくわえて、敵 を せ ん 滅 す る 。 そ の チ ャ ン ス を つ く る た め の ワ



つまりは、 敵 を ひ き ょ せ 、 あ る い は 集 中 さ せ て 攻 撃 す る 〃 せ ん 滅 戦 " の 過 程 が 卑 劣 計 画 作 戦 だ 、



だろう」



というのである。



1 1参 1 謀 長 は そ の 卑 劣 計 画 論 理 を 最 も 大 規 模 な 形 で 実 行 す る 機 会 を 、発 見 し た 。



し ご く 常 識 的 な 説 明 で あ り 、 参 謀 た ち は 鞋 い 失 望 の 表 情 で う な ず い た が 、 一 九 四 四 年 (昭 和 十 九 年 ) 十 月 、 力ー



当 時 、 ハ ル ゼ ー 大 将 の 第 三 艦 隊 は 、 大 型 空 母 八 隻 、 軽 空 母 八 隻 、 戦 艦 六 隻 、 重 巡 六 隻 、軽 巡 九



れていた。 サ ー 軍を安全にレイテ島に上陸させるためには、 日本機をレイ テ



、ッ チ ャ ー 中 将 ) を 基 隻 、 駆 逐 艦 五 十 八 隻 、 計 九 十 五 隻 を 四 群 に わ け た 第 三 十 八 機 動 部 隊 ( 5," 幹 と し て い て 、 十 月 二 十 日 は 予 定 さ れ た マ ッ カ ー サ ー軍 の レ イ テ 島 上 陸 を 支 援 す る 任 務 を 与 え ら



力 ー ニ ー 参 謀 長 は 、 マッカー



島 に 来 さ せ な い こ と だ と 考 え 、そ の た め 、 最 も 強 力 な 基 地 、九 州 と 台 湾 の 日本航空兵力の撃滅を



ロ バ ー ト ,8 ,力 59



九 日 、



力 — —丨 參 謀 長 の 作 戦 計 画 を 承 認 し た ハ ル ゼ —大 将 は 、 重 巡 三 隻 、 駆 逐 艦 七 隻 を



卑劣計画で達成しようとした。



,ス ミ ス 少 将 に 指 揮 さ せ て 沖 繩 攻 撃 に む か わ せ た 。



十月 入



貴 艦 隊 の 目 的 は 敵 の 注 意 を か き た て る こ と に あ る 、 と 力 ー ニ —參 謀 長 が ス ミ . ス少将にいうと、 ハルゼー大将もつけ加えた。



ス ミ ス 部 隊 は 、沖 繩 東 部 の 南 大 東 島 を 襲 い 、 砲 撃 を 加 え 、 煙 幕 を は り 、 照 明 弾 を う ち あ げ る な



「で き る だ け 騒 々 し く 動 い て 、 大 艦 隊 接 近 の 印 象 を 日 本 に 与 え ろ 」



ど 、文 宇 ど お り に 〃 騒 々 し い 攻 撃 ,を 展 開 し た 。



ヵ丨一ー参謀長は、 第 一 段 階 は 成 功 し た と 判 断 し 、 翌 十 日 朝 、 第 二 段 階 作 戦 を 発 動 し た 。



沖 繩 本 島 、奄 美 大 島 、 南 大 東 島 、 宮 古 島 な ど に 約 三 百 四 十 機 を と ば し 、 爆 弾 五 百 四 十 一 ト ン 、



ロ ヶ ッ ト弾六百五十二発、 魚 雷 二 十 一 本 を 投 下 し た 。 日 本 側 の 損 害 は 、飛 行 機 三 十 機 、艦 艇 二 十



日本 陸 海 軍 は 、 フ ィ リ ピ ン 、 台 湾 お よ び 南 西 諸 島 (琉 球 )、 本 土 (北 海 道 を 除 く )、 北 東 方 面



一隻、 船 舶 四 隻 を 数 え た 。



を発 令 し た 。



視察の



(千 島 、 樺 太 、 北 海 道 ) を 対 象 と す る 「捷 号 」 作 戦 計 画 を 用 意 し 、 そ れ ぞ れ 捷 一 号 〜 捷 四 号 作 戦 と名づけていた。



訪 れ て い た 。 豊 田 大 将 は 、 「基 地 航 空 部 隊 捷 ー 号 、 捷 ニ 号 作 戦 警 戒 」



ハ ル ゼ ー 機 動 部 隊 の 沖 繩 空 襲 の さ い 、 連 合 艦 隊 司 令 長 官 .豊 田 副 武 大 将 は 、 フ ィ リ ピ ン 帰 途 、台 北 を



60



強 い パ ンチで敵を立ち上がらせひきつける、 と



田 大 将 は 「基 地 航 空 部 隊 捷 ー 号 、 捷 二 号 作 戦 発 動 」



を下



ヵ ー ニ ー 參 謀 長 は 、第 三 段 階 作 戦 を 開 始 し た 。 十 月 十 一 日 、 ル ソ ン 島 北 部 ア パ リ 飛 行 場 を 空 襲



成 功 し 、豊



だいに



し て 、 左 翼 の 安 全 を 確 保 し た の ち 、 十 二 日 、台 湾 南 部 を 攻 撃 し た 。



丨 -1 參 謀 長 の 計 画 は



少 し ず つ 、 しかし絶え間なく、そ し て し



いぅ力—



丁部隊( 丁



はタィフー ン の 頭文字)が待機していた。



南 九 州 、台 湾 に は 第 二 航 空 艦 隊 が 展 開 し て い た 。 と く に 鹿 屋 基 地 に は 、第 一 、 第 二 航 空 艦 隊 の



令 し た 。



き る



十 二 日 は 、 丁 部 隊 の 威 カ を た め す の に ふ さ わ し く 、 台 湾 東 方 に 台 風 が 接 近 し て い た が 、 丁部隊



精 鋭 を 集 め 、台 風 の 中 で も 出 撃 で



攻 撃 は 連 日 く り 返 さ れ 、十 三 日 は 丁 部 隊 三 十 ニ 機 、 十 四 日 は 第 二 航 空 艦 隊 の 第 一 次 百 二 十 四 機 、



五 十 六 機 が ま ず 出 撃 し 、次 い で 陸 軍 航 空 部 隊 も ふ く め た 四 十 五 機 が 、 とびたった。



第 二 次 二 百 二 十 五 機 、 丁 部 隊 三 十 九 機 、 十 五 日 は 陸 海 協 同 で 第 一 次 二 十 七 機 、第 二 次 百 機 が 、 ハ



十 五 日 の 第 二 次 攻 撃 隊 は 、編 制 百 機 の ぅ ち 実 働 は 海 軍 機 が 一 式 陸 攻 十 三 機 、 ゼ ロ 戦 十 六 機 、陸



ルゼー部隊を襲った。



な い 、



と 止 め る 部 下 に 、有 馬 少 将 は 黙 っ て 首 を



ふり、



階級章を



はず



軍 戦 闘 機 七 十 機 で ぁ っ た が 、 第 二 十 六 航 空 戦 隊 司 令 官 、 有 馬 正 文 海 軍 少 将 が 攻 撃 機 に の っ て 、指 揮した。司令官が行く必要は



午 後 三 時 五 十 四 分 、 「全 軍 突 撃 」 を 下 命 し た の ち 、 被 弾 し た 司 令 官 機 は 敵 空 母 め が け て 落 下 し



し 、 双 眼 鏡 に 書 か れ た 「司 令 官 」 の 文 宇 を ナ ィ フ で け ず っ て 、 一 番 機 に の り こ ん だ 。



ロ バ 一 ト ,8 ,力 一 ニ 一 61



て、自 爆 し た 。



こ の 戦 い は 「台 湾 沖 航 空 戦 」 と 呼 ば れ た が 、 日 本 側 は 大 戦 果 に お ど り あ が っ た 。 第 一 日 め の 丁



部 隊 が 「空 母 ら し き も の 四 隻 撃 沈 」 と 報 告 し た の を は じ め 、 敵 を 発 見 で き な か っ た 十 四 日 出 撃 の



第 二 次 攻 撃 隊 以 外 は 、 い ず れ も 空 母 も し く は 大 型 艦 の 撃 沈 と 撃 破 を 伝 え 、 っいに大本営海軍部は



す で に サ ィ パ ン 島 は 落 ち 、 ひ し ひ し と 敗 勢 を 感 じ は じ め て い た と き だ け に 、 日本全国がわきた



「空 母 十 一 隻 撃 沈 、 八 隻 撃 破 」 と い ぅ 戦 果 を 発 表 し た 。



った。 天 皇 陛 下 は 連 合 艦 隊 に ご 嘉 賞 の 勅 語 を 贈 り 、 東 京 、 大 阪 で は 祝 賀 国 民 大 会 が 開 か れ 、 米 兵



の 間 で "東 京 ロ ー ズ " の 名 前 で 呼 ば れ る 日 本 の 海 外 放 送 女 性 ア ナ ゥ ン サ ー は 、 放 送 し た 。



「 ノ ー 」



と 、 すかさず、



ハルゼー



大将は



ハヮィの



太平洋方面総司令官



ニミッツ



大 将 あ て に 、放送



「お 気 の 毒 に 、 ミ ツ チ ヤ ー 提 督 の 空 母 は 全 部 、 あ っ と い ぅ ま に 沈 ん で し ま い ま し た わ ね 」



した。







「東 京 放 送 が 全 滅 と 報 じ た 第 三 艦 隊 は 、 全 艦 海 中 ょ り ひ き あ げ ら れ 、 敵 に む か っ て 退 却 し っ っ あ り



この声明は、 とくに誇張にすぎることはなかった。



「台 湾 沖 航 空 戦 」 の 決 算 は 、 日 本 側 は 二 百 機 に 近 い 航 空 兵 力 を 失 っ た の に た い し て 、 ハ ル ゼ ー部



隊 の 被 害 は 、 飛 行 機 八 十 機 、 重 巡 「キ ャ ン ベ ラ 」 「ヒ ュ ー ス ト ン 」 ニ 隻 が 大 破 し た だ け で あ っ た



62



からである。 日 本 側 の 戦 果 発 表 は 、 パ ィ ロ ッ ト の 未 熟 な 偵 察 能 力 ま た は 誤 認 に も と づ い て い た 。爆弾投下の は、 こ れ ま た 遠 距 離 か ら み る と 、敵 艦 に 命 中 し 蟲 沈 さ せ た 印 象 を 与 え る か ら で あ る 。有 馬 少 将 機



場 合 、 至 近 弾 の 水 柱 に 敵 艦 が か く れ る と 、 一見、撃 沈 と み な し や す い 。 ま た 味 方 機 の 自 爆 の 火 煙



も 、 わ ず か に 敵 艦 に 達 し き れ ず 、手 前 の 海 面 に 撃 突 し た 。























確 で 認 さ れ た 誤 解 に 、熱 狂 し て い る 。 この熱意



力 — 一ーー参謀長は、 東 京 放 送 を 傍 受 す る と 、 さ っ そ く 、 第 四 段 階 の 作 戦 を 発 令 し た 。 「い ま や 、 日 本 人 は 公 式 放 送 と 大 本 営 は利用できるはずである」











少将に指揮させて、その























. ジ







少将指揮の軽 ィ



ゼド部隊の主力は、 フ ル



配置した。そして、 0 に



ヵーーー参謀長は、 ニ 隻 の 損 傷 艦 に そ れ ぞ れ 曳 き 船 を つ け 、 軽 巡 ニ 隻 、 重 巡 一 隻 、 駆 逐 艦 八 隻 を乙翁デュ



空 母 ニ 隻 、 重 巡 、軽 巡 各 一 隻 、 駆 逐 艦 五 隻 を そ の 付 近 に 残 し 、 あ と の ル ス ビ ー ド 東 で に走らせた。



こ の 二 つ の 小 部 隊 を 才 ト リ に し て 、 日 本 艦 隊 を さ そ い だ し 、近づいたところを機動部隊が襲っ



ハ ル ゼ ー 大 将 は 、 持 ち 前 の 鋭 い 眼 光 を 一 段 と 光 ら せ て 、 「で き る だ け 、 ゆ っ く り 動 い て 確 実 に



て撃滅するのである。



敵 の 攻 撃 を ぅ け な が ら 、 所 定 の ; 0 1ま 0 で 敵 を ひ っ ぱ っ て き て も ら い た い 」 と、 デ ュ ボ ー ス 少 将 に 命 令 し た 。 戦 勝 の た め と はい え 、 文 宇 通 り の ォ ト リ で あ り 、苛 酷 な 命 令 で あ る 。



ロ パ ー ト ,8 ,カ ー ニ 一 63



「私 は 、 あ の と き は じ め



て、釣 り 針 に つ け ら れ て 魚 に く わ れ る の を 待 つ ミ ミ ズ の 気 持 ち が 理 解 で



と は 、 デ ュ ボ ー ス 部 隊 の 軽 巡 「パ ー ミ ン ガ ム 」 艦 長 丁 秦 ィ ン グ リ ス 大 佐 の 述 懐 だ が 、 ヵ ー ニ ー



きた」



日本側



索敵 機 は 、



高 雄 (台 湾 南 部 ) 東 方 海 面 に 油 を 流 し て 停 止 す る 駆 逐 艦 ら し き も の 十 一 隻 あ



参謀長の卑劣計画は、またしても成功した。



り 、 と 報 告 し 、 豊 田 大 将 は 志 摩 清 英 中 将 の 第 二 遊 撃 部 隊 (重 巡 ニ 隻 、 軽 巡 一 隻 、 駆 逐 艦 四 叟 ) に



ヵ ー ニ ー 參 謀 長 と 「卑 劣 計 画 部 」、 そ し て ハ ル ゼ ー 大 将 も 、 期 待 に 胸 を 波 う た せ な が ら 日 本 艦



出動を命じたからである。



ところが、



十六



日午 後 お そ く 、



一 機 の 日 本 索 敵 機 が ハ ル ゼ ー 部 隊 の 上 空 を か す め た 。 あわてて



隊の接近を待ち、そろそろと主力を近づけていった。



と、 索 敵 機 は 打 電 し た 。 豊 田 大 将 は す か さ ず 志 摩 艦 隊 に ひ き あ げ を 命



上 空 警 戒 の 戦 闘 機 が 追 跡 し た が 、逃 し た 。 參 謀 長 の "台 湾 沖 卑 劣 作 戦 , は 終 止 符 を う た れ た 。



「敵 空 母 十 三 隻 ァ リ 」—— じ て 、 ヵ ー ニ ー



こ の 「台 湾 沖 航 空 戦 」 で 、 力 ー ニ ー 参 謀 長 の 卑 劣 計 画 の 有 効 性 は 立 証 さ れ た が 、 力 — ニ ー 参 謀 長 は 、作 戦 検 討 会 の 席 上 で 次 の ょ う に 成 功 の 要 因 と 戦 訓 を 指 摘 し た 。



「十 分 な 計 画 と す 早 い 行 動 が 、 有 力 な 成 功 の 要 素 で あ っ た が 、 そ の 二 つ を 支 え て い る の は 、情 報



64



と 戦 術 で あ る 。 情 報 は 、状 況 の 評 価 を も た ら し 、戦 術 は 能 力 に 評 価 を 示 す 。 つまり、 く わ し い 敵 情 偵 察 に よ っ て 、自 分 の 立 場 を 知 る こ と が で き 、 可 能 な 戦 術 を 探 す こ と に よ っ て 、 さらに情報は



ぎ っ て い る 場 合 で あ っ て 、敵 を 待 つ と き は 、敵 の 目 標 を さ ぐ り だ す の が 、最もたいせつな仕事と



整 理 さ れ 、作 戦 は 堅 実 な も の と な る わ け で あ る 。 た だ し 、 これはあくま で わ れ わ れ が 主 導 権 を に



なる。そ し て 、 それをさぐり だ す た め に は 、 エサをあたえて食いつかせる卑劣計画は、 やはり、 最有効な手段である」







軍は予定



どおり







事態に遭遇した。 る



十 月 二 十 日 に レ イ テ 島 に 上 陸 し た 。そ し て 、 日本も決戦を決意し







力— ニー參謀長が、 自 賛 を こ め て そ う 演 説 し た の は 、十 月 十 七 日 で あ っ た が 、そ の 一 週 間 後 、



マッカーサ



参 謀 長 は 、自 身 の 言 葉 が テ ス ト



戦 艦 七 隻 、 重 巡 十 一 隻 、軽 巡 ニ 隻 、 駆 逐 艦 十 九 隻 、計 三 十 九 隻 の 栗 田 健 男 中 将 の 第 二 艦 隊 を 主



て 、捷 一 号 作 戦 を 発 動 し 、 連 合 艦 隊 は 、 ほ ぼ 総 力 を あ げ て 出 撃 す る こ と に な っ , た。



力 と し て 、 小 沢 治 三 郎 中 将 が 指 揮 す る 、 空 母 四 隻 、航 空 戦 艦 ニ 隻 、軽 巡 三 隻 、駆 逐 艦 八 隻 、計 十 七 隻 の 第 三 艦 隊 、 志 摩 清 英 中 将 の 第 二 遊 撃 部 隊 を 加 え て 、 レ イ テ 湾 の 敵 輸 送 船 団 を 撃 滅 し て 、敵 上陸軍を撃退しよう、 というのである。











湾 を め ざ し 、志 摩 艦 隊 が そ の テ















つ づ く 。 一方、 小 沢 艦 隊 は フ ィ リ ピ ン 東 北 方 に



栗 田 艦 隊 の う ち 、 西 村 祥 治 中 将 の 第 二 戦 隊 (戦 艦 ニ 、 重 巡 一 、 駆 逐 艦 四 ) は 、 南 の ス リ ガ ォ 海 峡から



進 ん で 敵 機 動 部 隊 を ひ き つ け 、 そ の 間 に 栗 田 艦 隊 主 力 は サ ン ペ ル ナ ル ジ ノ 海 峡 を 突 破 し て 、 サマ



ル 島 東 岸 沿 い に レ イ テ 湾 に 突 入 す る … …。











ヮン島付近に配置した潜水艦ニ隻から、 日



東シナ海の偵察の結果、 日本海軍が大規模作戦を計画しているらしい動きはうかがえたが、 ね



マ ケ イ ン 中 将 の 第 三 十 八 . 一機動部隊をゥルシ



I



基地に帰し、三群でフィリピン東方海面に待機していた。



ハルゼー部隊は、 四 群 の 機 動 部 隊 の う ち 、 ! I



すると、十月二十三日未明、 ミンドロ島西南の



らいはわからなかった。



本 大 艦 隊 の 東 進 と 重 巡 ニ 隻 を 撃 沈 し た 報 告 が は い っ た 。 つづいて、 二 十 四 日 朝 ま で に 、潜水艦と ハル. ゼー大将は、 サンべルナル







ヵー







海 峡 に 近 づ く 栗 田 艦 隊 を 空 襲 し て 、 戦 艦 「武 蔵 」 を 撃 沈 し 、



偵 察 機 に ょ っ て 、 ル ソ ン 島 北 方 お ょ び ミ ン ダ ナ ォ 島 西 方 に 、そ れ ぞ れ 日 本 艦 隊 が 発 見 さ れ た 。



——



1 -1参 謀 長 は 、 考 え た 。 三 つ の 日 本 艦 隊 は 、思 い 思 い の ス ビ ー ド で 進 ん で く る 。 これは、 明 ら か に 、 あらかじめ定



し か し 、栗 田 艦 隊 は な お も 進 ん だ 。



重 巡 「妙 高 」 を 中 破 し た 。







められた地理的な位置と時間をめざしていることを推察させる。おそらく、最も早い目標時間は、







1







中 央 部 隊 は 大 き く 、南 方 部 隊 は 小 さ く 、 北 方 部 隊 は 機 動 部 隊 で あ る 。



中 央 部 隊 は 、 二 十 四 日 ま で の 攻 撃 で 少 な く と も 、戦 艦 四 〜 五 隻 、駆 逐 艦四〜五隻が傷つい



I



. 1二 十 吾 で あ ろ う 。



-8 65



66



たしか に 、 こ れ までの



日 本 人 と の 交 際 で 、彼 ら の 計 画 に た い す る 盲 従 性 と 、 ソ ゴ を き



中 央 部 隊 が 、 か つ て ガ ダ ル カ ナ ル 島 を 砲 撃 し た 日 本 艦 隊 に な ら っ て 、 レィテ湾に突進して



たし



ている。そ れ で も 進 ん で く る の は 、大 本 営 の 命 令 に 忠 実 な た め か 、死を覚悟しているためであろ



I



、っ 0



——



た 計 画 に た い す る 修 正 能 力 の 不 足 さ は 、 わ か っ て い る 。 しかし、彼 ら に も チ ェ は あ る 。



く る 可 能 性 は あ る 。 し かし、そ れ を 試 み る に は 、彼 ら は 余 り に 大 き な 打 撃 を ぅ け て い る 。 力 ー ニ ー參謀長は、 ここまで考えると目を輝かせて、結論した。



す な わ ち 、 カ ー ニ ー 参 謀 長 は 、 日 本 側 に も 「卑 劣 計 画 部 」 の 存 在 を 予 感 し 、 ヮ ナ に か か っ て は



「わ か っ た 。 中 央 部 隊 は ハ ラ キ リ 戦 法 を 命 ぜ ら れ た 才 ト リ だ 。 敵 の 主 力 は 、 北 方 部 隊 だ 」







一 た 隊を編成して、 同 部 隊 を サ ン ベ ル ナ ル



全兵力をサンベルナル



ジノ



と判 定 し た 。 ① は む し ろ



海峡出口に配置して栗田



兵力の分散になり、



② は小



沢艦隊







海 峡 出 口 に 展 開 し 、栗 田 艦 隊 を た た き な が ら 、 小沢艦隊を待つ。



ジノ



な ら ぬ と 警 戒 し た の で あ る 。参 謀 長 は 、 た だ ち に 日 本 三 艦 隊 を 迎 撃 す る 作 戦 を ね ら っ た 。 考えら れる作戦は、 三つある。 ① 戦 艦 を か き あ つ







隊 に そ な え 、主 力 は 北 方 の 小 沢 艦 隊 に む か ぅ 。



だ、



海峡を無視して、 小沢艦隊に全力を集中する。



サンべルナル



力ーニー参謀長は、① ② はダメ



ジノ







ロ パ 一 ト .3.力 一 ニ 一 67



に 行 動 の 自 由 を 与 え す ぎ て 、味 方 に 危 険 を 招 き や す い 。③ が 、良 い 。



かもしれ



「将 来 の 利 益 を 考 え れ ば 、 ま ず 敵 空 母 部 隊 を た た く の が 先 決 で あ り 、 ま た 敵 の 主 力 は こ の 空 母 部



隊 で あ る 。 あ る い は 、敵 の 中 央 部 隊 が 味 方 に 損 害 を 与 え 、 一時的な緊張状態を生みだす



な い が 、 す で に 敵 中 央 部 隊 の 威 力 は 、大 幅 に 減 少 し て い る 。 フ ィ リ ピ ン 全 戦 局 に お ょ ぶ 影 響 力 は 持っていないはずだ」



力 ー ニ ー 參 謀 長 の 意 見 に ハ ル ゼ ー 大 将 も 賛 成 し 、 ハ ル ゼ ー 部 隊 は 、 レ イ テ 湾 の 守 り は 、 マッカ



— サ ー 大 将 の 指 揮 下 に あ る 丁 ,キ ン ケ イ ド 中 将 の 第 七 艦 隊 に ま か せ 、 夜 の ぅ ち に 小 沢 艦 隊 と の 距



こ の 結 果 は 、 「レ イ テ 沖 海 戦 」 と な っ て あ ら わ れ る 。



離 を つ め る べ く 、北 上 し た 。



南 方 の 西 村 部 隊 は 、 ス リ ガ オ 海 峡 に 待 ち ぅ け た キ ン ケ イ ド 艦 隊 に 撃 滅 さ れ 、後 続 の 志 摩 艦 隊 も



レイテ



敗 退 し た が 、 ハ ル ゼ ー 機 動 部 隊 は み ご と に 小 沢 艦 隊 の オ ト リ 作 戦 に ひ き あ げ ら れ て 、栗 田 艦 隊 は



キ ン ケ イ ド 艦 隊 に 所 属 す る 護 送 空 母 部 隊 に 遭 遇 し て 、 栗 田 艦 隊 も 混 乱 し た が 、 一時は、



予 想 外 に 開 放 さ れ た レ イ テ 湾 へ の 花 道 を 、突 進 す る こ と が で き た 。



ゼー大将に打たれる有様であった。



湾 の キ ンケイド艦隊は恐慌状態におちいり、 ハワイの二ミッツ大将からも事態究明の電報がハル



カ ー -1—参 謀 長 は 、 小 沢 艦 隊 が オ ト リ 部 隊 で 、 す で に 大 部 分 の 飛 行 機 を フ ィ リ ピ ン 陸 上 基 地 に む か わ せ 、 四 隻 の 空 母 に は 、 わ ず か 二 十 一 機 し か 残 っ て い な か っ た と は 、夢 想 も し な か っ た 。















も、気 が つ か な か っ た 。



栗 田 艦 隊 に た い す る 攻 撃 の 戦 果 が 、 ま さ に 「台 湾 沖 航 空 戦 」 で 日 本 側 が お か し た 誤 認 と 同 じ く 、



イ ワ















ミ 「 ミ



























ー ニ



ッ ブ (日本 参謀長の ニ ー







ゼ ー 大 将 も ヵ



ゼ —大 将 は 米 国 内 か ル







参 謀 長 の 愛 称 )、 ま だ ま だ 一一—



ゼー大将をかばい、



ゼー大将は、そ ぅ い っ て 力 — ル







危機が去ったあと、 の



ハ ( ヵ ー ハ



参 謀 長 は 、 終 戦 ま で 、 「卑 劣 計 画 部 」 の 看 板 は は ず さ



I







大 ツ 将 は ッ



ニ I



必要だからな」











湾口の手前で反転し、



テ ハ











ひ た す ら 、 日 本 側 の 「卑 劣 計 画 部 」 と の 勝 負 に 血 を 燃 や し て 、 ほ ん の 一 週 間 前 に 指 摘 し た 情 報



過大報告であった







の収集に注意をおこたり、 日本側の目標探知をあやまったのである。 栗田艦隊が











参謀長の責任は追及しなかった。















ら強い批判をぅけたが、











その後、







軍) を ひっかける



な か っ た が 、積 極 的 な 卑 劣 計 画 を 参 謀 た ち に 指 示 す る こ と は 、 なかった。



肩をたたいた。



ア ル ツ ー ル ,シュミット 69



ア ル ツ 丨 ル .シュミット



ソ 連 南 西 部 の 工 業 都 市 ス タ ー リ ン グ ラ ー ド は 、北 か ら 流 れ て き た ドン河が西に向きをかえるわ







































第、二 次 大 戦 の は



カヤの司令部で対話していた二人の































河に近い



ッパ戦線最大の激戦場で ロ















軍将軍には、そのよぅな未来の暗雲は早却で ツ































ド — の戦いは終わった、











































ド ン 河 を 下 れ ば ア ゾ フ 海 、 ヴ ォ ル ガ 河 の 流 れ に の れ ば カ ス ピ 海 に た ど り つ く 。 ちょぅどコーカ



ん曲部の東、ヴォルガ河にそった細長い街である。



そして、



サ ス 地 方 の 根 も と を 北 か ら に ら む 位 置 に あ る 、戦 略 的 要 衝 で あ る 。







イ ツ 軍 に と っ て は 悲 劇 の 地 と し て 記 録 さ れ る が 、 一九四一一年十一月八日、



った。







考えていた。



二 人 は 、 ド イ ツ 第 六 軍 司 令 官 .フ リ — ド リ ッ ヒ .パ ウ ル ス 大 将 と 参 謀 長 .ア ル ツ ー ル ,シユミ ット少将だったが、大 将 も 少 将 も 、 も は や



70



第 六 軍 は 、 第 十 四 戦 車 軍 団 、第 八 、 第 十 一 、 第 五 十 一 軍 団 を 指 揮 下 に お い て い る 。 戦 車 師 団 三 、







リング ラ I



ド 市 の 十 分 の 九 を 占 領 し て -た



機 械 化 歩 兵 師 団 三 、歩 兵 師 団 四 十 四 、計 三 十 三 万 四 千 人 の 大 部 隊 で あ り 、 十月末までにほぼスタ



局 員 . ニ キ ー タ .フ ル シ チ ョ フ と チ ュ ィ コ フ



将軍とのコンビも戦意が



ソ連軍の抵抗は激しく、 八月に第六軍の先鋒部隊である第十四戦車師団が市内に突入していら ドに銃砲声がとだえることはなかった。 工場の女工までが高射砲をあやつ



い、 スタ— リ ン グ ラ ー



政治



もかわかぬ戦車を工員が操縦して反撃してきた。



のらこ首相こなった



り、 ペンキ



次々に投入される増援部隊を指揮して抵抗をつづけた。 ほとんど廃墟になった建物の地下



しかし、



十 月 末 に は 、 北 部 市 街 の "赤 い 十 月 " 冶 金 工 場 、 "ラ ツ ー ル " 化 学 工 場 、 中 央 市 街 の



ソ 連 軍はがんばり、下水道でパンを焼きながら戦った。



固 く 、







鉄道フェリー駅付近を、わずかに三個師団がかろうじて確保するだけとなった。



大将は



シュミット



パゥルス シュミット



いた



参謀長に話しかけた。



その冷静な判断力と計画能力は抜群である。 こ



学 校 を 首 席 で 卒 業 し た 俊 才 で 、同じく優秀な幕僚 みても、



少 将 が 立 案 し た 計 画 に は 一 ミ リ 、 一 秒 の 狂 い も 発 見 で き ず 、 その



大将から



少 将 は 、 ヶーニヒスベルクの参謀



と、 パゥルス



「も う 一 回 の 攻 撃 で 片 が つ く と 思 う が 」



シ ュ ミ ッ ト



と し て 評 面 さ れ て



れまでの作戦でも、



情勢判断も的確であった。



7 1 ア ル ツ ー ル ,シュミット



「ヤ ヴ ォ ー ル 消 耗 を ま ね く



( イ







のは、



ス )、 閣 下 。 し か し こ







もともと



を片



スターリングラー ドを



攻撃したのは、



づ け る 必 要 は な い は ず で す が 、 あ え て (兵 力 の )



第六軍が



あ と の 作 戦に悪影響があると思います」



ドイ



コ ー カサス地方制圧のため、北方からの脅威をのぞくのが目的で あ り 、 ス タ ー リ ン グ ラ —



たしかに、そのとおりであった。 ツ軍の



スターリングラ







ン、 パ リ 、 パ ン ク ー パ ー



から



いでしょう」



ドの機能を破壊した以上、 ソ連が



ドは、 ウイ—



もそ の 考 え だ ろ う 、 と パ ウ ル ス 大 将 は う な ず き 、窓



大本営にいた



ヒトラー



総統は、



ソ連



軍最新



と 椅 子 の 背 に も た れ か か っ た 。 窓 外 を 、 兵 士 た ち が ジャ







ここ



ド そ の も の が 目 標 で は な か っ た か ら で あ る 。 し か も 、 第 六 軍 に は 、 進 撃 い ら い 増 兵 が な く 、 タラ



スターリングラー



イ 回 し 式 に 各 部 隊 を 前 線 に 出 動 さ せ て い る た め 、将 兵 の 疲 労 は め だ っ て い た 。 「そ れ に 、 そ ろ そ ろ 冬 が や っ て き ま す 。



ー) 総 統 大 本 営



を 補 給 基 地 や 集 結 基 地 に す る の は 困 難 で す 。南 に 移 動 す る 準 備 を し た ほ う が よ トラ



やわらかい日差しに眼を細めた。



そ う だ な 、 (ヒ し こ む



(ヵ ナ ダ ) な ど と 同 緯 度 に あ り 、 十 一 月 は じ め で も 比 較 的 に 温 暖 の 日 が つ づ く 。



パウルス大将はそういって、ゆったり



「た ぶ ん 、 あ と 二 週 間 以 内 に は 移 動 命 令 が と ど く だ ろ う 」



ォーストリアの



ガイモ、 力ボチャなど冬季用保存食糧の袋をかついで、通 りすぎた。



ところが、その翌日、十一月九日、 情報に眼をみはった。



72











動員と思 わ れ る が 、 ソ 連 軍 は







ヒトラ











ス ン



タ グ



ー ラ



















六軍



大部隊 を 、西と南から



ド ー の北西と南部の二方面に、



ド ー に か じ り つ い て い る 第



総 統 は 、眼 を 光 ら せ た 。 大 西 洋 岸 か ら の 米 英 連 合 軍 の 進 攻 に そ な え る



















という。明 ら か に 、











' ぃ、 こ



I



る ねらいである。







予 備 兵 が 集 結







包囲す



た め 、広 大 な 東 部 戦 線 の ド イ ツ 軍 兵 力 は 少 な く 、不 足 分 は イ タ リ ア 、 ボ ー ラ ン ド 、 ルーマニアな



む ろ ん 、 そ れ ら 枢 軸 国 連 合 軍 の 素 質 は 、 ド イ ツ 軍 に お と る の で 、後 方 警 備 を 第 一 任 務 と さ せ た 。



どの軍隊を活用している。



と こ ろ が 、 第 六 軍 の 西 と 南 は 、 ま さ に そ の ル ー マ ニ ア 第 三 軍 、第 四 軍 が 配 置 し て い た の で あ る 。







ト リ



ラ ン



ー グ



ラ は



























パウルス大将に打電した。側背からの敵にそなえるためには、



大 ス 将から







トラー給統の命令を











と、



す か さ ず 、 一個師団を主



ド ー のソ連軍を殲滅し、同市を基地にしてむかえうつのが、 よい。



総 疏 は 、十 一 月 十 六



「速 や か に 、 直 ち に ス タ ー リ ン グ ラ ー ド の 占 領 を 完 成 せ よ 」







し、 四 個 工 兵 大 隊 を 使 用 す る 攻 撃 計 画 を 作 り 、十 八 日 か ら 突 撃 を 開 始 し た 。 工 兵 がソ連の拠



シュミット少守



スタ



力 と



















軍は























西 ド 方の







いう間に、弱 体 の







マニア軍を突破して、十一月. 二 十三 チ で 握 手 し 、第 六 軍 は 包 囲 さ れ て し —



ル ー



ド ー 包 囲 を め ざ し て 展 開 し て い た ソ 連 軍 も 、第 六 軍 の 攻 撃 開 始 と 同







あ っ と スター



おこした。そして、



スタ



点 を 爆 破 し 、歩 兵 が と ど め を さ す 作 戦 で あ る 。



訪 を



ところが、 こ行



ョ こま、 匕 と 南 の ソ 連







ア ル ツ ー ル ,シュミット 73



よ う じ



や な い か 、参 謀 長 」 シ



















少将にいった0



東 は ヴ ォ ル ガ 河 、.北 と 西 と 南 は ソ 連 軍 に お さ え ら れ た 。 そ し て 、 冬 が は じ ま っ て い る 。 ヴォル



まつた。



「ナ ボ レ オ ン の 亡 霊 が さ そ っ て い る



ガ 河 は 水 結 し 、 日 ご と に 吹 く 風 は 冷 気 を 増 し 、 !ヨ6 片 を ま じ え て い っ た 。 パゥルス大将は、 あまりにも急激に一変した環境に憮然としながら、



か つ て 、 ナ ポ レ オ ン も ロ シ ア 征 服 を こ こ ろ み て 、結 局 は ガ 冬 将 軍 〃 が も た ら す 寒 気 と 悪 路 と 補 給



パ ゥ ル ス 大 将 は 、第 六 軍 も そ の ナ ポ レ オ ン 軍 と 同 じ 非 命 の 道 を た ど る の で は な い か 、 と 危 惧 し



不 能 と に は ば ま れ て 、惨 と し た 敗 退 を 甘 受 せ ね ば な ら な か っ た 。



ス タ ー リ ン グ ラ — ド の 上 空 は 、 気 象 学 で い う "境 界 " に あ た り 、 好 天 で も 乱 気 流 の 発 生 が 多 く 、



た。



飛 行 は 困 難 だ っ た 。 ま し て 、 冬 の 悪 天 候 で は よ り 困 難 さ は 増 す 。 し か も 、包 囲 さ れ て い る 以 上 、



補 給 は 空 か ら 以 外 に 考 え ら れ な い 。 三 十 万 人 を こ え る 大 軍 に た い す る 補 給 物 資 は 、 一 日 五百トン



はたして、 ゲ—リング元帥の空軍は必要な資材を運ぶことができるだろうか。



は 必要である。 パンだけでも、 一日四十トンは不可欠である。























少 将 … … では、 十 分 間 で 決 断 し 、短 い 理 由 を そ え 給 え 」



「た ぶ ん 、 必 要 量 の 輸 送 は 不 可 能 と み ら れ ま す 、 閣 下 。 し か し 、 あ の 世 の ナ ボ レ オ ン か ら の 招 待



「そ れ じ ゃ 、 ど う す る の だ 、



状はうけとりたくありません」



74



パゥルス大将の言葉に、 シュミット



少 将 は ニ ヤ リ と し た 。 大 将 が い っ た 「十 分 間 で … … 」 は 、



シュ



じ つ は 少 将 の ロ ぐ せ だ っ た 。参 謀 学 校 の 教 官 オ ス ヴ ァ ル ド 将 軍 は 、す ぐ れ た 戦 術 家 だ っ た が 、 い つ も 問 題 を だ す た び に 、「さ ァ 、 諸 君 、 十 分 間 で 決 断 し て 短 い 理 由 を つ け る の だ 」 と い い 、 ミット少将も第六軍参謀たちに同じ表現ですばやい判断を要求していたからだ。 「こ. のままでは自滅です。 しかし、たんなる退却は、 まちがいなくナポレオン型の敗北になりま



リ ン グ ラ ー



ドを離れるな、



大 将 に 、直 接



というヒトラー



ヒトラー



きた。



総 統 あ て の 親 電 を 発 信 す る こ と を す す め 、そ



総統の命令がはねかえって



だ が 十 一 月 二 十 二 日 午 後 七 時 に 、 ド ン 河 南 方 戦 線 へ の 突 進 を 具 申 す る と 、 午 後 十 時 に は 、 スタ



す 。 そ の た め に 総 統 大 本 営 に 現 地 の 事 情 を 率 直 に 報 告 し て 、許 可 を 得 た い と 思 い ま す 」



す 。 戦 車 と 車 両 の ガ ソ リ ン の 補 給 を う け 、 全 力 を あ げ て 南 西 方 向 に 攻 撃 、突 破 を お こ な う べ き で



I



少将は



パゥルス



シュミット



の案文を起草した。 「親 愛 な る 総 統 閣 下 、 十 一 月 二 十 二 日 夕 刻 に 無 電 を い た だ い て い ら い 、 情 勢 は 急 速 に 変 化 し ま し た … … 。 弾 薬 と 燃 料 は 底 を つ き 、砲 弾 を う ち つ く し ま し た 。対 戦 車 砲 も 少 な く な り ま し た … …。 包 囲 陣 は 南 西 で は 成 功 せ ず … … そ の 突 破 は 大 量 の 資 材 を 失 う こ と は 確 実 で し ょ う が 、貴 重 な 兵 の 大 部 分 と 物 資 の 一 部 は 助 か り ま す 。本 報 告 の 責 任 は す べ て 本 官 が 負 う も の で あ り ま す 。 現情況にかんが



ア ル ツ 一 ル ,シュミット 75



み、 いま一度、行 動 の 自 由 の 許 可 を お 願 い 致 し ま す 」



ラ ー 」の 喚 声 は わ か な か っ た 。



ア ド ル フ .ヒ



トラ—」



打電は十一月二十三日午後十一時四十五分。 そして、 ヒトラー総統の返事は二十四日午前八時



電 に 応 じ て 、 「ハ イ ル 、







現 在 の ヴ ォ ル ガ 戦 線 と そ の 北 方 戦 線 を 死 力 を つ く し て 守 れ 。浦 給 は お こ な ぅ 。



「総 統 決 定 。



三十八分に入電した。



I







ヒ ト







この



フ ォ ン .ザ イ ド リ ッ ツ .ク ル ツ パ ッ ハ 中 将 は 、 パ ウ ル ス







逆 に 、 第 五 十 一 軍 団 長 .ヴ ァ ル 夕 —



ドイツ



軍 の 不 名 誉 で は な く 、 む し ろ 、対 外 宣 伝 に 役 立 つ 、 と 指 摘 し た 。



「第 六 軍 は 明 白 な 二 者 択 一 を せ ま ら れ て い る 。 即 刻 、 南 西 に む か っ て 突 撃 す る か 、 そ れ と も 数 日



大将に、独断撤退を強硬に進言した。



中 将 は 、撤 退 は け っ し て



内 に 自 滅 す る か 、 である」































ド — の



ソ連



1



施設を完全に破壊する使命を達成したので、



「す で に 敵 の 歩 兵 の 弱 さ は 立 証 さ れ て い る 。 し た が っ て 、 敵 陣 を た た い て 撤 退 す れ ば 、 わ が 軍 が わが軍としては、



弱化したとは誰も信じない。



だ が 、 参 謀 長 .シ ュ ミ ッ ト 少 将 は 、 冷 静 な 声 音 で 、 閣 下 、 と フ ォ ン .ザ イ ド リ ッ ツ .ク ル ツ パ



他 の 戦 場 に 転 進 し た 、 と発表すれ ば よ い 。事 実 、そ の と お り な の で あ る 」



76



「突 破 作 戦 に よ る 撤 退 が 好 ま し い こ と は 、 お そ ら く 第 六 軍 将 兵 の 全 員 が 承 知 し て お り ま す 。 しか



ッハ中将をさえぎった。



し 、 わ れ わ れ は 、そ の 作 戦 を 独 断 で 実 行 す る 立 場 に あ る で し よ う か 」 第 六 軍 司 令 部 は 、数 日 前 か ら 、 ス タ ー リ ン グ ラ ー ド 西 方 の グ ム ラ ク 飛 行 場 に 近 い 地 下 壕 に 移 っ



厚 さ ニ メ — ト ル の 凍 土 を 天 井 に し て 、 中 口 径 砲 弾 の 直 撃 に も 安 全 で あ っ た が 、内 部 は 燃えがわ



ていた。



る い 粘 土 ス ト —ブの煙で、息 苦 し か っ た 。 シュミット少将は、 しみる煙で涙がにじむ眼をこすり な がら、中将に注意した。 「閣 下 、 下 級 司 令 部 と し て は 、 上 級 司 令 部 の 意 図 が 明 確 に つ か め な い 限 り 、 行 動 は 起 こ せ ま せ ん 。



大王当時とはちがい、無 線 と



テレタィプで



上級司令部と連絡ができます。



が知らされないからといって、上級司令部に策がないと判定することは、 できません。



フリードリヒ



そ し て 、総 統 の 電 文 だ け で は 、総 司 令 部 が ど の よ う な 計 画 を も ち 、 用 意 し て い る の か 、 不 明 で す 。 現在は、 まだ1



材 料 な し に 判 断 す る の は 、失 敗 を ま ね く だ け で す 。



モスクヮの



前面で停滞した中央集団軍の



ように、







次 に 、 閣 下 は 、数 日 間 で 自 滅 す る と お っ し ゃ い ま し た が 、 わ が 軍 の 戦 闘 能 力 は そ れ ほ ど も ろ い と も 思 え ま せ ん 。 む ろ ん 、 一九四一年の冬、



し て は 、過 早 な 独 断 行 動 を と っ て 、 総 統 か ら 解 任 さ れ る こ と を 避 け ね ば な り ま せ ん 。 そ う な っ て



守 の 命 令 だ け で 立 ち 直 っ た 先 例 が 今 回 も あ て は ま る と は 思 い ま せ ん 。 が 、 と に か く 、 われわれと



アルツール⑩シュミット 77



下 6 の将兵にたいする責任を果たせなくなるからです」 そ う い つ た あ と 、 シ ュ ミ ッ ト 少 将 は 、 フ ォ ン .ザ ィ ド リ ッ ツ ,ク ル ツ パ ッ ハ 中 将 を 直 視 し て 、



は、^



「そ れ で も 、 閣 下 は 、 ど う し て も 独 自 の 行 動 を お と り に な り ま す か ? 」



質問した。



中 将 は 、 じ つ は 、 す で に 指 揮 下 の 左 翼 部 隊 、第 九 十 四 歩 兵 師 団 に 脱 出 を こ こ ろ み さ せ て い た 。



し か し 、第 九 十 四 師 団 は 雪 に お お わ れ た 峡 谷 で ソ 連 軍 の 攻 撃 を う け 、壊 滅 的 打 撃 を う け て い た 。



「私 は 、 中 将 の 強 硬 意 見 が 、 少 し は 自 分 の 失 敗 を 正 当 化 し よ う と す る 意 図 を ふ く ん で い る ら し い 、



と 考 え て 、質 問 し て み た 」 シ ュ ミ ッ ト 少 将 は 、 そ う 回 想 し て い る が 、 中 将 は 、少 将 の 質 問 に た い し て は 、



「い や 、 命 令 に は 従 う 」 と 答 え た 。 そ し て 、 こ ん ど は シ ュ ミ ッ ト 少 将 に む か っ て 、 「で は 、 貴 下 は こ の 危 機 に ど う 対 処 し よ う と す る の か 」 と反問した。



「明 白 な 覚 悟 が あ り ま す よ 、 閣 下 。 私 は 、 ナ ポ レ オ ン 戦 術 を ま な び ま し た 。 教 官 は 、 ナ ボ レ オ ン



のまねはするな、 と教えました。私も、 わが軍をナボレオン軍のような混乱におとしいれたくな いと思います」



「な ん だ 、 と 。 そ れ じ ゃ 、 貴 下 は 教 科 書 ど お り の 戦 い だ け を し た い 、 と い う の か 。 三 十 万 の 部 隊



78











. ザ























. 7















中 ッ将 ハ は 、憤 然 と し て わ め き 、























少将を〃教科書



が ど う な ろ う と 、 ナ ポ レ オ ン の ま ね で な け れ ば い い の か 。 ナ ボ レ 才 ン だ っ て 、部 下 の 何 割 か は 救







ったんだ」



そ の 日 、 十 一 月 二 十 四 日 は 、 第 六 軍 の 上 級 司 令 部 と し て新 設 さ れ た 『ド ン 集 団 軍 』 司 令 官 フ ォ



の鬼" と 論 評 し て 、出 て い っ た 。



ン .マ ン シ ュ タ イ ン 元 帥 か ら 、 必 ず 救 出 す る 、 と い う 極 秘 電 報 が と ど い た 。 第 六 軍 の 脱 出 ロ を ひ らくための作戦を開始する、 というのである。 第 六 軍 司 令 部 は 喜 色 に つ つ ま れ た が 、 や が て フ ォ ン .マ ン シ ュ タ イ ン 元 帥 の 攻 勢 も 、 北 か ら の



十 二 月 十 九 日 か ら 二 十 日 に か け て 、 『ド ン 集 団 軍 』 司 令 部 と 第 六 軍 司 令 部 は 、 テ レ タ イ プ で 相



ソ連軍進出で阻止されてしまった。



シ ュ ミ ッ ト 少 将 は 、集 団 軍 参 謀 長 シ ュ ル ツ 中 将 に 、 で き る だ け 早 く 突 破 行 動 を 開 始 し た い 、 と



談した。



「燃 料 三 千 ト ン 以 上 が 用 意 で き た 。 傷 病 兵 輸 送 の た め に パ ス 三 十 台 も 準 備 し て あ る 」 と 、 答 え た 。



述 べ 、 シュルツ中将は、















総統は、 いぜんとしてスター ー























I



と 、声 を は ず ま せ



ド か ら の 撤 退 を 好 ま な い が 、戦 果 に み



シ ュ ル ツ 中 将 は 、 フ ォ ン .マ ン シ ュ タ イ ン 元 帥 が 南 方 の ソ 連 軍 に 打 撃 を 与 え る の を 待 て 、 と も 、 いった。



ち び か れ て 第 六 軍 が 進 出 す る の は 反 対 し な い は ず だ 、 という。 いつですか



ア ル ツ 一 ル ,シュミッ 79



る シ ュ ミ ッ ト 少 将 に 、 シ ュ ル ツ 中 将 は 「二 十 三 日 」 と 答 え た 。



ところが、またしてもソ連軍がスターリングラード西方百五十キロのモロゾフスカヤ空港にせ



中を



歩いて退却す



ることは



不 可 能 。 ナボレオンにならいた



キーが鳴って、



シュルツ中将は再びテレタイプにシュミット少将を呼びだした。そ し て 、独力で脱出できない



ま っ た た め 、 フ ォ ン .マ ン シ ュ タ イ ン 元 帥 の 計 画 は 不 可 能 に な っ た 。



雪の



ミ ッ ト少 将 の テ レ タ イ プ は 、 し ば ら く



ある。



カ タカタと



「で き ま す 。 た だ し 、 戦 車 の 大 半 と 歩 兵 の 一 部 が 動 け な い 。 燃 料 が な い 」



か、 と た ず ね た 。 シ ュ ミ ッ ト 少 将 は 答 え た 。



「ど の く ら い 、 燃 料 は 必 要 か 」



ュ .







少 将 は 、な ん と し て も 戦 車 、車 両 を 使 い 、第 六 軍 を 体 せたかった。 一と し て 撤 退 さ .



燃料が必要で



沈黙していたが、 ,や が て



「も し 燃 料 の 補 給 が つ か な け れ ば 、 ど う す る か 」



「ギ リ ギ リ ー 千 立 方 メ- ^ル.. 」







「..... 」











「ど う し て も



回答をうちだした。







くない」 シ



そ れ が 近 代 戦 と い う も の で あ り 、 ま た 、部 下 を 救 う 道 で は な い か 。



80



しかも、



補給が と ぼ し い



ので ある。



記録では、必要な



物資







した



市街 一 日五 百 ト ン に た い



そのころ、 スターリングラードの第六軍は悲惨な環境にいた。 さんざん砲爆撃で破壤 にろう城して、



み 、 ね こ 、犬 を 食 べ ら れ れ ば 、 ご 馳 走 で あ っ た 。



し て 、 平 均 一 日 百 四 .七 ト ン が は こ ば れ た と い う が 、 将 兵 の 多 く は 、 凍 死 し た ゥ マ の 死 体 、 ね ず



衣類も不足したが、 はこぶ列車は、 ョ 1¢!の た め は る か 遠 く で 立 ち 往 生 し た 。 寒 さ で 凍 え 、 飢 え で 疲 れ 、 そ し て 非 衛 生 の た め に 赤 痢 、 脳 脊 髄 膜 炎 が 流 行 し て 、 ド ィ ツ兵 は ば た ば た と 倒 れ た 。 「ス タ ー リ ン グ ラ ー ド は 集 団 墓 地 に な り ま し た 。 一秒、 ニ 秒 、 三 秒 、 四 秒 … … 七 秒 。 そ う 、 七 秒



モスクヮ放送は、 クリス マ ス の 音 楽 と と も に そ う 放 送 し た が 、そ の 言 葉 に 誇 張 は な か っ た 。



ごとに一人のドィツ兵が死んでいます」



一 九 四 三 年 一 月 八 日 、 ソ 連 軍 の 軍 使 が 前 線 に あ ら わ れ 、翌 日 、 一 月 九 日 午 後 三 時 ま で に 降 伏 せ した。 ち







ど 、 そ の 日 、第 十 六 機 甲 師 団 長 . ハ ン ス .



















. フ







中 べ 将が、総統大本営から



よ 、 と い う 勧 告 状 を 届 け た 。 パ ゥ ル ス 大 将 は 、 シ ュ ミ ッ ト 少 将 に 相 談 し た が 、少 将 は 拒 否 を 進 言



、っ 0



吉 報 を 伝 え て き た か ら で あ る 。 新 機 甲 兵 団 が 西 方 か ら 進 軍 を 開 始 し て 、 第 六 軍 を 救 出 す る 、 とい



「は た し て 総 統 の 約 束 が 実 行 さ れ る か ど う か は わ か り ま せ ん 。 し か し 、 現 実 に 、 わ が 軍 に は 自 力



ソ連軍は、九 日 の 期 限 ぎ れ か ら 二 十 四 時 間 を 経 た 十 日 、 総 攻 撃 を 開 始 。第六軍はなお戦い続け



脱 出 の 能 力 は あ り ま せ ん 。 しばらく、待 っ て み る の が よ い で し よ う 」



武 器 を 失 っ た 兵 も ほ ぼ 同 数 。前線 で 戦 ぅ 将 軍 と 将 校 の も と に 少 数 の 戦 闘 力 を 残 す 兵 が 集



「.. 市 街 地 は 惨 状 す さ ま じ く 、 約 ニ 万 人 の 傷 兵 が 放 置 さ れ て い る 。 飢 え 、 凍 傷 を お い 、 原 隊 に



た が 、 一月二十四日には、次 の よ ぅ な 電 報 が 、総 統 大 本 営 に と ど い た 。



はぐれ、



パウルス



大 将 は 、 歩 兵 五 個 師 団 が 撃 破 さ れ た こ と を 伝 え 、降 伏 の 許 可 を 求 め た 。 シ ュ ミ ッ ト 少



まつている」



シュミット



少 将 は 、大 将 に 降 伏 を す す め た 。



一 月 三十一



を 進 言 し ま す 。そ れ な ら 命 令 違 反 に も な り ま せ ん 。そ し て 、閣 下 は 、 けつしてナポレオンのニの



「た だ し 、 閣 下 。 私 は 幕 僚 と し て 、 閣 下 が 第 六 軍 の 降 伏 は な さ ら ず 、 個 人 と し て 降 伏 な さ る こ と



なかった。



そ の 報 告 を 聞 い て も 、飢 え と 疲 労 に 青 ざ め た パ ウ ル ス 大 将 に は 機 敏 に 反 応 す る 気 力 は 残 っ て い



「閣 下 、 敵 は ド ア の 外 に お り ま す 」



きた。



日 午 前 六 時 三 十 五 分 、 市 内 の デ パ ー ト の 地 下 室 に あ る 司 令 部 の 大 将 の 部 屋 に 、衛 兵 が か け こ ん で



一月三十日、 ヒトラー総統はパウルス大将を元帥に昇進させた。 だが、その翌日、



リングラードにおいてその歴史的義務を遂行すべし」



「降 伏 は あ り え な い 。 第 六 軍 は 東 部 戦 線 の 再 建 を 可 能 な ら し め る た め 、 最 後 の 一 兵 ま で 、 スター



将 は 、「最 後 ま で 命 令 系 統 を 守 る の が 軍 人 の 義 務 で す 」 と 進 言 し 、 大 将 も 同 感 だ っ た か ら で あ る 。 だ が 、 ヒ ト ラ ー 総 統 の 返 電 は 、苛 酷 で あ っ た 。



ア ル ツ ー ル ,シュミット 81



シュミット



少将たち司令部員をつれて降伏した。そして、



舞をしたという非難をうけることもありません」 大将はうなずき、



スター







ラード戦に投入された三十三万四千人のドィツ軍のうち、 ソ連軍の捕虜になった者は三十ニ



パゥルス ング



ナボレオンのモスクワ



攻撃の悲劇を



う わ まわる。



人 の 将 軍 を は じ め 約 十 万 七 千 八 百 人 で 、戦 後 ド ィ ツ に 帰 っ た の は 約 六 千 人 と い わ れ て い る 。 … …



82



ウォルター.8.スミス 83



ウ 才 ^ タ







. ¢ 0雖 ス ミ ス



「た っ た ひ と つ 、 た だ し 、 必 ず 実 行 し て い た だ き た い 要 望 が あ り ま す 。 "ビ ー ド ル " を 參 謀 長 に



0



.



























少 ー 将 は 、 一九四ニ年五月、北



















上陸作戦をおこなぅためにヨーロッ



し て 、本 官 が 昇 進 す る と き は 同 時 に 彼 も 昇 進 さ せ て い た だ く こ と で あ り ま す 」



「キ ミ は 、 中 将 に な る 。 す る と 彼 も 昇 級 さ せ る の か ね ? 」



パ 米 軍 司 令 宫 就 任 の 内 命 を ぅ け た と き 、 參 謀 総 長 0 , マ! シ ャ ル 大 将 に 、 そ ぅ い っ た 。



アイゼンハワー



アフリカ



戦線、



イタリア



戦線、



さ ら に ノ ルマンディ



上陸から



アイゼンハヮー



ドイツ



降 伏 ま で 、 「ア



将軍の參謀長に就任



少 将 は 、 き っ ぱ り と 答 え た 。 そ し て 、 愛 称 "ビ ー ド ル " こ と 、 ウ ォ ル タ ー .ビ



「む ろ ん で す 、 閣 下 」







デ ル .ス ミ ス 准 将 は 、 や が て 少 将 に 昇 進 し て 、 中 将 に な っ た



ハらハ、



した。



84



スミス参謀長にたいする評価は、 ア イ ゼ ン ハ































とアイゼン











将軍自身も ー



ハヮー将軍は中将以上にはなれなかったかもし







将 軍 に つ い て 語 る と き 、 つねに最高度を維持



イ ク と ビ ー ドル」 コ ン ビ は 変 わ る こ と な く 、 つづいた。







シャル参謀総長は、首 を ふ る 。



し て い る 。 「私 に と っ て 、 "ビ ー ド ル 〃 は ほ と ん ど 不 可 欠 の 存 在 マ



「も し 、 ス ミ ス 參 謀 長 が い な か っ た ら 、



いうが、



つまり、 スミス參 謀 長 は 、 ア











ハヮ—将 軍 の "半 身 " に 近 い 存 在 で ン























将 ー 軍が ス











一年、 将 軍 が







ォ ー







.ベ ニ ン グ



參 謀 長 は 、生 徒 の 一 人 だ っ た 。 ス ス











ある。 で











参謀長は陸軍士官学校出身ではなく、 一九一七年陸軍に志願して第一次大戦に參加して負傷







参 謀 長 に 注 目 し た の は 、 一九 ス



あ り 、い わ ば 米 国 の 幕



れ な い 。 将 軍 に と っ て ス ミ ス 参 謀 長 が か け が え の な い 男 だ と い う だ け で は 、低 評 価 に す ぎ る 」







僚 の 伝 統 で あ る 「指 揮 官 の 分 身 」 型 の 理 想 像 で あ る 、 と い う の で あ る 。







基地の歩兵幹部学校の教官をつとめていた



幹部学校でのスミス生徒は、 たちまち教官たちの賞賛を集めた。その成績が優秀であったから



したあ と 、 コッコッと勉強しながら軍務にはげみ、幹 部 候 補 生 試 験 を パ ス し て 、 入校して き た 。



し た



だが、 とくに答案のみごとさは、 一読してスミス生徒が卓抜の事務処理能力を身につけているこ とを、うかがわせた。 同 じ く 教 官 で あ っ た 0.ブラドレー少佐は、 いち早くスミス生徒を卒業後は自分の補佐に いと学校当局に上申した。



ウォルター.8.スミス 85



が 、 当 時 の 副 校 長 0 ,マ| シ ャ ル 大 佐 は 、 ス ミ ス 生 徒 が 書 い た 第 ー 次 大 戦 に か ん す る 論 文 を 、























将 ー 軍の ス







生 徒 に た い す る 評 価 も 、む ろ ん 、そ の 事 務 能 力 あ る







V



は行政能力



「こ れ ま で に 見 た 最 上 の 作 品 だ 」 と ほ め な が ら 「ス ミ ス 生 徒 の 卒 業 後 の 仕 事 は き ま っ て い る 。 本







校 の 教 官 に な る 」 と、 ブラドレ ー 少 佐 に 回 答 し た 。



に 焦 点 を あ わ せ て い た が 、 将 軍 に と っ て 、 こ の 種 の 能 力 に す ぐ れ 、 し か も "た た き あ げ " の 軍 人 アイゼン ハ











将 軍 の モ ッ ト ー は 「順 応 と 調 和 」 で あ る が 、 直 属 の 指 揮 官 や 幕 僚 を 部 下 と し て



だけに服従心に富んでいる将校は、 とくに好ましかった。



それだけに、 アイゼ ン ハ











将 軍 が 、 つ ね に 部 下 の 肩 を た た き 、握 手 を く り 返 す た め に は 、 は



よ り も 「仲 間 」 と し て 扱 い 、 服 従 関 係 よ り も 信 頼 関 係 で こ と を 処 理 す る 主 義 で あ る 。







ド ハ



ル ヮ



" ‘ス







参ス謀 長 こ そ 、



























満たす存在であり、さてこそ、 ト



參謀長を身近に確保しよぅとした、ゆ ス



その条件を百パー に



"雑 な 事 務 か ら 自 分 を 解 放 し て く れ 、 し か も 自 分 の 意 思 を 忠 実 に 守 っ て そ の 事 務 を 処 理 し て く れ



"ビ ン



る幕僚が、 必要となる。







将 ー 軍が確実な昇進の保証を求めて、











えんである。



と く に マ ー シ ャ ル 參 謀 総 長 は 、 こ と あ る ご と に ス ミ ス 参 謀 長 を 登 用 し て 、 アイゼン



むろん、 スミス参謀長の能力については、 ブラドレー将軍やマーシャル參謀総長もとっくに承 知 し て お り 、



ハ ワ ー 将 軍 か ら も ら い が か か っ た と き も 、准 将 と し て 自 分 の 手 も と で 使 っ て い た 。 だ か ら 、 ス ミ ス 准 将 を く れ 、 と い わ れ た と き は 、少 な か ら ず 渋 っ た も の だ が 、 アイゼンハワー



スミス參謀長も、 ア イ ゼ ン ハ ワ ー将軍の知遇に感銘して、文 宇 どおりに分身としての忠実さと



将 軍 の 「一心同体」 と し て 処 理 す る と い う 熱 意 に 動 か さ れ て 、 承 知 し た の で あ る 。



献身ぶりを示した。 北 ア フ リ カ 上 陸 作 戦 が 実 施 さ れ る と 、 初 期 の 段 階 で は ド イ ツ 軍 の 抵 抗 が 激 し く 、 一九四三年ニ



北アフリカ作戦は、 アイゼンハワー将軍にとって大軍、 とくに英軍を加えた連合軍を指揮する



月 、米 軍 は チ ュ ニ ジ ア で ロ ン メ ル 機 甲 兵 団 に 手 痛 い 打 撃 を う け た 。



最 初 の 機 ,会 で あ る 。 そ の 初 動 で 、 つ ま ず き を み せ た の だ か ら 、 当 然 、 米 本 国 で は 眉 を し か め て い る 。 英 軍 内 か ら も 批 判 の 声 が 発 生 し た 。 将 軍 の 将 来 に 影 響 し か ね な い 。 "ビ ー ド ル # ス ミ ス 参 謀



「(ポ ク シ ン グ ) チ ャ ン ピ オ ン の 最 大 の 敵 は う ぬ ぼ れ で あ る 。 勝 利 を 確 実 に す る た め に は 、 第一



長 は 、す か さ ず ワ シ ン ト ン の マ ー シ ャ ル 参 謀 総 長 に 、打 電 し た 。



ワ シ ン ト ン か ら は ア イ ゼ ン ハ ワ ー 将 軍 に た い す る 批 判 は 寄 せ ら れ ず 、英軍内の動揺も急速にお



ラ ウ ン ド で 敵 の パ ン チ を う け 、若 干 の 鼻 血 と と も に う ぬ ぼ れ を た た き だ す 必 要 が あ る 」



さまつた。



イタリアのムッソリー ニ



首 相 が 失 脚 し 、 ビ エ ト ロ . バ ド リ オ 元帥が



ア イ ゼ ン ハ ワ ー 将 軍 は 、連 合 国 間 の 国 際 軍 事 会 談 に も ス ミ ス 参 謀 長 を 〃 完 全 な 代 理 " として派 遣 し た が 、 一九四三年八月、



ウ ォ ル ター.8.スミス 87



将軍は、 ドイツ



軍から保護して



も ら -



た-



>



そしてレずれ連合



パドリオ元帥の使者ジュゼッペ. カ ス テ ラ ノ 将軍と会見した。 力



支配している



リ ス ボ ン で



将 軍 は 、そ ん な こ と を 相 談 す る た め に 、わ れ わ れ を 派 遣 し た の で は な い 」



軍と戦うつもりだ、 といった。



イタリアを



参謀長は、



秘 か に 和 平 を 申 し こ ん で く る と 、 スミス参謀長にその交渉を命じた。 スミス ステラノ ドイツ



ア イ ゼ ン



ハヮー将 軍 か ら う け た 指 示 は 、 た だ 「適 当 に 、 た だ し 、 う ま く や っ て



ス ミ ス 参 謀 長 は 、眼 を 怒 ら せ て 反 駁 し た 。 そ し て 、 イ タ リ ア 軍 の 無 条 件 降 伏 以 外 に は 応 じ ら れ 、, 。 ロー マに帰って決心が き ま っ た ら 連絡してほしい、 といって、小型無線機をカステラノ将



「ノ ー 。 ア イ ゼ ン ハ ヮ ー



軍と一緒に







参謀長が



軍に渡した。 スミス







¢を 1 う け た ア イ ゼ ン ハ ワ ー 将 軍 は 満 足 げ に 微 笑 し た 。 そ し て 、 スミス参謀長の強



と い う だ け で あ っ た が 、 參 謀 長 は 将 軍 の "真 意 " を 察 し て 、 強 硬 姿 勢 を 示 し た の で あ る 。



はたして、



くれ」



い 態 度 は 、 や が て 司 令 部 の 受 信 機 に ひ び く ロ ー マ か ら の コ ー ル .サ イ ン と な っ て あ ら わ れ 、 シシ



リー島の前線司令部に出頭したカステラノ将軍は、九月八日の米軍イタリア上陸日に発効する無



スミス



参 課 長 が そ の "ア イ ク の 分 身 " と し て の 真 価 を 最 も 有 効 に ^ ; し た の は 、 一



条 件 降 伏 文 書 に 、調 印 し た 。



おそらく、



九四四年六月の連合軍のノルマンディ上陸作戦においてである。



88



この二百八十万人の連合軍を投入する作戦は、 ほぼ一年間の準備期間を必要とする膨大な計画 だった。 英 国 全 体 が 後 方 基 地 と な り 、 百 六 十 三 か 所 の 飛 行 場 が 新 設 さ れ 、 二 百 万 ト ン 以 上 の 食 糧 、資 材



の 箱 で お お わ れ 、空 地 と い う 空 地 に は 五 万 台 の 乗 用 車 を は じ め 戦 車 、 トラック、 ジー プ 、 救 急 車



を 輸 送 す る た め の 鉄 道 二 百 五 十 キ ロ が 、敷 設 さ れ た 。 英 国 南 部 の あ ら ゆ る 森 や 林 の 中 は 、軍 需 品



が な ら び 、 平 原 は 曲 射 砲 、高 射 砲 、 ブ ル ド ー ザ ー で う め ら れ 、倉 庫 は 食 料 、 衣 料 、薬 品 、 そし て



上 陸 し た あ と で 使 用 す る 数 千 台 の 機 関 車 、貨 車 が 用 意 さ れ 、 五 階 建 の ビ ル の 大 き さ の コ ン ク リ



棺で充満した。



1 ト 製 ,人 造 堤 防 , ま で 準 備 さ れ た 。 む ろ ん 、 ホ テ ル は 超 満 員 で あ り 、 海 岸 地 帯 に は 延 々 と 兵 員



ゆる ト















処 理 し 、報 告 書 を



























一点のまちがいもな 、







運営するのが、



















こ う い っ た 巨 大 な 量 の 人 員 、 資 材 、艦 船 、 飛 行 機 を 、 ひ と つ の 計 画 の 中 に 整 理 し 、 発 生 す る あ



用 テ ン ト が つ ら な っ た 。港 は 、艦 船 で 満 た さ れ た 。







謀長の仕事である。 それは、困難な面に注目しはじめたら、たちまち失神したくなるほどの忍耐と努力を要する任 務 だ が 、 ス ミ ス 参謀長は、相 次 ぐ 会 議 を 主 催 し 、絶 え 間 な く 届 け ら れ る 報 告 書 に 眼 を 通 し な が ら 、 町 の ビ ヤ ホ — ル で の 米 兵 対 英 兵 の ヶ ン 力 か ら 、戦 略 爆 撃 の 目 標 設 定 ま で 、 す べ て を 手 ぎ わ よ く 処



ウォルター.8.スミス 89



参 謀 長 は 「ア イ ゼ ン ハ ヮ ー を ア イ ク に し た 男 」 と 、 い わ れ る 。 ア イ ゼ ン ハ ヮ ー将 軍 は 連



お か げ で 、 アイゼンハヮー将軍は、少 な く と も 一 日 四 時 間 は部隊視察をする余裕を持つことが



スミス



できた。



合 軍 最 高 司 令 官 と し て の 成 功 と 人 気 で 、 やが て 大 統 領 に な る が 、そ の人気は部下将兵の支持が中



き 、



握手した成果に ょるが、



その時間を将軍に与えたのは、



スミス



參謀長にほかぬらないからで



心 に な っ て い る 。 そ し て 、将 軍 が 部 下 に 人 気 を 得 た の は 、 こ ま め に 部 隊 を 訪 ね て 兵 士 の 肩 を た た



連 合 軍 の ノ ル マ ン デ ィ 上 陸 は 、 一九四四年六月六日である。 し か し 、そ の 数 日 前 か ら 天 候 は く



ある。



ず れ 、将 軍 は 、 上 陸 を 決 行 す る か 延 期 す る か 、 の 決 断 に せ ま ら れ た 。 その決断を準備したのも、 スミス参謀長であった。



I



副 司 令 官 8 ,モ ン ゴ メ リ ー



スミス参謀長は五 日 に 予 定 さ れ て い た 上 陸 日 を ま ず 延 期 し た 。 つい で 、 や や天候が回復する見 込 み が た つ と 、 ア イ ゼ ン ハ ヮ ー将 軍 が 相 談 す る 四 人 の 高 級 指 揮 官



令官3 ‘ラ ム



ゼ ー 英大将 I



参謀長は、



アイゼンハヮー



将軍が決行の意思を持っている



に工作 し て 、空 軍 関 係 は 決 行 反 対 、陸 海 は 賛 成 と 答 え て も ら ぅ こ と



英 元 帥 、 空 軍 司 令 官 丁 ,リ ー マ ロ リ ー 英 大 将 、 航 空 輸 送 部 隊 司 令 官 冒 .テ ッ ダ ー 英 大 将 、 海 軍 司



にした。



知 っ て い た 。そ し て 、 計 画 立 案 の 責 任 者 と し て 、作 戦 の 成 功 も 確 信 し て い た 。他 の 指揮官



理 由 -- は 、 簡 単 で あ っ た 。 ス ミ ス ことを



90



た ち も 同 様 の は ず で あ る 。 だ が 、 全 員 一 致 で 決 行 を 進 言 し 、将 軍 が そ れ に 従 う の で は 、 最 高 司 令



残らなくなるからである。



官 と し て の 決 断 の 味 は う す れ 、 ま た 万 一 失 敗 し た と き は 、慎 重 な 考 慮 を は ら っ た と い う 記 録 も 、



会議は、 スミス参謀長のお膳立てどおりに運んだ。 四人の指揮官の意見はニ対ニとわかれ、 つ



ま す 」 と 参 課 長 は 答 え 、「よ ろ し い 、 出 か け よ う 」 と 、 将 軍 は 決 断 し た 。



づ い て ア イ ゼ ン ハ ヮ ー 将 軍 が フ ビ ー ド ル " キ ミ は ? 」 と た ず ね る と 、 「私 は 決 行 す べ き だ と 思 い



スミス



参謀長の巧みな手腕



上 陸 は 成 功 し 、連 合 軍 は ド イ ッ を 目 指 し て 進 撃 を つ づ け た 。 英 軍 、 と く に モ ン ゴメリー元帥か らは、しばしば自分を優位におくための^ ^ や抗議が寄せられたが、 で お さえられ、連 合 軍 は 有 効 な 戦 闘 能 率 を 維 持 し て 進 ん だ 。



I



つまり、 あ ら ゆ る 可 能 性 を 考 慮 し な が ら 精 密 な 計 画 書 を つ く っ て 指 揮 官 の た



ス ミ ス 参 謀 長 の 能 力 は 、 あ ら た め て 高 く 評 価 さ れ 、 集 団 軍 か ら 連 隊 ま で 、 幕 僚 は こ ぞ っ て 「ス ミス式幕僚術」



め に 準 備 す る 、 い わ ば 自 分 自 身 を 書 類 整 理 棚 に 変 身 さ せ る ガ 無 私 の 補 佐 ,を 、 心がけるようにな



当 然 、各 部 隊 の 行 動 は 効 率 を あ げ 、連 合 軍 は ま す ま す 進 撃 の 歩 度 を 早 め て 、 アイゼンハヮー将



った。



軍を喜ばせた。



ウォルター.8.スミス 91



こ の 有 能 な 「ス ミ ス 式 幕 僚 術 」 に は 、 予 想 外 の 欠 陥 が あ り 、 そ の 欠 陥 は 思 い が け ぬ 打 撃 を 招 く ことになつた。



戦 い ,あるいは〃 アルデンヌ



森攻勢



,として



知 ら れ る 反 撃 計 画 は 、 ドイツ側が



一 九 四 四 年 十 二 月 十 六 日 に 開 始 さ れ た ド イ ツ 側 の 〃 ル ン ト シ ュ テ ッ ト 大 反 撃 " におけるミスで



こ の "パ ル ジ の



ある。



戦局の転換をねらって実施した野心的な作戦である。



指 揮 官 は 西 部 方 面 総 司 令 官 力 ー ル .フ ォ ン .ル ン ト シ ュ テ ッ ト 元 帥 。 動 員 兵 力 は 、 第 六 機 甲 軍



を 基 幹 と す る 兵 員 約 三 十 万 人 、戦 車 ニ 千 台 以 上 、 飛 行 機 約 ニ 千 機 … … 。 ル ク セ ン ブ ル ク 北 部 か ら



のがねらいである。



アルデンヌ森林地帯を突破し、 オランダのアントワーブ港を占領して連合軍の補給路を遮断する



作戦は、 ヒトラー総統自身の発案にょるもので、 ドイツ軍首脳部はこの攻撃が大きな賭けであ



る こ と を 承 知 す る と と も に 、最 後 の 期 待 と 熱 意 を か け て い た 。 ヒトラー総統は、作 戦 開 始 前 、 西



部 方 面 総 司 令 部 に 参 加 部 隊 指 揮 官 を 集 め て 訓 示 し 、 ル ン ト シ ュ テ ッ ト 元 帥 も 「い ま や わ れ わ れ は



準 備 は 極 秘 に さ れ 、機 密 は ほ ぼ 完 全 に 保 持 さ れ た 。 少 し で も 不 審 な 市 民 は 一 人 残 ら ず 、 各 部 隊



す べ て を 睹 け て い る 、 失 敗 は あ り 得 な い 」 と 、叫 ん だ 。



あ っ て も



、機 喊 化 部 隊 は ア ル デ ン ヌ 戦 線 の 五 キ



以 〇内 に 行 動 す る こ と は 禁 止 さ れ 、 各 部 隊 は 攻 勢



の集結地から追放された。 部 隊 の 暗 号 名 は 変 え ら れ 、移 動 は 夜 間 に 限 ら れ た 。どのょぅな理由が



92



( 丁



. ミ















少 ン将)が、 う























森 一 帯 に は 、米 軍 の 第 十 二 集 団 軍 第 一 軍 第 八 軍







配置されているだけであった。 しかし、その周辺には連合







ドイツ側の目標選定は適切であり、



発起直前に展開する手はずをきめられた。 団 軍がひしめいている。 作 戦 の 成 否 は 「奇 襲 と ス ビ ー ド 」 に か か っ て い る 。,そ れ だ け に 、 事 前 に 計 画 を 察 知 さ れ ぬ よ う 、



















は ず し た り 、偽 電 を 発 信 し て な お 駐 屯 す







ダーに録音した装甲車の走音を放送したりした。















思 わ せ た り 、 あるいはテ



入 念 な 企 図 秘 匿 と 偽 装 工 作 が 必 要 と さ れ た わ け で あ る 。 部 隊 の 移 動 を さ と ら れ な い た め に 、 ドイ







ツ軍は、自 動 車 の —ブ



お か げ で 、十 二 月 十 六 日 に 作 戦 が 開 始 さ れ た と き 、攻 撃 は ほ と ん ど 完 全 な 奇 襲 と な っ て 、米 軍 は 痛 打 を う け た 。 結 局 は 、 ド イ ツ軍は、 兵 員 約 十 万 人 、戦 車 約 八 百 台 、飛 行 機 約 千 機 を 失 っ て 敗 退 す る が 、攻 撃 は 一 九 四 五 年 一 月 初 旬 ま で つ づ き 、 一時はベルギー南部を制 圧 す る 勢 い を 示 し た 。



こ の ,ア ル デ ン ヌ 攻 勢 " は 、 の ち に 米 軍 側 で は 「計 算 さ れ た 危 機 」 で あ っ た と い わ れ 、 あ た か



っ た の で あ り 、 そ の 主 因 の ひ と つ に 、 「ス ミ ス 式 幕 僚 術 」 が 指 摘 さ れ る の で あ る 。



も 逆 に ド イ ツ 軍 を 誘 い こ ん だ か の 如 く に 論 評 さ れ た が 、 現 実 に は "計 算 さ れ な か っ た 危 機 " であ



力 ー チ ス 大 佐 は 、 「ア イ ゼ ン ハ ワ



I







ド イ ツ 軍 は 巧 み に 企 図 を か く し て い た が 、そ れ で も い く つ か の 危 険 な 徴 候 は 、察 知 さ れ て い た 。 たとえば、 アイゼンハワー司令部の作戦情報課長代理!



ウォルター.8.スミス 93



ブ ラ ド レ ー 両 将 軍 と も 、 ア ル デ ン ヌ 地 区 が 危 険 だ と い う 報 告 は う け て い た 」 と い い 、第 十 二 集 団







一月十 六 日 の 二 週 間 半 ば か り 前 だ が 、 私 は ア ル デ ン ヌ 地 区 に た い す る ド イ ツ 軍 の 攻 撃 力 に つ



軍 司 令 官 ブ ラ ド レ ー 大 将 の 情 報 部 長 覎 ‘サ イ パ ー ト 准 将 も 、 次 の ょ う に 述 べ て い る 。 「士











たんなる可能性では















「極 め て あ り 得 べ き











だ」 と







警告した。また、 ド イ ツ 軍 捕



第 一 軍 情 報 参 謀 ,デ イ ク ソ ン 大 佐 は 、 ル ン ト シ ュ テ ッ ト 元 帥 が オ ラ ン ダ 南 部 に 攻 勢 を か け る



い て 、 ブ ラ ド レ ー将 軍 の 注 意 を 喚 起 し た 」







虜 収 容 所 に い る 情 報 委 員 か ら は 、 正 確 に 「十 二 月 十 六 日 に ド イ ツ 軍 が 大 反 撃 に 出 る 」 と 通 報 し て



だ が 、 こ う い っ た 警 告 や 情 報 は 、參 謀 た ち の 報 告 書 で は 、 ま る で ブ ド ゥ 酒 び ん の 中 に た だ ょ う



きた。



細 か い 酒 が や の ょ う に 、存 在 意 義 が う す れ て い た 。



ア ル デ ン ヌ 地 区 の 危 険 を 指 摘 し た か と 思 う と 、 「ア ル ザ ス 地 区 に た い す る 脅 威 の 可 能 性 も 極 め







て 無 視 で き な い 」 と 述 べ た り 、 「ド イ ツ 軍 の 兵 力 温 存 は 大 い に あ り 得 る 」 と い う か と 思 え ば 、 「い ま や 、 敵 に 主 要 な 攻 勢 を お こ な う 余 力 は 乏 し い 」 と つ け 加 え る 。















































部 の 隊 ( 第 六 機 甲 軍 ) が 参 加 し な い 限 り 、真 の 満 足 は 得 ら れ な い は ず で あ



可 能 性 を 見 落 と さ な い の が 、 "ス ミ ス 型 幕 僚 , だ と い う 信 仰 に も と づ き 、



参 謀 も 、 いた。







ド イ ツ 第 六 機 甲 軍 の 移 動 に つ い て 、 い く つ か の 徴 候 を あ げ て 不 安 を 表 明 し な が ら 、 「敵 の 攻 撃



結論す







要するに、







発起を る



94



あ り と



あ ら ゆ る 可 能 性 は 列 挙 し た も の の 、焦 点 は 定 ま ら ぬ ま ま に 、 な んの# ^ も発見できなくな



ったのである。



ロシア



戦線の戦略について述べたり、



フィンランド



人の心理にふれ



お ま け に 、 ス ミ ス参謀長は名文家でもあったため、参 謀 た ちは報告を引用や歴史的比喻で飾り た て た り 、戦 術 情 報 な の に 、 る報告もあった。 そ の 結 果 は 、 ま と も に 奇 襲 を う け た 第 八 軍 団 第 五 装 甲 師 団 の ? ,フ ィ リ ッ ポ ス ポ ー ン 少 佐 の 次



「わ れ わ れ は 、 付 近 の 町 の ど こ に レ ス ト ラ ン が あ る か は 正 確 に 知 っ て い た が 、 敵 の 対 戦 車 砲 が ど



の よ うな回想が、物 語 っ て い る 。



こに配置されていたかは、さっぱり知らされなかった」 ス ミ ス 参 謀 長 も 、各 部 隊 あ る い は 英 軍 側 か ら 送 ら れ る 情 報 報 告 を 熟 読 し て い た が 、 た と え ば 敵



もっぱら



はらう



形 で 、終 始 し た 。 個師団をアルデンヌ地区に集中して攻撃を開始した 軍兵力は、わずか六個師団半と信じこんでいた。



が あ っ た こ と も 、確 か で あ る 連 戦 連 勝 の 連 合 軍 と し て は 、 ド イ ツ 軍 は 撃 破 さ れ 、再



ドイツ



I



報告書の体裁の良悪に関心を



の 通 信 の 暗 号 解 読 に う な ず い て も 、 敵 が 無 線 を 封 止 し て し ま う と 、威 力 偵 察 に よ る 情 報 収 集 は 指 示せず、



I



参謀長は同地区の



そのため、 ルントシュテット元帥が、



油断



とき、 スミス



の意図の反映だけに気をとられていた、 といえる。



起 能 力 を 失 っ た と 予 測 す る 一 方 、敵 を 考 え ず に 、 あ た か も 鏡 を の ぞ き こ む よ う に 、 もっぱら自分



し か も 、そ ぅ い っ た 油 断 が 訂 正 さ れ な か っ た 背 景 に は 、 も っ ぱ ら 書 類 審 査 と 交 渉 が 幕 僚 の 主 任



務 で あ り 、 そ れ が ^ ; 官 を 補 佐 す る 最 善 の 方 法 だ と い ぅ 考 え 方 が 横 た わ っ て い た こ と も 、 明らか



ア ル デ ン ヌ の 打 撃 に つ い て は 、 結 局 は 、 勝 利 の ト キ の 声 の 中 で 、 責 任 は 「特 定 の 個 人 ま た は 特



である。



ス ミ ス 参 謀 長 は 、戦 後 は ア ィ ゼ ン ハ ヮ ー 大 統 領 の 下 で 、 国 防 次 官 、 駐 ソ 大 使 な ど を 歴 任 し 、 最



定の機関にはない」 と判定された。



後 ま で 「ア ィ ク の 分 身 」 役 を つ と め た 。



96



ウ ィ リ ア ム ,リ 丨 ヒ



ウィリァム. リ ー



予備海軍大将は、そういって、















めだつ細い が











「私 は 老 人 で す 。 ど ん な 仕 事 が で き 、 ど ん な お 役 に た て る も の で し ょ う か 」



—ズベルト大統領を注視した。































ル 、



リ ー ヒ 元 大 将 は 、海 軍 作 戦 部 長 兼 合 衆 国 艦 隊 総 司 令 官 と い う 海 軍 の 最 高 位 を 占 め て 退 官 し 、 駐



一,九 四 ニ 年 七 月 七 日 — 、ッ ド ウ ュ ー 海 戦 の 一 か 月 後 、 よ う や く 太 平 洋 戦 争 に 米 軍 反 攻 の 影 が しのびよろうとするころである。



フ ラ ン ス 大 使 も つ と め 、 ま さ に 隠 退 生 活 に は い ろ う と し て い た 。 一八七五年五月六日生まれだか ら 、当 時 、 六 十 七 歳 。 自 身 で い う よ う に 、 ま ぎ れ も な い 老 人 で あ る 。 「い や 、 ビ ル (ウ ィ リ ァ ム の 愛 称 )、 老 人 だ か ら い い の だ 。 戦 場 は 若 者 の 世 界 だ 。 だ が 、 戦 争 は 若 者 の 勇 気 だ け で は 勝 て な い 。 た とえ、勝 っ た に し て も 、 そ の 勝 ち 方 が 惨 め な も の に な っ て は 、



ウ ィ リ ア ム ,リーヒ 97



国家としては好ましい ことでは



ない。老 人 は 若 者 に 比 べ て 慎 重 だ し 、妥 協 し や す い 。戦 争 に は 、



この老人の特性が必要なはずだょ」



と、 リ ー



ヒ 元 大 将 は 、う な ず い た 。



「わ か り ま し た 、 大 統 領 」



ルーズベルト大統領が、 リ ー ヒ 元 大 将に提案したのは、米国陸海軍最高司令官参謀長のポスト



で あ っ だ 。 つ ま り 、陸 海 軍 最 高 司 令 官 で あ る 大 統 領 の 特 別 顧 問 と し て 、 軍 事 面 に か ん す る い っ さ



こ の 大 統 領 の 要 求 は 、具 体 的 な 必 要 に も 、 も と づ い て い た 。



い の 相 談 役 と な り 、最 高 秘 書 的 役 割 を は た し て ほ し い 、 と い う の で あ る 。



ァー ノル



ー ジ .マー



ド 大 将 の 三 人 で 、統 合 參 謀 本 部 を



シャル



組織 し た 。



大 統 領 は 開 戦 と と も に 、 ョ — 0ッパ、 太 平 洋 両 戦 線 の 作 戦 指 導 を 円 滑 に す る た め 、 陸 軍 參 謀 総 大 将 、 海 軍 作 戦 部 長 ?-丨 ネ ス ト . キ ン グ 大 将 、 陸 軍 航 空 部 隊 総 司 令 官 へ



長 ジ ョ



ンリ!



統 合 參 謀 本 部 は 、 日本 の 大 本 営 に 似 た 最 高 幕 僚 機 関 だ が 、大 本 営 が 天 皇 親 率 の 形 を と り な が ら 、



実 質 的 に は 陸 軍 (参 謀 総 長 ) と 海 軍 (軍 令 部 総 長 ) が 並 立 し て 、 と か く 対 立 関 係 に あ っ た の と は



と こ ろ が 、大 統 領 は 忙 し い 。 軍 事 面 の み な ら ず 、微 妙 な 内 外 の 政 治 指 導 の た め に 多 く の 時 間 と



ちがい、大統領の決定権に従属する立場にある。



となると、 三人の大将がそれぞれに必要な決定を求めょうと思っても、なかなか大統領に会え



労力をさかねばならない。



98























































ない れ 。















相手のつごうが悪かったりで、 に







大 統 領 は 、 マーシャル



機 会 が ふ え 、最 高 軍 事 指 導 機 関 の チ ー



シャル参謀総長が、その危険をまっさきに感じとり、 ルーズべル











このままでは三者の対立、 とりわけ三人のうち二人が陸軍で



なかったり、また大統領のほうで、 三人を書斎に呼びたい







. ワ



あ る だけに、海 軍 代 表 の キ ン グ 大 将 が 強 硬 意 見 を 主 張 す



なにかと支障が出てきた。







総 長 の 進 言 に 従 っ て 、 リ ー ヒ 元 大 将 の 起 用 を 考 慮 し た 。 つまり、 リ ー ヒ 元 大 将 を 統 合 参 謀 本 部 に 加 え 、 会 議 を 主 宰 さ せ て そ の つ ど 、大 統 領 に 内 容 を 報 告 さ せ 、 ま た 大 統 領 の 意 向 を 伝 え さ せ れ ば 、 大統領と統合参謀本部との連絡はスムーズになる。 かつ大統領に直属するだけで軍にたいする権



す な わ ち 、 〃大統領の參謀畏" で あ り 、 統 合 参 謀 本 部 に お け る 大 統 領 の 〃 代 表 " が 、 リ ー ヒ 元



限 を も た ぬ リ — ヒ元大将は、容 易 に 他 の 三 人 の 仲 介 役 に も な り う る 。



リ ーヒ元大将は、最 初 、 マーシャル参謀総長から、 この地位を示唆されたとき、即座に拒否し



大将の任務となるわけである。



た。 「ま ず 第 一 に 、 こ の 仕 事 を 完 全 に や る に は 、 神 に 近 い 公 平 無 私 の 心 境 で の ぞ ま ね ば な ら な い 。 だ が、 私 は 海 軍 軍 人 だ 。海 軍 の 立 場 を は な れ き る こ と は 、 できないだろう。第 二 に 、 この仕事は激 務 だ 。 た ぶ ん 、他 の 統 合 參 謀 本 部 の メ ン バ ー ょ り も 忙 し く な る に ち が い な い 。 だ が 、 私は他の三 人 ょ り も 年 長 の 老 人 だ 。 と て も 、耐 え ら れ る 自 信 は な い 」



ウ ィ リ ア ム ,リーヒ 99











































は ホ















.



































毎 。 週水曜日



統と 合 参 謀 本 部 を 往 復 す る 。 深



同 、 本 部 の 事 務 所 に 行 く が 、会 議 は 必 要 に 応 じ て



統合參謀本部の両方に事務所を











ちうに 数 回 、







た し か に 、 "大 統 領 参 謀 長 " と し て の 仕 事 は 、 激 務 で あ っ た 。



リーヒ参謀長は、 ホ ワ イ ト .







開かれる統合参謀本部会議に出席



開かれるので、 と き に 夜の場合 も 、 あ る 。



一方、 毎 朝 、 午 前 八 時 〜 八 時 三 十 分 に 、 ホ ワ イ ト . ハ ウ ス の 事 務 所 に 出 勤 し て 、 前 夜 に た ま っ



た 作 戦 関 係 電 報 を チ ェ ッ ク す る 。 前 線 指 揮 官 発 の 電 報 は ピ ン ク 、前 線 あ て の 電 報 は 黄 色 、統 合 参



謀 本 部 の 書 類 は 緑 色 に 色 わ け さ れ て い る が 、 そ の 中 か ら 大 統 領 の 目 に ふ れ る べ き も の を 選 び 、書 斎の入り口に立って、 エレべーターから出てくる大統領を待つ。



秘 密 の ポ ス ト で は な い の で 、大 統 領 に 直 属 す る 立 場 を 利 用 し よ う と す る 政







、軍 人 の 群 れ と の 面 会 に 応 じ な け れ ば な ら な い 。







む ろ ん 、大 統 領 が 旅 行 す る と き は 、国 内 の 選 挙 演 説 の さ い も 、海 外 で の 巨 頭 会 談 に も 同 行 せ ね そ











に た











日々 が つづいたが、 リーヒ参謀長は、就 任 を 説 得 さ れ た 大 統 領 の 言 葉 か ら 、自



多 忙 の 一 語 に つ き る 生 活 で あ る 。 老 提 督 で あ る リ ー ヒ 参 謀 長 に と っ て は 、文 宇 ど お り



I







治 家 、 学 者 、実 こ



ばならない。







に骨身に



「そ れ は 、 老 人 の 立 場 を 守 る 、 と い う こ と だ 。 私 は 、 い わ ば 大 統 領 と い う 米 国 最 高 指 揮 官 の 〃 個



分の役割の意義を認め、その遂行に熱意を燃やしつづけた。



100



人 代 表 〃 で あ り 、 そ の "個 人 幕 僚 " に あ た る 。 と い う こ と は 、 む し ろ 、 公 式 に は 表 明 で き な い 大 統 領 の 意 思 を 、非 公 式 に 実 現 す る 責 任 を 与 え ら れ た わ け だ 。 変 則 な 地 位 の よ う だ が 、 じ つ は 指 揮 官 と 幕 僚 と の 関 係 に お い て は 、 本 来 の 幕 僚 の 責 務 と は 、 そ う い う も の で あ る は ず だ 。 で は 、老 人















遭遇す ば







陸 海 の 対 立 に つ い て も 、 こ の 「若 者 を 助 け



理 解 で 対 処 し 、妥 協 を は か っ た 。







私 は 、 そ れ は 、戦 士 で あ る 米 国 の 若 者 た ち を で き る だ け 殺 さ ず に 勝 利 を 得 よ 、 ということだと



の 効 用 を 発 揮 せ よ 、 と 求 め た 、大 統 領 の 意 図 と は な に か ?







リ ー ヒ 参 謀 長 は 、統 合 參 謀 本 部 で



理解した」







た と え ば 、太 平 洋 戦 争 を 通 じ て 、米 陸 海 軍 の 最 も 深 刻 な 対 立 は 、 日本を打倒する作戦ルートに



るのが老人の務めだ」



















































大ツ 将 を























海軍が強調する中部太平洋から台湾を経て日本本土



か ん す る も の で あ っ た 。具 体 的 に は 、 マ ッ カ ー サ ー 大 将 が 主 張 す る フ ィ リ ピ ン を 経 て 日 本 本 土 を めざす コ



対立である。



に迫る



一 九 四 三 年 が す ぎ る と 、 ヨ ー ロ ッ パ 戦 線 で は 、 米 英 軍 は イ タ リ ア を 支 配 し 、 ソ 連 軍 は 、 ドイツ



こ の 対 立 は 、戦 況 が 米 軍 に 有 利 に な る に つ れ て 、ま す ま す 強 化 さ れ る 傾 向 に あ っ た 。



東 部 国 境 に せ ま り 、 ノ ル マ ン デ ィ 上 陸 作 戦 の 準 儘 も 急 ビ ッ チ で 進 ん だ 。 太 平 洋 戦 線 で は 、 ニユー























ていた。



ギニア沿いのマッカーサー軍の北上も歩度を早めたうえ、制海権はしだいに米海軍の手ににぎら



1 0 1 ウ イ リ ア ム ,リ一ヒ



「も は や 、 わ れ わ れ が ょ ほ ど パ 力 げ た 戦 略 的 、 戦 術 的 ミ ス を し な い か ぎ り 、 わ れ わ れ の 勝 利 は 約



束 さ れ た 。 た だ 、 問 題 は 時 間 で あ る 。 勝 利 が 早 け れ ば 早 い ほ ど 、 わ れ わ れ の 死 傷 は 少 な く 、 また 使 う ド ル も 少 な く で き る 。 し た が っ て 、わ れ わ れ が 考 え る べ き は 、時間節約のための勝利戦略で ある」



リ ー ヒ 参 謀 長 は 、 一九四四年三月二十一日、統 合 参 謀 本 部 の 情 勢 判 断 会 議 の 冒 頭 で 、まず所信 をひれきした。 ルーズベルト大統領の意見でもある。



マ ッ カ ー サ ー軍 を 支 援



リ テ ン島 ラパ ウ ル を す ど



ミ ラ ル テ ィ 諸 島 に 上 陸 し た 。 ニ ミ ッ ツ大 将 は 、



ブ ニ -日 ! 、 東 ニ ュ ー ギ ニ ア に 隣 接 す る ニ ュ ^―



チ ラ と 眉 を し か め な が ら 、 ニ ミ ッ ツ太 平 洋 方 面 総 司 令 官 か ら の 報 告 を ひ ろ う



マーシャル、 キング、 ア ー ノ ル ド 三 大 将 は 、 む ろ ん 、 す か さ ず う な ず い て 同 感 の 意 を 表 明 し た



した。



が、 キング大将は、



マ ッ カ ー サ ^^軍 は 二 月 おりして、その北方のアド



す る ^ ^ ハルゼー大将を通じて、 そ の マ ヌ ス 島 に 海 軍 基 地 を 設 け 、 ハルゼー大将の指揮下におく



海 軍 は 、台 湾 を 攻 略 し て 日 本 本 土 を 機 動 部 隊 の 傘 の 下 に い れ 、 日本の降伏を早める計画をもっ



ことを提案した。



と こ ろ が 、 マ ッ カ ー サ —大 将 は 反 対 し た 。 し か も 、 そ の 反 対 ぶ り は 異 常 だ 、 と キ ン グ 大 将 は 指



ている。 マヌス島は台湾への進攻の前進基地として、 必要である。



102 「 マ















































総 司 令 官 あ て の 報 告 書 を 、読 み あ げ た 。







将 ー 軍 は ( 本 官 に ) 次 の よ う に わ め い た 。 ,た だ ち に



摘して、 ハルゼー大将から



自分の計画を放棄 は



しよ、 へたろう% そ し て 、 将 軍 は 、 "自 分 の フ イ リ ピ ン 進 撃 に じ ゃ ま に な る よ う な こ と は 、 け つ し



す べ き だ 。 自 分 は 支 持 し な い 。 いや、 米 国 民 も 支 持 し な い だ ろ う し 、 才 丨 ス ト ラ リ ア 国 民 も 支 持



て 許 さない" と叫んだ。将 軍 は 、明 ら か に 自 分 の 権 威 の 幻 想 に と り つ か れ 、幕 僚 た ちは将軍の計 画 に 反 対 し な い こ と だ け を 考 え て い る .. 」 海 軍 に た い す る 侮 辱 と は い わ な い 、 し か し 、 ほ ぼ そ れ と 同 等 の 陸 軍 の 態 度 で は な い か 、 と、 キ ン グ 大 将 は 、 目 を 光 ら せ 、 こ の さ い 、対 日 進 攻 コ ー ス を 明 白 に す る こ と が 、 今 後 の 作 戦 遂 行 に 絶



長 距 離 重 爆 撃 機 が 第 一 線 に 登 場 す る 、 そ う な れ ば 、台 湾 コ ー ス 、 フ . 1 リ ピ ン .コー



ス」 を 支 持 す る 立 場 で 、 問 題 の 明 確 化 に 賛 成 し た 。 ア ー ノ ル ド 大 将 は 、 数 か 月 後 に は 半 径 千 六 百



対 必 要 だ 、 と 提 讓 し た 。 マー シ ャ ル 大 将 も 、 陸 軍 と し て 、 マ ッ カ ー サ ー軍 の 「フ イ リ ピ ン .コー



マイルの8



だ 」 ——



と い う の が 、 キ ン グ 、 マーシャル、 ア ー ノ ル ド 三 大 将 の 合 唱 だ っ た 。 リ — ヒ参 謀 長 は 、 発 言 し た 。



「で よ 、 本 官 は 、 陸 海 軍 が そ れ ぞ れ 自 主 的 な コ ー ス を 進 む こ と を 提 案 す る 。 マ ッ カ ー サ ー 軍 は 予



そこで、



「日^ - 土 攻 略 作 戦



「今 後 、 日 本 を 降 伏 さ せ る 作 戦 の う ち で 、 わ が 軍 に 最 も 多 く の 出 血 を 強 要 す る も の は な に か 」



リ ー ヒ 参謀長は、質 問 し た 。



ス、 い ず れ か ら も 日 本 の 空 を 支 配 し 、 そ の 戦 争 能 力 を 破 壊 で き る 、 と 答 え た 。



29



ウ ィ リ ア ム ,リ“、 ヒ 103



定どおり、



し た



フ ィ リ ピ ン 南 部 を め ざ し 、 ニ ミ ッ ツ軍 は 台 湾 に む か う 。 た だ し 、 こ れ は 厳 重 に 守 っ て



る か ら だ」



い た だ き た い が 、 日 本 本 土 進 攻 作 戦 だ け は 、 で き る だ け 、 いや、 け っ し て 実 行 し な い よ う に い。 あ ま り に も 多 く の 血 を 流 し て は 、 勝 利 の 意 義 は 減 少 す



ス ヶ ジ ユ ー ル をき めた。 リ ー ヒ参



フ ィ リ ピ ン 南 部 の ミ ン ダ ナ オ 島 に む か い 、 ニ ミ ッ ツ 軍は



翌 日 、 三 月 十 二 日 、統 合 参 謀 本 部 は 、 そ の 後 、 . 一年間の作戦 謀長の提案のように、 マッカーサー軍は 合湾に急進する計画であった。



ど お り の方向は与



し か し 、陸 軍 を 代 表 す る マ ー シ ャ ル 大 将 、 海 軍 を 代 表 す る キ ン グ 大 将 も 、 ま し て 、 現 場 指 揮 官



で あ る ニ ミ ッ ツ 、 マッカ— サ ー 両 大 将 は 、 満 足 し な か っ た 。 そ れ ぞ れ に 、 思 い



え ら れ た も の の 、 い ず れ も 一 歩 前 ま で の 前 進 を 認 め ら れ た に す ぎ ず 、終 局 の 目 標 と 日 本 に た い す



テ ィ モ ア 」



でホノルルに着いた。



る戦略思想が承認されてはいないからである。 七月二十六日、 リーヒ参謀長はルーズベルト大統



マッカーサー大将も呼び、 ニミッツ大将をまじえて、最終的に対日進撃ルートをきめるためで



領 と と も に 、 重 巡 「バ ル



重 巡 「パ ル テ ィ モ ア 」 が 真 珠 湾 に 入 港 す る と 、 太 平 洋 方 面 総 司 令 官 一 一 ミ ッ ツ 大 将 が 幕 僚 た ち と



ある。



ラ ッ プ をあ が ってきた。冬 服 を 着 て い る 。 テ ィ モ ア 」



ー サ ー 大 将 も す で に ニ ユ ー ギ ニ ア か ら 到 着 し て い た が 、 大将は



リ — ヒ参 謀 長 が 、 力 ー キ 色 シ ャ ツ の 略 服 の ネ ク タ イ を ゆ る め



のタ



と も に あ い さ つ に 、来 た 。 マッ カ



と、



し ば ら く し て か ら 、 一 人 で 「パ ル 「暑 く な い の か ね 、 将 軍 」 ——



104



な が ら 質 問 す る と 、 マ ッ カ ー サ ー 大 将 は 、皮 ジ ャ ン パ ー を 着 た ま ま 、 無 愛 想 に 答 え た 。







ユー ピ







ニ ン







戦線も暑い。 しかし、山地は冷える。 マッカーサー大将がいぅ〃暖かい土地"が、







指 を しているのは明白であるだけに、 リーヒ参謀長は、 いささか鼻白んだ。







「わ が 軍 は ま だ 寒 い 戦 場 に い る 。 む ろ ん 、 一 刻 も 早 く 暖 か い 土 地 に 移 り た い が 」



























壁一面に巨大な太平 、



大 ー 将 は 、台 湾 を 奪 取 す る こ と は 有 利 だ が 、そ の 前 に フ ィ リ ピン奪回は絶対に必要







ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 は 「モ ア ナ .ホ テ ル 」 に 泊 ま り 、 翌 日 、 七 月 二 十 七 日 、 夕 食 に ニ ミ ッ ツ 、 マッカ— サ ー 両 大 将 の ほ か 、真 珠 湾 に 寄 港 中 の ハ ル ゼ ー 大 将 も 招 い た







洋 地 図 を か け た 居 間 で 、 ニミッツ、 マ ッ カ ー サ —両 大 将 と 会 談 し た 。



である。 フ ィ リ ビ ン を 抑 え る こ と は 、東 南 ア ジ ア を コ ン ト ロ | ル す る こ と を 意 味 す る 。 そ し て 、



日本軍を追放する必要がある、 と強調した。



米 国 に 忠 誠 を 誓 い 、 い ま な お 日 本 軍 と 戦 い つ づ け る フ ィ リ ピ ン 市 民 の た め に も 、 フィリピンから



襲と鬚で日本を降伏させ得る、



と い ぅ 立 場 か ら 、台 湾 攻 略 作 戦 の 必 要 を



「戦 略 的 、 政 治 的 、 そ し て 道 義 的 に も 、 フ ィ リ ピ ン 進 攻 作 戦 は 不 可 欠 か つ 最 有 効 な 作 戦 で あ り ま ニ ミ ッ ツ大 将 は 、 空



す」



して、 日本の心臓部を空襲で破壊すれば、 日本の降伏は早められる



。 フ ィ リ ピ ン に ついても、台



主 張 し た 。台 湾 を 攻 略 す れ ば 、 日 本 は 完 全 に 機 動 部 隊 と 基 地 航 空 隊 の 行 動 半 径 内 に お さ ま る 。そ



ウ ィ リ ア ム ,リーヒ 105



ィリビン市民は解放できる。



湾 作 戦 の 一 部 と し て 北 部 フ ィ リ ピ ン を 制 圧 す れ ば 、在 フ ィ リ ピ ン 日 本 軍 の 無 力 化 を 達 成 し て 、 フ



ま し よ う 」



「要 す る に 、 目 標 は 日 本 の 降 伏 に あ り ま す 。 そ の た め に 最 も 手 早 く 、 経 済 的 な 作 戦 を 採 用 す べ き であり



会 議 は 深 夜 ま で つ づ き 、 さ ら に 翌 日 の 朝 食 後 か ら 午 後 に か け て 続 行 さ れ た 。 —ミ ッ ツ 大 将 も マ



ッ ヵ ー サ ー 大 将 も 、冷 静 を 維 持 し た が 、 同 時 に 自 説 を 堅 持 し つ づ け た 。 ル ー ズ べ ル ト 大 統 領 は 、



リ ー ヒ 参 謀 長 に よ れ ば 、 「ブ ロ の 軍 事 専 門 知 識 の 持 ち 主 」 で あ っ た の で 、 し き り に 質 問 を く り 返



「ビ ル 。 ど こ か に 妥 協 点 が あ る は ず だ が 、 そ れ が ど こ か は っ き り し な い よ う だ 」



し て 、 二 人 の 意 見 の 調 節 を は か っ た が 、昼 食 後 、 リ ー ヒ 参 謀 長 に 、 た ず ね た 。































































結 ら 局 は 日 本 本 土 に 進 攻 し て 、 日本を降伏



大 将 の ほ う は 日 ^ ! 攻 を 考 え て い な い 点 に 注 目 す る 、 とい



大 — 将は



「イ エ ス 、 ミ ス タ ー 大 統 領 。 た し か に 妥 協 点 は あ り ま す 。 ほ か な ら ぬ 日 本 そ の も の で は な い で し ようか」 リーヒ参謀長は、



させる構想をもっているが、



った。 こ の 見 解 の 相 違 は 、 陸 軍 と 海 軍 と の 相 違 を 象 徴 し て い る と も い え る 。 陸 軍 は 、 陸 上 戦 闘 部















ある。



隊 で あ る 以 上 、 と に か く 敵 地 を わ が 軍 靴 で ふ ん で こ そ 勝 利 が 得 ら れ る と 考 え 、海 軍 は 海 を 制 覇 し 、



「で は 、 ミ ス タ ー 大 統 領 。 陸 軍 に 土 地 を 与 え 、 し か し 、 最 後 の 土 地 、 日 本 は 与 え な い こ と に す れ



敵を封鎖して降伏を待つのを任務にしている



106



ば 、妥 協 は 成 立 で き る と 思 い ま す 。 日本本土 で の 戦 い と な れ ば 、 わが軍の損害は絶望的に拡大さ



I



サー、



ミッツ両大将もなっとくし -1



フ ィ リ ビ ン は マ ッ カ ー サ ー 大 将 に 与 え る 。 し か し 、 日 本 降 伏 は 海 軍 と 航 空 部 隊 に 任 せ る 、 とい



れます。それを避ける意味でも妥当な妥協と思います」



た。



う 考 え 方 で あ る 。 ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 は 即 決 し て 、 マッカ



だ が 、 そ の 後 、 戦 場 が 日 本 に 近 づ く に つ れ て 、米 軍 の 損 害 は 増 し た 。 日 本 軍 の 抵 抗 が 激 化 し た











日本軍にたいして細菌兵器を使用せ



















見解も主張された。 の



リ ー ヒ参 謀 長 は 、 こ の 双方に し ぶ と く反 対しつづけた。細菌兵 器 に か ん し て は 、 ニ ミ ッ ツ 、 マ







わ け だ が 、 そ う な る と 、 日 本 を 降 伏 さ せ る に は 、 や は り 本 土 進 攻 が 必 要 だ 、 という意見が高まっ た



































































倫理を の



歴史に記録される て















措置には反対せざるをえません」



責任者と



















崩 て











わ。れ わ れ が 倫 理 を 破 壊 し た ら 、 次 の 世 代 た ち の 世 界 は 無 残 を き わ の























ミ 、 ス タ —大 統 領 、 あ な た は



























汚名を



指揮官が 、







ッ カ ー サ ー 両 大 将 と の 会 談 に む か う 重 巡 「パ ル テ ィ モ ア 」 で 、 リ — ヒ 参 謀 長 は ル ー ズ べ ル ト 大 統











「ミ ス タ ー 大 統 領 。 こ の (細 菌 兵 器 ) 使 用 は 、 わ れ わ れ の キ リ ス ト 教 徒



領に進言したことがある。







壊させる







だ か ら 、 一 九 四 五 年 (昭 和 二 十 年 ) 二 月 十 九 日 、 硫 黄 島 上 陸 作 戦 が 開 始 さ れ た が 、 そ の 前 、 硫



は、幕 僚 と



島 を 毒 ガ ス



ル参謀総



5



攻撃で 占領しよ う と い う



、 ト ル ーマ ン 大 統 領



十一月一日 に 九 州 南 部 に



数宇です。



ヒ參謀長は、



I 」



あまりに



しかし



計画の討議の



(注 、 ル ー ズ



さ い



ペルト



も 、 一一ミッッ大将が承知したにもかかわ



大統領は



四月



十二日死亡〕主催の最高幹部



上 陸 す る が 、使 用 兵 力 七 十 六 万 六 干 七 百 人 、 う ち 三 十 五 パ



ー セン



参 謀 総 長 の 沈 鬱 な 発 言 が 終 わ る と 、 ただちに、 カン高く叫んで立



戦 争 に は 、手 軽 で 血 を 流 さ な い 勝 利 の 道 は あ り え な い 」



マーシャル



憂 德 す ぎ る 数 宇 だ 。そ し て 、 わ れ わ れ は 、それほど多くの若者の生命にたい



リ ー ヒ参謀長は、 日 本 本 土 上 陸 作 戦 計 画 は 承 認 し て も 、そ の 実 施 の 権 限 は な お 保 留 し て ほ し い 、



する責任は持たされていないはずだ」



「そ れ は 、



ちあがった。



リ—



「ノ



「憂 鬱 な



ト約二十七万人の損害がみこまれる、 という。



まず



保 持 し て い る 。 日本を降伏させるには本土上睦作戦が必要だ、 と強調した。



会 議 で 、そ れ ま で に 判 明 し た 沖 繩 戦 の 被 害 を 〃 約 四 万 一 干 七 百 人 " と報 告 、 日本はなお戦闘力を







沖 繩 も 、 米 軍 に と っ て は 暗 い 戦 場 だ っ た 。 ほ ぼ 沖 繩 攻 略 の メ ド が つ い た 六 月 十 八 日 、 マーシャ



千 八 百 五 十 七 人 。 米 軍 の ほ う が 、被 害 が 多 か っ た の で あ る 。



硫 黄 島 の 損 害 は 大 き か っ た 。 日 本 軍 の 戦 死 約 ニ 万 ニ 千 人 に た い し て 、米 軍 側 の 死 傷 者 は ニ 万 四



らず、 リ ー ヒ 参 謀 長 は 強 硬 に 反 対 し 、最 後 の ル ーズ べ ル ト 大 統 領 の 決 裁 の 段 階 で 、中 止 さ せ た 。







ウ ィ リ ア ム ,リーヒ 107



108



言 (七 月



二 十六 日 )



と ト ル — マン大統領に進言した。 ポ ッ ダ ム宣



に つ づ い て 、 八月



1 —ム











ム ス .パ ー ン ズ 、 陸 軍長



官 へ



ン リ



、日 本 政 府 は 天 皇 の 安 全 保 障 を 求 め る 問



ュ I



ズ . フ ォ レ ス タ ル とリーヒ參謀長を呼んで、協 議 し た 。



し て き た 。 ト ル ー マ ン大 統 領 は 、国 務 長 官 ジ



鲁 ス チ ム ソ ン 、海 軍 長 官 ジ



い合わせを I



パ ー ン ズ 国 務 長 官 、 フ ォ レ ス タ ル 海 軍 長 官 は 、 日 本 側 の 提 案 を 拒 否 す べ し 、 「天 皇 は (戦 犯 と



ヒ ロ ヒ ト個 人 に は なんの感情もいだいていない。 し か し 日本を降伏させるためには彼を



し て ) 処 刑 さ れ る べ き だ 」 と 述 べ 、 リ ー ヒ 参 謀 長 は 日 本 側 の 要 求 を い れ た ほ う が よ い 、 と指摘し た。 「私 は 、



利 用 す る 必 要 が あ る 。 も し 、彼 を 処 刑 す る と い え ば 、 忠 誠 を 誓 う 日 本 人 が い る 限 り 戦 争 は つ づ く 。 そ の 数 は 、軍 隊 だ け で 五 百 万 人 も い る の だ 」 注意深く、天皇の権威は認めないが危害は加えないという意向を表明した回答文が作られ、 日 本 は 八 月 十 五 日 、 降 伏 し た 。 リ ー ヒ 参 謀 長 は 、 ト ル ー マ ン 大 統 領 の 日 本 降 伏 発 表 の と き 、 とくに



「ミ ス タ ー 大 統 領 。 私 は 、 老 人 の 効 用 を 発 揮 し て 幕 僚 と し て の つ と め を は た し て き た 。 閣 下 は そ



同 席 を 求 め ら れ て そ の 功 績 を た た え ら れ た が 、そ の 夜 、大 統 領 に い っ た 。



れ を 認 め て く だ さ っ た 。 し か し 、今 後 は 幕 僚 は 老 人 を 採 用 し な い こ と を お す す め す る 。 老 人 は や



リ ー ヒ 参 謀 長 は 、 原 爆 投 下 に 賛 成 し た 。 原 子 爆 弾 と い う 表 現 か ら 、過 去 の 体 験 に 照 ら し て 、爆



はり新しいものを理解できない」



























一 ん 発で戦艦を沈める力はない、 と考え、それほどの威力を持つとは想像できなか



った。 そ れ を く や み 、 「わ が 能 力 の 限 界 を 悟 っ た 」 か ら だ 、 と い ぅ の で あ る 。







ア ル



ル フ



デ レ



ン ー



ヌ ト



森 の











大ル将 が 、 地 図 の 一 隅 、 ド































森 の を指示棒で



























である。 そ し て 、 一九四四年九月十六日、 総 統 大 本 営 特 別 会 議 室 で 作 戦 部



高くひびいた。 ン



. ヨ



I



ドイツとベルギーの国境に約八十キロにわたる大森林地帯がある。



長 総統の声が















ヒ ト ラ —総 統 は 、 立 ち 上 が っ た ま ま 眼 を つ ぶ っ て い た 。 そ の 容 姿 は 、ニ か 月 前 、七 月 二 十 日 の 暗



「ワ ル テ (待 て ) .. 」



戦 況 は 悪 化 し て い た 。 フィンランド、 ルーマニア、 ブ ル ガ リ ア 三 国 は















側から脱落し、











殺 未 遂 事 件 い ら い 、急 激 に お と ろ え を み せ 、背 は ま が り 、顔 色 は 青 ざ め 、唇 も た れ さ が っ て い た 。











経て を















国境をめざしている。



タ リ ア は す で に 降 伏 し て い る 。 チ ヱ コ ス ロ バ キ ア 、 ハ ン ガ リ ア も 崩 壊 寸 前 で あ り 、 ノルマンディ に上陸した連合軍は着実に



ア ル フ レ ー ト ,ヨードル 111



孤立、 と























実 、 質的に ド







開かれたヒ























. ド















みなされる情勢であった。 ヒ



















そのものを象徴するかのようであった。











だ 、 こ の ア ル デ ン ヌ か ら だ 。 ミユーズ河をわた



総統の双眼は、 かつての異様な輝きをとりもどし、







敗北しつつ











内外の苦難に悩むナチ



に ッ



さ カ







だが 、数 呼 吸 後 に れ



総統の変貌は、







ていた。







気迫が こ







「重 大 な 決 定 を す る 。 わ れ わ れ は 攻 撃 す る 。



叫ぶ声に



って、 ア ン ト ワ ー ブ に 進 撃 す る 」



い な ら ぶ 将 軍 た ち は 仰 天 し 、 そ し て 、 将 軍 た ち の 不 安 や 反 対 も お し き り 、 ヒ ト ラ ー 総 統 は "狂



——



と い う の が 、 一 九 四 四 年 十 二 月 に 開 始 さ れ 、 連 合 軍 に "恐 怖 の 打 撃 " を 与 え た ア ル デ ン ヌ



気 の 霊 感 " に 身 を ゆ だ ね て 、 ド イ ツ 軍 最 後 の 大 攻 撃 『ラ イ ン の 監 視 』 作 戦 の 強 行 を 命 じ た 。



















そ の 背 景 に は 、 戦 況 の 不 利 に 照 合 し て 、 「敗 北 す る よ り は 滅 亡 す べ き だ 」 と い う ヒ ト ラ



反攻決定の情景だった、 と伝えられている。また、 すべてはヒトラー総統個人の決定によるもの











側の敗北に終わり ツ















崩 壊 の 決 定 要 因 と な っ た だ け に 、作戦を無謀とみ



総統の自棄的思想があった、 とみられている。



作戦が結局は







な し 、 そ の 由 来 を ヒ ト ラ —総 統 の "狂 気 " に 求 め る わ け で あ る 。



だ が 、 実 際 に は 、 "パ ル ジ (突 出 部 ) の 戦 い " と い わ れ る ア ル デ ン ヌ 攻 勢 は 、 ヒ ト ラ ー 総 統 の



承 知 し て い た 。 し か も 、 緻 密 な 作 戦 部 長 ヨ ー ド ル 大 将 の 立 案 に た い す る 信 頼 に も と づ き 、 ほぼ一



発 作 的 思 い つ き で は な く 、当 時 、会 議 室 に 集 ま っ た 将 軍 た ち の ほ と ん ど は 、 すでに作戦の骨子は











総統に







「 ハ











と、















声を捧げた の







ある。 で



た だ 、 立 案 者 で あ る ヨ ー ド ル 大 将 は 、作 戦 の 前 途 に つ い て は 、 い さ さ か も 希 望 的 観 測 も 興 奮 も



致 し て 、成 功 を 確 信 し な が ら ヒ



















答えるだけであった。















ン、















モルトケに 内に没頭しすぎた



シ ャ .ドイツが生んだ偉大な戦術家、 シ ユ



リーへ



示 さ ず 、 ひ た す ら 淡 々 と 説 明 を お こ な い 、 見 通 し を た ず ね ら れ て も 、 「そ れ は 私 の 仕 事 で は な い 、 私の仕事は計画をたてる 「ヨ ー ド ル は 、 お そ ら く 、 プ ロ



匹 敵 す る 才 能 の 持 ち 主 だ 。 が 、彼 は あ ま り に 軍 人 に す ぎ た 。 軍 務 の



と は 、参 謀 総 長 カ イ テ ル 元 帥 の ヨ ー ド ル 評 で あ る が 、そ の 言 葉 の ご と く 、 もしア ル デ ン ヌ 作 戦



るかもしれない」















大将の























—— さ



職責にたいする極度の厳格さに求められる



















ない。



の 失 敗 、 さ ら に ナ チ ス .ド イ ツ 軍 の 敗 北 の 深 因 を さ ぐ る と き 、 そ の 主 要 な 焦 点 は 、 あ る い は 作 戦 部長



ヨ— ド ル 大 将 は 、 一八九0 年 五 月 十 日 生 ま れ 。 父 親 は 第 二 パ パ リ ア 砲 兵 連 隊 の 中 隊 長 で あ っ た 。







弾の破片を















負 傷 し た 。 一 九 二 七 〜 二 八 年 、第 七 砲 兵 連 隊 中 隊 長 、 一九三ニ〜三五 て



そ し て 、 第 二 次 大 戦 の 開 幕 後 、 フ ラ ン ス 占 領 の 論 功 行 賞 で 大 将 に 二 階 級 特 進 し た が 、 フランス



し て 一 九 三 九 年 八 月 、最 高 司 令 部 作 戦 部 長 と な っ た 。



年 、作 戦 課 員 、 一九三五〜三八年、最 高 司 令 部 国 防 部 員 、 そ の 後 砲 兵 師 団 長 を 経 て 、少 将 に 進 級



手り



陸 軍 士 官 学 校 を 卒 業 し て 、 一九一〇 年 、 少 尉 と な り 、 一 九 一 四 年 、 第 一 次 大 戦 で 二 回 、 い ず れ も



112



が降伏したときのョードル大将の感銘は、深かった。



「か つ て 、 第 一 次 大 戦 で は フ ラ ン ス の 数 フ ィ ー ト の 土 地 を 奪 う た め に 数 千 人 が 死 ん だ 。 し か し 、



軍 人 精 神 の 伝 統 を 信 じ 、自 ら が 軍 人 で あ り 、



( ヒ ト ラ — ) 総統はわずか数週間でフランス全土を占領した」



ョ ー ド ル 大 将 は 、 カ イ テ ル 元 帥 と 同 じ く 、 ブロシャ



かつ軍人以 外 の 何 者 で も な い こ と に 、自 信 と 誇 り を 感 じ て い た 。 だ から、 な に は と も あ れ 、軍事



的大勝利にたいして感動し、またその勝利をもたらした指導者に、強い感激を お ぼ え た 。 当 然 、 ョ ー ド ル 大 将 の 胸 奥 に も 、 カ イ テ ル 元 帥 や他 の 将 軍 た ち と 同 じ く 、 ヒ ト ラ ー 総 統 に た い







シャ



す る 忠 誠 心 が 色 濃 く 定 着 し た 。 が、 ョ ー ドル大将の場合、 そ の 忠 誠 心 は 、他 の 将 軍 た ち の も の と



ド イ ッ 国 防 軍 の 将 軍 た ち を ふ り か え っ て み る と 、 カ イ テ ル 元 帥 が 述 懐 し た ょ う に 、 「ブ



は、 異 質 で あ っ た 。



ル 軍 人 の 服 従 精 神 が ヒ ト ラ ー を 支 え た 」事 実 に 気 づ く が 、同 時 に 、 ナチス主義に不同意かどうかは



イ 別 と し て 、戦 況 の 悪 化 に と も な っ て 反 ヒ ト ラ ー の 意 思 を 持 つ 者 も 、 ふ え て い っ た 。 逆 に い え ば 、



ー総統は降下部隊まで動員する大規模



ト ラ ー総 統 にも遠慮はしなかった。 た



ト ラ ー総 統 に 迎 合 す る 将 軍 が 多 か っ た 。



ヒ コ ー カ サ ス 作 戦 に つ い て ヒ トラ



と こ ろ が 、 ョ ード ル 大 将 は 、 こ と 作 戦 に か ん し て は 、



ス .ド イ ッ の 戦 争 政 策 が 順 調 な 時 期 に は 、 も っ ぱ ら ヒ



一九四ニ年八月、



ァ 攻 撃 を 計 画 し た が 、 ョ ード ル 大 将 は 反 対 し つ づ け た 。 「 ョ ー ド ル 将 軍 、 私 の 命 令 を 実 行 す る の が 、 貴 下 の 任 務 だ 。 だ が 、 貴 下 は そ れ を や ら な い 。 ょろ



フとえば、



|



ナチ >3



113



114



しい、 も



結構















ヒ ト ラ ー 総 統 は 怒 り 、 ョ ー ド ル 大 将 は 無 言 で 部 屋 を 出 た 。 ヒ ト ラ ー 総 統 は 、 ョードル大将を軍







総統に直言する















総統の























総統とケン ー



ドル大将の解任や左遷には ー



ドル大将にたいする信頼増加となった。







やめず、当 時 、 ヒ を



法 会 議 に か け る こ と を 考 え た が 、後 任 に 予 定 し た パ ゥ ル ス 大 将 が ス タ ー リ ン グ ラ — ド戦に釘づけ







に な っ た の で 、そ の ま ま に な っ た 。















ド ル 大 将 だ け だ 、 と 噂 さ れ た が 、そ の 結 果 は 、











ドル大将はヒ



その後も、







力できるのは ならず、逆 に ヒ



ョードル大将はそういって、 ヒ ト ラ ー 総 統 に意見具申はするが、結局はその意志に従っていた



「命 令 に は 反 対 で き る 。 し か し 、 命 令 は 拒 否 で き な い 」



からだが、同時に、次のような信条を堅持して、およそ政治的問題には無関心な態度を維持した からでもある。











あ る 。 し か し 、捕 虜 に た い



こ こ



「戦 争 を や る か や ら な い か は 、指 導 者 の 仕 事 だ 。 ど ん な 戦 い を す る か は 、 指 揮 官 の 仕 事 で あ り 、







ョードル大将は、 だ から、悪 名 高 い ユ ダ ヤ 人 虐 殺 政 策 に つ い て は 、な ん ら 積 極 的 な 参 加 は



計 画 を た て る の が 、作 戦 部 長 の 仕 事 で あ る 」



ろ みず、私 邱 の 近 所 に 住 む ユ ダ ヤ 人 一 家 の 国 外 脱 出 を 援 助 し た



い っ た ん 作 戦 計 画 が 承 認 さ れ た あ と は 、作 戦 の 遂 行 に つ い て は い っ さ い 口 を 出 さ ず 、 いわば、



する苛酷な処罰命令には、それがヒトラー総統の命令である限り、ちゅうちよなく署名した。



う、



作 戦 の 場 合 も 、そ う で あ っ た 。



戦力の西部戦線への







るヨー ドル



大将にとっては、



移 行 、② スカンジナビア、 イタリア



総統に献言した。



ドイツ



軍がひとつのチャンスをつかむ



方面の戦線の整理とその兵力の西



ド ル 大 将 は 、 以 上 の 措 置 を と っ て 、 文 宇 ど お り に 『最 後 の 決 戦 』 を 西 部 戦 線 で 実 施 す る よ



ヒ ト ラ



ヨ ー



④ 全 資 源 の 動 員 、⑤ ド イ ツ 全 土 の 要 塞 化 。



部 戦 線 移 動 、③ 海 、 空 軍 兵 力 を 大 量 に 陸 軍 に 転 換 し 、 約 二 百 万 の 全 補 充 軍 も 戦 闘 師 団 に 編 入 す る 、



① 主



全力投球により痛打を与え得る可能性が見出せたからである。



に は 、 地 形 、距 離 、 兵 力 、 装 備 な ど の 面 か ら 勝 利 の 機 会 は 少 な い が 、 西 方 の 連 合 軍 に た い し て は 、



ヨー ド ル 大 将 は 、 八 月 三 十 一 日 、 西 に む か う 攻 撃 計 画 を 考 案 し た 。 ソ 連 軍 と 対 峙 す る 東 部 戦 線



れ は 、大 規 模 な 攻 撃 作 戦 を 可 能 に す る 下 地 で あ っ た 」



与 え ら れ て い る 、 と い う 信 念 を 与 え る と と も に 、国 家 総 動 員 に よ る 兵 力 増 強 の 機 会 を 与 え た 。 こ



「( ヒ ト ラ ー ) 総 統 が 生 き の び た こ と は 、 総 統 自 身 に 、 自 分 は ま だ 神 意 に よ っ て 生 存 す る 使 命 を



事件とみなされた。



みなされるが、作戦を担当す



一九四四年七月二十日のヒトラー暗殺未遂事件は、 一般的にはヒトラー総統の支配力の弱化と



アルデンヌ



作戦計画のために作戦計画を考える〃戦術コンビユータ"として自分自身をコントロー ルした。



ア ル フ レ ー ト ,ヨードル 115



116



ドル大将の言葉に ヒトラー



総統はうなずいた



ない」



が、 では、ど こ に 出 て



かもしれ



いくのか



I



ドイツは



「待 っ て い る だ け で は 、 わ れ わ れ を み ま う 運 命 は 悲 惨 さ を 増 す の み で あ る 。 む し ろ 戦 っ て 出 る こ



ヨー



とで、 わ れ わ れ は 、な に か を 救 う こ と が で き る



明 ら か に 包 囲 さ れ て お り 、逃 げ 道 は ふ ざ が れ て い る と し か 、思 え な か っ た 。 ヨードル大将は、 アルデンヌの森からベルギーのアントワーブ港をめざす奇襲作戦を主張した。 ア ン ト ワ ー プ 港 は 連 合 軍 の 主 要 な 補 給 基 地 に な っ て い る 。 連 合 軍 主 力 は 、 ド イ ツ .ベ ル ギ ー 国 っしぐらに機甲兵団をアントワ—ブま で 突 っ こ ま せ れ ば 、連 合 軍 は 主 力 と 補 給 基 地 を 失 い 、戦争



境のアーヘンからフランス北東部のメッツに至る地帯に展開している。 アルデンヌの森から、ま



遂 行 の 熱 意 , も 失 う だ ろ う … …。 こ の 計 画 は 、 ヒ ト ラ ー総 統 を 感 奮 さ せ た 。 ア ル デ ン ヌ の 森 は 、 ド イ ツ 軍 が 第 一 次 大 戦 で も 、 ま



「そ う だ 、 ョー



ドル将軍。歴 史 は 繰 り 返 さ ね ば



ならない」



劇的な



ポーズでアルデンヌ



攻勢を決



た第二次大戦のフランス進攻でも、 いずれもここから出発して勝利をえたゆかりの場所でもある。



ヒト ラ ー 総 統は興奮した。そ し て 、前 述 の ょ う に 、 し ご く



ヨードル大将は十月十一日、第 一 次 作 戦 計 画 案 を ヒ ト ラ ー 総 統 に 提 示 し た 。



定 し て 、詳 細 な 計 画 立 案 を ヨ ー ド ル 大 将 に 命 令 し た 。



と い う 構想である。戦 車 師 团 十 二 、



第 五 、 第六機一軍団と第七軍を基幹として、 アルデンヌ森林地帯から南北八十五マイルの前線 を 突 破 し 、攻 撃 開 始 七 日 め に は ア ン ト ワ —ブに到着する1



1気 に 投 入 す る 作 戦 で あ り 、 も し 失 敗 し た ら 、 ド イ ツ の 自



歩 兵 師 団 十 八 、 動 員 す る 兵 力 は 、人 員 二 十 五 万 人 、戦 車 九 百 七 十 台 、火 砲 千 九 百 門 に 達 す る 。 ま さ に 、当 時 の ド イ ツ 軍 の 主 戦 力 を



-- だ が 、



滅は急速に促進されるはずである。



ル ド 大 将 が 冷 静 に 回 想 す れ ば 、作 戦 計 画 を み た ヒ ト ラ ー 総 統 も 、 喜 ん だ 。



「私 に 与 え ら れ た 任 務 は 、 最 も 可 能 性 の 高 い 作 戦 計 画 の 立 案 で あ る 。 私 は 、 全 力 を あ げ て 計 画 を



と、 ヨー



策案した」



「勝 利 か 死 か 。 そ れ が 栄 光 あ る ド イ ツ 民 族 の 生 き 方 で あ る 。 こ の 作 戦 こ そ 、 そ の ド イ ツ の 栄 光 に



計 画 は 、綿 密 を き わ め た 。 あ ら か じ め ラ イ ン 河 の 主 な 橋 は 補 強 、修 理 さ れ 、道 路 も 補 修 さ れ 、



つつまれている」



















し き つ め ら れ 、音 を た て な い よ う に し た 。 ガ ソ リ ン を 節 約 す る た め と 、 が



移 動 を 察 知 さ れ な い よ う に 、 弾 薬 は 兵 士 が 手 と 背 で は こ ん だ 。 ラ ジ オ は 禁 止 さ れ 、電







ド イ ツ軍の 大 部 隊 が 静 か に 集 結 し は じ め た 。



渡 し 船 、汽 車 も 重 装 備 の 輸 送 に 耐 え る よ う に 改 造 さ れ た 。 そ し て 十 二 月 七 日 か ら ア ル デ ン ヌ 森 林 地帯に、







戦車が通る道には ト



話 に も 監 視 兵 が 配 置 さ れ た 。偵 察 も 中 止 さ れ た 。炊 煙 を ふ せ ぐ た め に 、各 部 隊 に は 木 炭 が 配 給 さ れた。



118



す べ て は 、奇 襲 を ね ら う 企 図 秘 匿 . のためであるが、 この隠密行動は完ぺきな成果をおさめた。



いまや、重 大 な 時 が き た 。 偉 大 な る 攻 撃 軍 が 米 英 軍 に た い し て 攻 撃 を



十 二 月 十 五 日 夜 、総指揮官である西部方面軍 司 令 官 ル ン ト シ ュ テ ッ ト 元 帥 の 訓 示 が 将 兵 に 伝 え



最 も 重 要 な 戦 車 用 燃 料 も 、 一台が九^ - 〜 百 マ ィ ル 突 進 で き る ガ ソ リ ン が 確 保 さ れ 、弾薬も八日分 つまり、 ア ン ト ヮ ー プ ま で の 七 日 分 以 上 が 集 積 さ れ た 。



——



られた。 「西 部 戦 線 の 兵 士 諸 君 !



元 帥 は 、 こ の 訓 示 の 中 に 、 〃超人的な目標" と い う 一 語 で 、 心 中 の 不 安 と 不



わ れ わ れ の 祖 国 と 総 統 の た め に 、超 人 的 な 目 標 を 達 成 す る た め 、そのすべてを捧げる義務を負っ



開 始 し た 。 こ れ 以 上 な に も い う 必 要 は な い … … わ れ わ れ は 、 あ ら ゆ る 危 険 を お か す の だ 、諸 君 は 、



ルントシュテット



ているのである」























完全な奇襲に



(突 出 部 ) を つ く れ る だ け だ ろ う 、 と 指 摘 し て い た か ら で あ る 。



している の で 、 と て も ア ン ト ヮ |ブ ま で は 到 着 で き そ う に な い 。 せ いぜい、連合軍戦線にクサビ



満を表明していた。 元帥は、 ョードル大将の計画に反対であった。兵力、 とくに予備兵力が不足



ジ』



だ が 、十 二 月 十 六 日 午 前 五 時 半 、濃 い 霧 の 中 か ら 開 始 さ れ た 攻 撃 は 、



を う ち こ み 、 味 方 の 『パ ル



祝 福 さ れ て 、成 功 が 確 信 さ れ た 。次 々 に 連 合 軍 の 前 線 は 突 破 さ れ 、 ベルリン市民は勝利の報道に



「わ れ わ れ は



(ヒ ト ラ ー ) 総 統 が こ の と こ ろ 沈 黙 さ れ て い る の を 、 心 配 し て い た 。 も し や 、 ご 病



歓 喜 し た 。 ラジオは、叫 ん だ 。



ア ル フ レ 一 ト ,ヨードル 119



気 で は ?——



トラー



総 統 の 指 導 の も と に 、確



と。 し か し 、 ド イ ツ 国 民 の 皆 さ ま 、総 統 は ご 健 在 で し た 。 総 統 は 、 こ の 大攻勢を考



え て お ら れ た の で す 。 い ま こ そ 、 わ れ わ れ は 、偉 大 な る 天 才 、 ヒ 実 な 勝 利 へ の 道 を 歩 い て い る の で す ……」







の三つである。そ し て 、 もうひとつ、



五メートル



後退' さ せれば、彼 ら は さ ら に 五 十 キ ロ 退 却 す る 」



拒 否 す る 。 バ ズ ー 力 砲がなければ、戦 車 と 戦 お う と は し な い 。ゆ え に 、急 速 に 彼らに突撃



兵 は ぜ い た く な 環 境 に 慣 れ て い る 。彼 ら は 、 チューインガムの代わりに草の根をかむ



I



ョードル大将は、作 戦 成 功 の た め に 三 つ の 条 件 を 考 え て い た 。奇 襲 、連合軍機がとべない悪天



し か し 、 ア ル デ ン ヌ 攻 勢 に は 、致 命 的 な 欠 陥 が あ っ た 。







「ア メ リ ヵ



候 、停 滞 し な い 突 進







して、 いったん



だが 、 ョードル大将の条件は、す べ て そ ろ わ な か っ た 。奇 襲 は 成 功 し た が 、 二日間の効果に終



わ り 、 や が て 霧 深 い 天 候 は 回 復 し て 、空 は 米 英 機 に お お わ れ た 。 新 編 成 の 第 六 機 甲 軍 団 の 進 撃 は



ア ル デ ンヌ攻勢は、 一九四五年一月二十八日、 ルントシュテッ上兀帥の撤退命令で終了した。



遅 れ 、また米兵は予想外に勇戦した。



ド イ ツ 軍 は 、米 英 軍 に 死 傷 者 約 七 万 五 千 人 の 打 撃 を 与 え た が 、自 分 た ち は 死 傷 約 十 万 人 、戦車



あり、



そ の 後 は 、 東 西 か ら の 攻 撃 に 押 さ れ て 、壊 滅 の 時 を 待 つ だ け と な っ た 。



八百台、飛 行 機 約 千 機 の 損 害 を う け た 。 この損害は、 ドイツ軍にとっては再起を不可能にする痛



ョ ー ド ル 大 将 は 、泰 然 と し て 作 戦 部 長 の 職 務 に は げ み つ づ け た 。



手で



120



夫 人 イ ル マ が 病 死 す る と 、 一 九 四 五 年 三 月 六 日 、 ル イ ズ .フ ォ ン .ベ ル ダ と 再 婚 し た 。 上 官 の カイテル元帥が、結 婚 を 祝 い な が ら も 、国 家 存 亡 の 危 機 に あ え て 結 婚 し な く て も い い で は な い か 、 ま し て 作 戦 部 長 と い う 激 務 で は 十 分 な 家 庭 生 活 も 送 れ な い だ ろ う 、 と 述 べると、 ヨードル大将は、 答えた。



思いません」



攻 勢 の 末 期 、諜 報 活 動 に よ り 、英 軍 司 令 部 か ら 一 冊 の 極 秘 文 書 を



も逃 避 し よ う と は



「作 戦 部 長 は 、 私 に 与 え ら れ た 公 の 義 務 で す 。 し か し 、 人 間 と し て 、 男 性 と し て 結 婚 は 私 的 な 義



アルデンヌ



務です。私は、どちらから



大将は、



占領後の連



ドル



ドイツ



ョー



入 手 し て い た 。 一九四四年十一. 月 作 成 の 日 付 が は い っ た 付 属 地 図 は 、明 ら か に



全土からみ



もソ連に



ている。



ベルリン ふ く ま れ



攻撃



つもりだろうね」



ドイツ



市はソ連地区に



きっとベルリン



任せる



も米英ソ三国に分割されているが、



る と 、 ベルリン



ムロ国分割統治区域を示していた。



これは、



ョ ー ド ル 大 将 は 、 『日 食 作 戦 』 と 表 題 が つ い た 赤 表 紙 の 機 密 書 類 を 新 夫 人 に み せ な が ら 、 つ ぶ



「ル イ ズ 。



や い た 。 夫 人 は 、親 せ き が ソ 連 地 区 に ふ く ま れ る こ と を 心 配 し た 。 こ の 書 類 を 入 手 し て ま も な く 二 月 十 二 日 、米英ソ連首脳が集まっ た ヤ ル タ 会 談 の 声 明 が 発 表 さ



「… … 合 意 を み た 計 画 に よ れ ば 、 三 国 は ド イ ツ の そ れ ぞ れ の 部 分 を 占 領 す る こ と に な る で あ ろ



れ た 。声 明 は ド イ ツ の 無 条 件 降 伏 を 主 張 し て い た が 、 そ の な か に 、次 の 一 節 が あ っ た 。



ア ル フ レ ー ト ,ヨードル 121



















ョ— ド ル 大 将 は 、 『日 食 作 戦 』 に つ い て は 誰 に も も ら さ な か っ た 。



た だ そ れ だ け で あ る が 、 ョ ー ド ル 大 将 に は ド イ ツ が ど の ょ う に 占 領 さ れ る の か 、具 体 的 に 推 測 することができた。



そ し て 、 ョードル大将はヵイテル元帥を補佐して最後まで作戦立案にあたり、 ドイツが降伏す



「そ れ は 政 治 の 問 題 で あ り 、 作 戦 部 長 の 管 轄 外 だ っ た 」 か ら で あ る 。



ると、 ド イ ツ 軍 代 表 と し て 連 合 軍 最 高 司 令 官 ア イ ゼ ン ハ ヮ ー 元 帥 の 前 で 、降 伏 文 書 に サ イ ン し た 。



そ の あ と 、 ョ| ド ル 大 将 は 、 ア イ ゼ ン ハ ヮ ー 司 令 部 に 、 自 分 が 担 当 し た 作 戦 の 記 録 を す べ て 提



っ た に も か か わ ら ず 、 大 将 は か く す こ と な く 、 い っ さ い の 計 画 、命 令 、 会 議 録 、 メ モ な ど を 提 示



出した。当然に戦争犯罪人としての逮捕が予想され、 また、 もし書類を焼くつもりなら時間があ



「作 戦 幕 僚 と し て 、 私 は 責 務 を は た し た 。 そ れ に た い す る 批 判 を 知 り た い 。 そ れ は 、 戦 史 の た め



した。



ョ ー ド ル 大 将 は 、 い さ ぎ ょ す ぎ る 書 類 提 出 ぶ り に 首 を ひ ね る 米 軍 将 校 に 、 そ う 説 明 し た 。 与え



に も 、 私 自 身 の 今 後 の た め に も 、歓 迎 す べ き こ と だ 」



そ の 意 味 で 、 ョ ー ド ル 大 将 に は 、 戦 争 犯 罪 人 と し て 裁 か れ る 予 感 は な く 、 『ニ ュ ー ル ン べ ル ク



られた職務をはたしたことに誇りをもっている、 という含意である。



務めではないか、と主張しつづけた。



裁判』 の被告席に坐ってからも、 ひたすらドイツ国家と総統にたいして忠誠をつくすのが軍人の



そ の 主 張 は 、大 将 の 純 粋 な 作 戦 幕 僚 と し て の 言 動 に 裏 付 け さ れ て い る 。 ョ ー ド ル 大 将 は 死 刑 に な っ た が 、 一 九 四 九 年 、 『ニ ュ ー ル ン べ ル ク 裁 荆 』 の フ ラ ン ス 代 表 判 事 ド フ ァ ー ブ ル は 、 「ョード し か し 、 ョ| ド ル 大 将 が い っ さ い の 書 類 を 提 出 し た さ い 、 報 告 を ぅ け た ア ィ ゼ ン ハ ヮ | 元 帥 が



ル は 軍 人 以 外 の 行 動 は し な か っ た 。 彼 に た い す る 判 決 は ま ち が い だ っ た 」 と 、述 懷 し た 。



「幕 僚 と し て 自 分 の 仕 事 に 自 信 と 熱 意 を 持 つ こ と は 大 切 だ 。 し か し 、 計 画 を た て る だ け で そ の 結



もらした次のよぅな論評も、記録されている。



果 に つ い て の 配 慮 を 欠 く の は 、 あ ま り に 自 己 の 職 務 を 限 定 し す ぎ る 。 む し ろ 、責 任 回 避 の 極 致 と 彼 (ョ— ド ル 大 将 ) は 歴 史 に 評 価 を 求 め て い る が 、 歴 史 は 彼 に 答 え な い か も し れ な い 」



も い え る 。機 械 の 世 界 に は 通 用 し て も 、人 間 の 世 界 に は 適 用 で き な い 思 想 だ 。



コートニ一. ホイットニ一 123































イ ら































かんばしくない。











シ .







ボルト)



































総司令部民生局長として、ょ ー







た る めである。



サー元帥の寵遇をカサに











権力主義を発



いう表現そのままに、当時の占領関係者の



元 帥 の 最 も 有 力 な 側 近 と し て も 、著 名 で あ る 。 ー



ー 少 将 は 、蛇 蝎 の ニ







てれい る 。 あ ま り に 、「マ ッ カ



ッ わ



す ぎ た 」 (元 駐 日 大 使











少 ー 将 の 名 前 は 、米 国 の 日 本 占 領 時 代 、 マッカ



ホ イ ッ ト ニ ー少 将 の 評 判 は 、



コ 丨 ト ニ — .ホ イ ツ ト ニ 丨







コー ト ニ 1 ホ















く 知 ら れ て い る 。 そ し て 、 マッカ







が、同 時 に 、







将 ト 校 、 と定



ホ イ ッ ト ニ ー少 将 は 生 粋 の 幕 僚 と は い え な い 。 職 業 軍 人 で は な い か ら で あ る 。



そ し て 、 も し 、幕 僚 を 、戦 場 ま た は 後 方 で 指 揮 官 の た め に 計 画 を 立 案 す る エ リ —



し か し 、 幕 僚 を 、指 揮 官 の 忠 実 な 補 佐 役 、 と い う 意 味 に 解 釈 す る な ら ば 、 ホ イ ッ ト ニ ー 少 将 は 、



義づけるならば、



ま さ に幕 僚 の ひ と つ の タ イ プ の極限を 示 す 存 在 だ と い え る で あ ろ う 。



124



ホ イ ッ ト - 1 —少 将 は 、



九 1 ニ六年に米陸軍航空部隊の将校としてフィリピンにやってきた。 ニ



年 後 、大 佐 に 昇 進 し た と こ ろ で 予 備 役 と な り 、 マ ニ ラ 市 で 弁 護 士 を 開 業 し た 。 も と も と 弁 護 士 が



一 九 三 五 年 秋 、 フ ィ リ ピ ン 政 府 は 米 陸 軍 参 謀 総 長 ダ グ ラ ス . マ ッ カ ー サ ー 大 将 を 、 フィリピン



家 業 で あ り 、軍 務 に つ い た の は 、 いささか米本国で業 務 不 振 に な っ た か ら で あ る 。



ホイットニー弁護士は、 マッカーサー大将が一九二八年に短期間だったが米軍事顧問団長とし



軍 元 帥 に む か え 、 マッカーサー大将は、 一九三七年十二月、米 陸 軍 を は な れ た 。



マニラホテルの最上階に定住し、年 俸 三 万 千 五 百 ド ル を も ら ぅ 、 と聞くと、 さっそく大将に面会



て フ ィ リ ビ ン を 訪 ね た と き 、 大 将 と 知 り あ っ て い た 。弁 護 士 は 、 大 将 が フ ィ リ ビ ン 軍 元 帥 と し て



した。 ホ イ ッ ト ニ — さ ん で し た な 、弁 護 士 の 」



「閣 下 、 お 久 し ぶ り で す 。 お ぼ え て お ら れ ま し ょ ぅ か し 「お お 、 た し か 、



型 ど お り の あ い さ つ が す む と 、 ホ イ ッ ト ニ ー 弁 護 士 は 、 大 将 が 最 近 (一 九 三 七 年 四 月 ) 再 婚 し



「光 栄 で す 、 閣 下 」



た 事 実 を 指 摘 し て 、 や が て 隠 退 し た と き の そ な え に 蓄 財 を す す め た 。俸給を貯金するのはみみっ ち い し 、軍 務 の 遂 行 に 悪 影 響 を お ょ ぼ し か ね な い 、 ひとつ自分を財政顧問にして使ってくれない 「ア イ デ ア が お あ り で す か 、 ホ イ ッ ト ニ ^ 一さん」



か、 と 提 案 し た 。



コ 一 ト ニ 一 ,ホイットニ一 125



「ご ざ い ま す 。 と っ て お き の も の が 」 と 、 ホ イ ッ ト ニ ー 弁 護 士 は 、 ま ず 金 鉱 株 を 買 う こ と を す す











サ ー 大将は、 ホ







































大 ー 将 の 資 質 の ひ と つ に 、明 確 な 信 賞 必 罰 主 義 が あ る 。大 将 は 、























弁 ー 護



弁 ー 護 士 の 提 案 を う け い れ た 。 そ し て 、弁 護 士 の 勧 め た 金 鉱



め、さ ら に 不 動 産 の 出 物 も あ る 、 と言明した。 マ







株 そ の 他 は 着 実 な 値 上 が り を 示 し 、大 将 は 弁 護 士 の 能 力 を 賞 賛 し た 。











ト ニ ー の愛 称 ) と



ニ ホ























カー







ー 少 将 は 「直 感 ニ











































交際維持には



信頼感をこめて呼び、 と



こ と を 悟 っ て 、家 庭 ぐ



大将は —











と説明する。



ー 弁 護 士 が マ ッ カ ー サ ー 大 将 に 好 意 を 感 じ 、献身的な奉仕を心がけるように



大将が自分に目をかけてくれてい











( コ ー











土 が 、 ほ と ん ど 最 低 の 報 酬 し か 要 求 せ ず 、 ひ た す ら 大 将 の 蓄 財 に 奔 走 し て い る こ と を 知 る と 、弁







弁護士







ト 」



護士にたいして強い印象をうけた。







「 コー







なぜ、



げんだ。



なったか、そ の理由を



「私 は 、 マ ッ カ ー サ ー 将 軍 が フ ィ リ ピ ン に 骨 を う ず め る 覚 悟 で 来 た 、 と 知 っ た と き 、 彼 は 非 常 な



情 愛 家 だ と 感 じ た 。 な ぜ な ら 、 フィリピンは、将 軍 の 父 ア — サ1 . マッカーサーが軍事顧問をつ



将 軍 は 、父の歩みにしたがおう、 と決意されたにちがいない。 このように父親をだいじにする



とめた土地だ。



126



人 物 は 、家 族 、 友 人 に た い し て も 心 か ら の . 信 義 を 守 り ぅ る は ず だ 。友 人 と し て 、 ま た 主 人 と し て 、



ホ イ ッ ト ニ ー 弁 護 士 の 直 感 は 、 一九四〇 年 夏 、 突 然 、 マ ッ カ — サ ー 大 将 に 呼 ば れ た と き に 証 明



理想的な存在ではないだろぅか」



閣下」



「コ ー ト 。 す ぐ 家 族 と い つ し ょ に 本 国 に 帰 り 給 え 」



さ れ た 。 大 将 は 、静 か に 、 し か し き っ ぱ り と ホ イ ッ ト ニ ー 弁 護 士 に 、 い っ た 。



か) ?



び っ く り す る ホ イ ッ ト ニ ー 弁 護 士 に 、 マッカーサー大将は、 日米戦争は必至であり、開戦にな



「ホ ワ イ (なぜです



れ ば 日 本 軍 は 必 ず 7 ィリビンを攻撃する、 と述べた。 実 際 の 開 戦 は 一 年 以 上 あ と だ っ た が 、 ホイットニー弁護士は、 そ の と き 、決然としたマッカー サー大将の言葉に感激した。 た ぶん、大 将 は 極 秘 情 報 を 入 手 し て 、それを自分だけに教えて く れ た も の と 理 解 し た か ら で あ



「将 軍 が 私 に い っ た の は 、 情 報 で は な く 、 将 軍 の 個 人 的 予 感 で あ っ た か も し れ な い 。 だ が 、 ど ち



る。



ら に せ ょ 、将 軍 が 私 の 身 を 心 配 し て く れ て い る の は 、 ま ち が い な い 事 実 だ 。 私 に と . って、 そ れ は



ホ イ ッ ト ニ







弁 護 士 は 、 夫 人 と 息 子 二 人 を つ れ て 米 国 に 帰 っ た 。 そ し て 、 開 戦 と な る と 、米 陸



偉大な感銘だった」



軍 航 空 部 隊 に 召 集 さ れ 、大 佐 と し て 第 十 四 航 空 軍 の 情 報 部 に 勤 務 す る こ と に な っ た が 、 やがてフ



コ 一 ト ニ 一 ,ホイットニー 127



































部 ラ隊 に た い す る 支 援 活 動 と そ の 組 織 の 維 持 の 責 任 者 に な れ 、 という。



ィ リ ビ ン を 脱 出 し た マ ツ 力 ー サ ー 大 将 か ら 司 令 部 要 員 に な っ て ほ し い 、,と い う 依 頼 が き た 。



ホ イ ッ ト ニ ー 大 佐 は 即 座 に 承 知 し て 、 一九四三年五月二十四日、 ォーストラリアのブリス. ベー



司 令 部 に着くと、 マッカーサー大将はさっそく、 ホ イ ッ ト 一ー大佐を連合軍情報局フィリピン



ン市にあるマッカーサー司令部に着任した。











だ。 将 軍 の 部 屋 に は い っ て 、 私 は 感 動 し た 。 机



部長に任命して、 こまかく指示を与えたが、 ホ イ ッ ト 一ー 大 佐 は 、 部 長 . と し仕 て事の以 外 に も 自



「ひ と く ち に い え ば 、 将 軍 の 心 の 支 え に な る



分がはたすべき役割がある、 と直感した。











ト ン の 肖 像 画 が ぶ ら さ が っ て い る だ け だ 。電 話 も な い 。



と 椅 子 が あ る だ け で 、装 飾 品 は な に も な い 。 壁 に は 地 図 も か か っ て お ら ず 、 ただリンカーンとヮ











考 え て い る た め だ っ た 。 お か げ で 、将 軍 は 、昼 食 と ひ る 寝 の 時 間 を 除 け ば 、深 夜 で も 報



電 話 が な い の は 、将 軍 が 、指 揮 官 と し て 部 下 に 指 令 す る と き は 直 接 会 っ て 話 を す る の が い ち ば んだ



すべてに目をくばり、どんな計画でも緻密に一分間きざみのスケジユールをたてる。そのため、 ザ ー ラ ン ド参 謀 長 は 參 謀 た ち の 計 画 に 落 ち 度 が な い か を チ 1 ッ クす る の に 神 経 を 使 っ た が 、 将



告 を う け 、命 令 を 下 し た 。







夜 中 に 、将 軍 が 眠 ら れ ず 、部 屋 の 中 を 歩 き ま わ る 足 音 を 聞 く 、 と 従 兵 が 報 告 し た が 、 私 は 、 最



軍はそれ以上に努力した。



128



の も の だ 。 お そ ら く 、 将 軍 は 、 部 下 が 寝 し ず ま っ た 夜 、神 と の 対 話 を こ こ ろ み て 、 決 定 に 過 ち な



高 指 揮 官 と し て の 将 軍 は 、まことに孤独だと思った。最終的な決定と責任は、 まったく将軍だけ



ホイットニ—



佐 は 、 マッカーサ— | ^ 将 が そ の ^境 を 乱 さ れ ぬ よ う 配 慮 す る の が 、幕僚として



きを祈っているのだろう」



の自分の任務だ、 と考えた。 い ら い 、 ホ イ ッ ト ニ ー 大 佐 は 、 ぴ っ た り と マ ッ カ ー サ ー 大 将 の 側 近 に 位 置 し て 、 「大 将 の 心 を 心とする」 ことに努力した。



もっとも、 ほかの参謀たちには、 ホイットニー大佐の〃真意" はほとんど理解されなかった。



"ご ま す り 〃 と し か 映 ら な か っ た か ら で あ る 。



大 佐 が 心 が け る "大 将 の 心 を 心 と す る " 作 業 は 、 参 謀 た ち の 目 に は 、 ひ ど い 〃 お べ っ か 〃 ま た は



た と え ば 、 マ ッ カ ー サー軍が東ニユーギニアに進攻したころ、勇 敢 に 戦 っ た 大 佐 が 負 傷 し た 。 ホイ ッ ト ニ ー 大 佐 は 、た だ ち に そ の 大 佐 の 昇 進 を マ ッ カ ー サ ー 大 将 に 具 申 す る 。大将が勇気を尊



ヱ攻撃作戦を実施していたころ、 マッカーサー大将は大



と っ く にマッカー サ ー 大 将 は 採 決 し て い る 。参 謀 長 と し て は 、自 分 の 仕 事 を 横どりされたような



ぶ た め で あ る 。 お か げ で 、参 謀 長 が 正 式 に 功 績 簿 を 持 参 し て 昇 進 を 相 談 し よ う と す る と き に は 、



ポ — ト モレスビー に司令部を進め、 ラ



印象をうける。



コ ー ト ニ 一 ,ホ イ ッ ト ニ 一 129



ホ イ ッ ト



——大 佐 が 立 っ て い る 。 右 手 の 人 さし



指を唇にあてて、



シ ッ 、 という形を示す。



指 揮 官 、 幕 僚 た ち が 、 指 定 さ れ た 時 間 に マ ッ カ ー サ ー 大 将 の 部 屋 に 集 ま ろ う と す る と 、 ドアの



規模な空挺部隊の使用を決意し、その最終的決定をおこなうための会議を招集した。



外に



作 戦 実 施 の 準 備 は と と の っ て い る 。 そ し て 空 挺 部 隊 の 進 軍 は 気 象 条 件 に 左 右 さ れ 、 その条件は



「皆 さ ん 、 将 軍 は い ま 令 息 あ て の 手 紙 を 書 い て お ら れ ま す 。 お 待 ち く だ さ い 」



す ぐ 決 定 を く だ さ れ な い 限 り 、 悪 化 す る 事 情 に あ る 。 情 報 部 長 チ ャ ー ル ス .ウ ィ ロ ビ ー 准 将 は ホ



イ ッ ト ニ ー 大 佐 を ひ っ ぱ り 、 こ と は 一 刻 を あ ら そ う 、大 将 も そ の 事 情 は 理 解 し て く れ る は ず だ 、 「ノ ー 。 本 官 は 、 大 将 か ら 邪 魔 す る な と い わ れ て お り ま す 」



自分がいうから中にいれろ、 とせまった。



I



。大 将 は た だ 、邪 魔 す る な 、 と い われた。大 将 の 命 令 は 部 下 全 員 に 共 通 す る は ず で す 」



「そ れ は 、 貴 官 が 大 将 の 邪 魔 を す る な と い わ れ た の じ ゃ な い の か 」



押 し 問 答 を す る う ち に 、結 局 は マ ッ カ ー サ ー 大 将 自 身 が ド ア を あ け 、作 戦 に ま に あ う ょ う に 決



「ノ



まだ西部開拓時代のころ、父アーサーは、 シェリダン将軍の副官だったが、 あるとき、 #1、



マッカーサー大将が、 ホイット二ー大佐に父親から聞いた物語をひろうしたことがある。



定 が お こ な わ れ た が 、参 謀 た ち は 、 ホ イ ッ ト ニ ー 大 佐 を 白 眼 で に ら ん で 、 退 出 し た 。



——



ン デ ィ ア ン の 帰 順 を う な が す た め で あ る 。 通 訳 は 、 西 部 劇 映 画 で お な じ み の "ワ イ ル ド .ビ ル "



将軍のお供をしてインディアンのスー族の大# 長を訪ねた。白人の文明のすばらしさを説き、イ



130



将 軍 は 、 ま ず 白 人 は 馬 よ り 三 倍 も 早 い 鉄 道 を 発 明 し た 、 と い っ た 。 會 長 は 、信 じ ら れ な い 、



ヒ ーコ ッ ク だ つ た 。



1



将 軍 は 、 よ し 、 そ れ じ ゃ 、電 話 の 話 を し ろ 、黒 い 箱 に む か っ て 話 を す れ ば 、 ワシントンと



ゥ ソを い う な 、 だ っ た 。



と答え た 。そ れ じ ゃ 、汽 船 の 話 を し て や れ 、 スー族全員をのせてどんな川でもさかのぼれるとい



——



え 、 と 将 軍 が い う と 、酋 長 の 答 え は 、



す る と "ワ イ ル ド .ビ ル 〃 が 黙 っ て い る 。 ど う し た 、 通 訳 し ろ 、 と い う と 、 ガ ワ イ ル ド .ビ ル "



も話ができるのだ、 といった。



「か つ い じ ゃ い け ね ヱ 。 ォ レ も そ ん な も の は 見 た こ と が ね ヱ 。 信 じ ら れ な い ね 」



が答えた。



この物語を、 ホイットニー大佐は、大 将 の 指 示 と 諒 解 し た 。 そ こで、 たとえば第一線からの戦



いわれているの



せ た 。 現 場 指 揮 官 が 、 損 害 は ゼ ロ だ 、 と 抗 議 す る 。 す る と 、 ホ イ ッ ト ニ ー 大 佐 は 、 マッヵーサー



果 報 告 に 、 「日 本 機 二 十 五 機 撃 墜 、 わ が ほ う 損 害 皆 無 」 と あ る と 、 「味 方 の 損 害 は 軽 微 」 と 訂 正 さ 大 将 の 物 語 を 披 露 し て 、 いう。 も信 用 さ れ な い こ と もあ り う る 。注 意 す べ き だ 、 と



大 佐 に た い す る 參 謀 間 の 反 感 が 頂 点 に 達 し た の は 、 一 九 四 四 年 十 月 二 十 日 、 マッ



「つ ま り 、 将 軍 は 、 事 実 で だ」



ホイットニー



コ 一 ト ニ 一 ,ホ イ ッ ト ニ 一 131



力 ー サ ー 大 将 が フ ィ リ ピ ン .レ イ テ 島 に 上 陸 し た と き で あ る 。



大 将 は 巡 洋 艦 「ナ ッ シ ュ ビ ル 」 に の り 、 タ ク ロ バ ン 港 に 上 陸 し た 。 む ろ ん 、 上 陸 作 戦 が 成 功 し



た あ と だ が 、ま だ 日 本 軍 は 強 力 で あ る 。大将は父親が使った旧式回転拳銃をズボンのポケットに



上陸直前、 ホイットニー大佐はマッカーサー大将に近づき、自分の腕時計をはずしてさしだし



い れ 、 「生 き て 捕 虜 に は な ら ぬ 」 覚 悟 で 出 か け た 。



た。



「閣 下 、 こ れ は 私 の 家 内 が "父 の 日 〃 の プ レ ゼ ン ト と し て 送 っ て き た も の で す 。 そ し て 、 き ょ う



公 約 "ア イ .シ ャ ル .リ タ ー ン " が は た さ れ る 歴 史 的 な 日 で あ り ま す が 、 こ の 記 念 す べ き 機 会 に 、



十 月 二 十 日 は 私 た ち 夫 婦 の 結 婚 記 念 日 で も あ り ま す 。 本 日 は 、閣 下 の フ ィ リ ピ ン 市 民 に た い す る



と、



横にいたゥィ



ロビー



情報部長は



じめ



参 謀 た ち は 、 いっせい



こ の 時 計 を も っ て 上 陸 し て い た だ け る な ら ば 、光 栄 で す 。 こ の 時計は、わがホイットニー家の家 な ん と い う キ ザ な お 世 辞 かI



宝になります」



腕時計は



しない



る大 将 の 写 真



主 義 な の で 、 上着の左胸のボ



大 佐 は 、浅 瀬 に ズ ボ ン を ぬ ら し て 上 陸 す



う け とった。 ホイットニー



微笑して時計を



帰還の感銘に胸を波うたせているマッカーサー大将の気持ちにかなうものであることは、ま



に 眉 を し か め 、 鼻 に シ ワ を ょ せ て ホ イ ッ ト ニ ー 大 佐 か ら 顔 を そ む け た が 、 大 佐 の 提 言 が 、 フィ リ ビン



ちがいない。 ニッコリと



いれて、 上 陸 し た 。



大将は、 ケ ッ ト に



132



が 発 表 さ れ る と 、新 聞 記 者 た ち に 宣 伝 し た 。



もはや、 ホイッ ト 一丨大佐にたいする参謀間の不 快 感 は 嫌 悪 感 に ま で 高 ま っ た が 、大 佐 は 、 た



「ほ れ 、 将 軍 の こ の ポ ケ ッ ト の ふ く ら み を 見 た ま え 。 こ こ に 、 こ の 時 計 が は い っ て い た の さ 」



とえどのような悪評をうけても動ぜず、 いわばマッカーサー大将の〃分身〃として活動するのが、



このホイットニー



大 佐 の 確 信 は 、大 佐 が 准 将 に 昇 進 し て 、 日 本 に 進 駐 し て か ら ま ま す ま す 強 化



幕僚としての最高の姿だ、 と確信していた。



「将 軍 は 、 シ ー ザ ー 、 ア レ キ サ ン ダ ー 大 王 、 ナ ポ レ オ ン に も 匹 敵 す る 偉 大 な る 軍 人 で あ り 、 ま た



された。



偉 大 な る 民 主 政 治 家 で も あ る 。将 軍 は フ ィ リ ピ ン を 解 放 し た 。 いま、 日 本 の 解 放 者 と し て の 使 命



ホイットニ ー



准 将 は 、 一九四五年十二月に民生局長に任命されると、そう局員に訓示したが、



を 与 え ら れ た 。 そ の 使 命 を 完 遂 さ せ る の が 、幕 僚 の 使 命 で あ る 」



米軍が



実 施した日本



統 治 政 策 は 多 様 で あ る 。陸 海 軍 の 解 体 、戦 争 犯 罪 人 の 処 罰 、新憲法の



「す べ て は 将 軍 の 意 図 の ま ま に … … こ れ が わ れ わ れ の 服 務 規 程 だ 」



さ ら に 、 つけ加えた。



占 領



作 成 、 行 政 、 教 育 、 経 済 制 度 の 改 変 な ど 、 要 す る に "日 本 再 編 成 " が そ の 仕 事 で あ り 、 ま た そ の



だ が 、 日 本 に お け る "総 司 令 部 政 治 " の 特 徴 の ひ と つ は 、 ホ イ ッ ト ニ ー 准 将 の 存 在 で あ っ た 。



任務は米政府と連合国の方針に従ったものでもある。



コ 一 ト ニ ー ,ホ イ ッ ト ニ ー 133



ほ と ん ど す べ て の 重 要 施 策 は 、 民 生 局 に ょ っ て お こ な わ れ 、民生局長ホイットニー准将がとな



え る 「8 0 人 ? (最 高 司 令 官 ) の 意 思 」 と い う 言 葉 で 、 運 営 さ れ た 。 マ ッ カ ー サ ー 最 高 司 令 官 に



ー サ ー 元 帥 が 会 議 を 好 ま ぬ こ と 、准 将 が 弁 護 士 の 体 験 が あ る の で 元 帥 に 平 時 行 政 の 手 腕



会 う に は 、副 官 を と お す の が 規 則 だ が 、 ホ イ ッ ト ニ ー 准 将 だ け は 横 の ド ア か ら 自 由 に 出 入 り す る 。



マッカ



な ど の 事 情 が 、 ホ イ ッ ト ニ ー 准 将 が い う 「8 0 入 ? は こ う い っ て い る 」 と の 言 葉 に 疑 問 を い



を認められていること、 もともと元帥は准将のあからさまな〃忠臣ぶり"をうけいれていること ——



し か し 、多 少 の 疑 問 は あ っ た ら し い 。 た と え ば 、准 将 と な ら ん で 占 領 時 代 の 特 異 な 存 在 と 認 め



だかせなかった。



「ホ イ ッ ト ニ ー 准 将 は 、 ま こ と に 元 帥 と 一 心 同 体 だ っ た 。 考 え 方 も 、 書 体 ま で も そ っ く り だ っ た 。



ら れ る 民 生 局 次 長 チ ャ ー ル ス .ヶ ー デ ィ ス 大 佐 は 、 い う 。



おり



返し、



ど う も



元帥



ホイットニー



返事がきた。



准 将 に い っ た 。 准 将 が 、 "ダ グ



自 身 . の署名と ち が う ょ う だ 、 と い う



あ る と き 、米 国 の 婦 人 団 体 か ら 元 帥 に 署 名 入 り の 肖 像 写 真 を 贈 っ て く れ 、 と い っ て き た 。 元帥が 発送すると、



すると元帥は笑って、 こんどはユーの番だ、 と



サインして



ラ ス .マッ カ — サ1 〃 と 署 名 し て 送 る と 、 ま ぎ れ も な い 元 帥 の サ イ ン を あ り が と う 、 と 返 事 し て きた」



ヶーディス大佐の話は、 日本国憲法の作成について、 マッカーサー元帥が戦争放棄など主要な



















元帥の直筆で書かれてあった、 と伝えられているが、 はたして直筆であったかとたずね



三 項 目 を 指 示 し た 事 実 に か ん す る 質 問 に た い し て ひ ろ う さ れ た 。 そ の 指 示 は 、黄色い紙片にマッ



る と 、大 佐 は 、 以 上 の 物 語 を し た の で あ る 。 あ る い は 、 大 佐 自 身 も 、 マ ッ カ ー サ ー 元 帥 の 直 筆 か ど イ か に 軽 い 疑 問 を 持 っ て い た の で 、 そん







ル と























































の 質 問 を 、 「8 0 —











の命令だ」 の



准 — 将が元帥の側近であることを" カ サ " にきて



准 ー 将が聞き耳をたてている。不愉快だった」



だ が 、 私 が 要 務 の た め に マ ッ カ ー サ ー 元 帥 を た ず ね る と 、 い つ も 必 ず 、 いつのま



1 0を ^ 日本側におしつけたときの高圧的な態度を指



印 象 例 と し て 、対 日 理 事 会 で 准 将 が







元駐日大使は、 いかに



ト い







な 裏 話 を し た の か も し れ な い が 、 そ れ に し て も 、 ホ イ ッ ト ニ ー 准 将 の マ ッ カ ー サ ー 元 帥 と の "一







体 " ぶ り が う か が え ^ エピソ— ド で も あ る 。 シ



いたか、



くり返しで拒否したことや、総司令部の憲法







摘 す る ほ か 、 「小 さ な 思 い 出 」 を 語 っ た 。 「ふ し ぎ な



にかドアが細めにあいて、























准 将 は 、総 司 令 部 に 所 属 す る 公 的 な 幕 僚 と い う ょ り も 、



二言めには最高司令官をもちだすやり方といい、 マッカーサー元帥にかんすることはなんでも 知ろうとする姿勢といい、



を 得 る た め に は 最 後 ま で 服 従 す べ き だ 」 と、 覚 悟 し て い た 。



元帥にたいする私的な家臣に似た存在、 という印象を周囲に与え、 ひんしゅくを招いた。 だ が 、 ホ イ ッ ト ニー准 将 は 、 「そ れ で い い 。 幕 僚 は 指 揮 官 の 信 頼 を 得 な け れ ば な ら な い 。 信 任



!"



,ホ イ ッ ト ニ 一 ニ—



一 九 五 一 年 四 月 十 一 日 、 マッカ— サ ー 元 帥 は 、 朝 鮮 戦 争 の 誤 判 断 を 理 由 に 、 ト ル ー マ ン 大 統 領



辞表を



ワシントンに



ことに



に 解 任 さ れ た 。 元 帥 は 、前 年 に 昇 進 し た ホ イ ッ ト ニ ー 少 将 を 呼 び 、今後 の 身 の ふ り 方 に つ い て の



どおりに



私は閣下といっしょに



元 帥 も 、 ホ イ ッ ト ニ —少 将 が あ ま り に 自 分 に 忠 実 な た め に 多 く の 〃 敵 " を つ く っ て い る



希望をたずねた。



気 づ い て い た か ら で あ る 。 だ が 、少 将 は 答 え た 。



少 将 は 、そ の 言 葉



送 り 、 そ の 後 マ ッ カ ー サ —元帥が



「ま さ か 、 閣 下 は 私 を お い て 出 か け ら れ る つ も り で は な い で し ょ う ね ?



「し か し 陸 軍 省 が 承 知 す る か ど う か 」



日本にきた。 いっしょに日本を出ていきましょう」



ホイットニ—



「い え 、 す で に 退 職 願 を 書 く 用 意 を し て お り ま す 」



い だ せ な い か ら だ 、 と い う 論 評もあるが、少 将 は 無 給 で 元 帥 に 仕 え つ づ け た 。



し て つ と



め た



かっ



死ぬまでその側近にいた。 この少将の奉仕ぶりについては、元帥の側をはなれては生活の道が見



というのが、 ホイットニー少将の晚年の述懐である。



「将 軍 は 終 身 元 帥 の 名 誉 を 与 え ら れ た 。 元 帥 が 生 き て い る 限 り 、 私 は 幕 僚 と た 」



——



ジ ョ セ フ ,ス チ ル ウ エ ル



中 華 民 国 軍 参 謀 長 .東 南 ア ジ ア 連 合 軍 副 司 令 官 .米 陸 軍 ^



以 上 が 、 米 陸 軍 中 将 ジ ョセフ.



E



I



(中 国 、 ビ ル マ 、 ィ ン ド )



ス チ ル ウ ヱル に 与 え ら れ た 肩 書 き で あ る 。



方 面 航 空 部 隊 司 令 官 .貸 与 物 資 統 轄 官 。



第 二 次 大 戦 中 、 こ れ ほ ど 大 量 の 任 務 を 一 身 に 背 負 っ た 将 軍 も 少 な か っ た は ず だ が 、 とりわけス 場 合 は 、肩 に の し か か る 責 任 の 量 的 な 重 み と 同 時 に 、 そ の 質 的 な 異 様 さ に 悩 む 、



チルウエル中将の



「な か で も 、 問 題 な の は 中 国 軍 参 謀 長 と 貸 与 物 資 統 轄 官 の 仕 事 だ っ た 。 こ の 二 つ に く ら べ れ ば 、



といぅ 特 異 な 立 場 に お か れ て い た 。



他の二つは無きにひとしい気楽さを味わえたものだ」 スチルウヱル 中 将 は 、 そぅ 回 想 し て い る が 、 た と え ば 、 貸 ト ナ物 資 統 轄 官 は 、 文 宇 ど お り に 、 米 国 の 武 器 貸 与 法 に も と づ く 連 合 国 に た い す る 貸 与 軍 需 物 資 の 監 督 で あ る 。相手国の一部高級幹部



ジ ョ セ フ ,スチルウヱル 137



が 横 流 し し た り し な い か 、 ス ムーズに末端に配備されてるか、有 効 に 使 用 さ れ て い る か ど う か 、 なにが不足しなにが多すぎるか、などをチヱックする。



中 将 の 場 合 は 、 相 手 は 蔣 介 石 総 統 の 中 国 軍 で あ る が 、 こ れ が た い へ ん な 難 物 で あ っ た 。 スチル



「一 例 を あ げ れ ば 、 ビ ル マ か ら 雲 南 省 を 通 っ て 中 国 軍 に 援 助 物 資 を は こ ぶ "ビ ル マ . ロ ー ド " が



ゥ ヱ ル 中 将 は 、 いう。



ある 。 む ろ ん 、 この道路は米 国 の カ ネ と 労 力 で で き あ が っ た も の だ が 、幸いに道路をとおってト



会 社 が で き た 。 そ し て 、そ の 会 社 は 、



な ん と 、



中国領土にはいる援助物資



(南 西



トラックから



ゥ ス .ゥ ヱ ス ト .カ ン パ ニ — "







ラ ッ ク で は こ ば れ る 武 器 、装 備 は き ち ん と 中 国 軍 部 隊 に 配 給 さ れ た 。 と こ ろ が 、 や が て 意 外 な 事 実を発見した。



なる



い つ の ま に か 、 蔣 介 石 の 腹 心 の 宋 子 文 を 社 長 に す る "サ 司)



通行税を徴収するための会社だった」



ト ラ ッ ク も 米 国 製 , 積 ん だ 荷 物 も メ ー ド ,ィ ン , 5 人、 運 転 手 も と き に 米 兵 で あ る 。 す べ て



以 上 、自 国



「プ レ ゼ ン ト す る の に 、 プ レ ゼ ン ト は外 国 品 で あ る



料を



はらうべきだというのだ」



請 求 さ れ る ょ う な も の だ が 、彼 ら の 考 え 方 は ち が う 。 す



税金を



が め つ い 、 と い う ょ り も 、次 元 が 相 違 す る 相 手 側 の 思 想 に ス チ ル ゥ ェ ル 中 将 は 啞 然 と し た が 、



ベて



領 に は い る と き は 、



の道路も、米 国 が 造 っ た の で あ る 。



は蔣介石軍支援のための米国の好意のあらわれであり、通商行為ではない。 だいいち、中国領内



1;



138



この よ う な 環 境 で は 、中 将 に と っ て 蔣 介 石 総 統 の 参 謀 長 と い う 職 務 は 、 しごく困難なものとなら



ルウヱル中将が蔣総統の參謀長になったのは、昭 和 十 七 年 〔 九 一四 ニ 年 ) 三 月 だ っ た 。 さ



ざるをえない。 スチ



っそく、 中 国 軍 ニ 個 師 団 を ひ き い て ビ ル マ 防 衛 に 出 か け て み た が 、 圧 倒 的 な 日 本 軍 の た め に た だ 退却を指導するだけの結果に終わった。 重 慶 .に 逃 げ 帰 っ た ス チ ル ウ ェ ル 参 謀 長 は 、 中 国 軍 の 近 代 化 と 再 編 制 を 、 蔣 総 統 に 進 言 し た 。 蔣



スチルウェル参謀長は、 ま ず 近 代 軍 に 不 可 欠 な の は 、幕 僚 組織の整備と各指揮官の思想統一と



総統は即座に同意し、万事よろしく頼む、 とスチルウヱル参謀長の右手をにぎった。



と い う の で 、主 要 な 指 揮 官 、 幕 僚 を 招 集 し て い た が 、 ま っ 先 に 参 謀 長 の 言 葉 に 拍 手 し た 。 居並ぶ



協 調 で あ る 、 と強調した。蔣 総 統 は 、 スチルウュル參謀長が仕事にとりかかる前に講演をしたい



指 揮 官 、幕 僚 た ち も 拍 手 し た 。 ス ヰ ル ウ ヱ ル 参 謀 長 は 、満 足 し て つ づ け た 。



「本 官 の 短 い 体 験 、 つ ま り ビ ル マ に お け る 勇 敢 な 中 国 軍 と の 共 同 生 活 の 体 験 か ら 判 断 す る と 、 中



よく



知 っている、 と確信している方



国 軍 の 敗 因 の ひ と つ に 、先 入 観 が 指 摘 で き る と 思 う 。 こ こ に お い で の 幹 部 の 中 に は 、 日 本 軍 で 教 育 を う け た 方 が 少 な く な い 。 と い う こ と は 、自 分 は 日 本 軍 を



で き な い 。 し よ せ ん 、 そ れ は マ ネ に す ぎ ず 、 ま し て 皆 さ ん は 日 本 軍 を 知 っ て い て も 、部 下 は 知 ら



も 、多 い は ず で あ る 。 だ が 、 そ の た め に 日 本 軍 と 同 じ よ う な 戦 い か た を す る の で は 、 勝 利 は 入 手



ジ 3 セ フ .ス チ ル ウ ュ ル 139



スチルゥ X



と く に



やがて米軍の装備を使用するのだから、万事を米国式に変えるのは能率的で



ル參謀長は、相 手 の 意 表 を つ く 意 味 で も 、 このさい、 思想も組織も米国式に一変す



な い の だ か ら 、本 家 本 元 の 戦 術 を し の ぐ こ と は で き な い 」



べきである、



「ま ず 第 一 に 幕 僚 組 織 の 問 題 だ が 、 幕 僚 と は 、 指 揮 官 の 決 意 と 行 動 を 有 効 に す る た め の 補 佐 で あ



ある、 と述べた。



材料に過不足がない



って、 指 揮 官 の 高 等 従 卒 で は な い 。 作 戦 計 画 の 立 案 に つ い て も 、 幕 僚 は 第 一 次 的 責 任 を 負 う と 同



参謀たち



は、



一応は作戦、 通 信 、補 給 な ど 分 担 す



る任 務 を



を完 全 な 召 使 い 扱 い し



よ う 努 め る べ き で あ る 。 く り 返 す が 、 指 揮 官 に と っ て 幕 僚 は ゥ ュ ィ タ — (給 仕 ) で も な け れ ば 、



時 に 、 あ ら か じ め 業 務 分 担 を 明 ら か に し た 協 力 体 制 を つ く り 、指 揮 官 の ^



た ん な る ク ラ ー ク (書 記 ) で も な い 」



ショックをうけた。



敗 退 の と き 、 ス チ ル ゥ ュ ル 参 謀 長 は 、 中 国 軍 指 揮 官 が 、参 謀 た ち



のを見て、



ビルマ て い る



与 え ら れ て い た が 、 実 際 に は 、 な に も か も 指 揮 官 が 独 断 で き め 、指 揮 官 は そ の と き の 気 分 で 通 信



ス チ ル ゥ ュ ル 参 謀 長 は 、 「軍 隊 の 近 代 化 は ま ず 幕 僚 の 責 任 と 権 限 の 明 確 化 か ら は じ ま る 」 と 、



参 謀 に 作 戦 計 画 を 起 案 さ せ た り 、補 給 参 謀 に 通 信 業 務 を 担 当 さ せ た り し て い た 。



「す ば ら し い 解 説 だ 。 わ れ わ れ は 、 ス チ ル ゥ ェ ル 将 軍 の よ う に 有 能 な 軍 人 を 迎 え 、 い ま や 中 国 軍



参 会 者 の 顔 を 見 渡 し な が ら 、力 説 し た 。



の将来と勝利にたいする確信をもつことができた」



140 スチルゥエル



参 謀 長 は 、細 い 銀 ぶ ちメガネ



を かけ、



一見、 温 和 な 小 児 科 医 を



思わ せ る



容姿であ



蔣 総 統 が 声 高 く 宣 言 す る と 、指 揮 官 と 幕 僚 た ち も 、 は げ し く 両 手 を う ち 鳴 ら し つ づ け た 。



ル.



った。 中 国 軍 将 校 の だ れ か れ と な く 、 や さ し く あ い さ つ の 言 葉 を か け 、 熱 心 か つ 精 力 的 に 中 国 軍 の 即 席 近 代 化 に つ と め た 。 そ の 勤 勉 な 働 き ぶ り は 、 中 国 兵 の 親 近 感 と 信 頼 感 を 髙 め 、 「ア ン ク ジ ョ ー 」 と、 中 国 兵 た ち は ス チ ル ゥヱル參謀長を呼んだ。



ー ナッツ"



った。



は偏屈で恩知らずの小さな



こ と に な



ガラガラへ



び だ … … (中 国 政 府 は ) 自 分 た ち だ け の



だが、 ものの一年間もしないうちに、 スチルゥユル参謀長は、 その日誌に、自分でも予期しな



フビ



かった感想を記述する



こ と し か 考 え な い な ら ず 者 の 集 団 だ 。指 導 者 た ち の 興 味 は 、 た だ た だ 金 、権 力 、 そ し て地位だけ



手 に は い る も の に は 何 で も 頭 を 下 げ 、 自 分 は 戦 わ な い ょ う に 心 が け る … … ”ィ ン テ リ , と 金 持



だ … … 。



ち は 子 ど も を 米 国 に 送 り 、農 民 の 子 ど も が 戦 争 に か り だ さ れ る 。 しかも注意も訓練も指示も与え られずに死んでいる。



I



おお神ょ







わ れ わ れ は 、 こ の 腐 敗 し た 政 府 を 支 持 し 、そ の 偉 大 な る 愛 国 者 兼 戦 士 で あ る 〃 ビ ー ナ ッ ツ " に



味の頭の型から思いついた。



"ビ ー ナ ッ ツ " と は 、 ス チ ル ゥ エ ル 参 謀 長 が 蒋 介 石 総 統 に つ け た ア ダ 名 で あ る 。 や や と ん が り 気



栄 光 を 与 え る た め に 、戦お う と し て い る の だ



!!



ジ ョ セ フ ,スチルウエル 141



スチルウエル



參 謀 長 の 不 満 は 、 ひ と く ち に い え ば 、 蔣 総 統 ら 中 国 政 府 .軍 の 幹 部 の 使 命 感 の 欠



如 に あ る 。 国 家 、国 民 、 民 族 の 存 亡 を か け る 戦 争 だ と い う の に 、 考 え る こ と は た だ 自 分 の 生 活 だ



参 謀 長 と し て の ス チ ル ウ ヱ ル 将 軍 の 意 見 は 、 ほ と ん ど 無 条 件 に 採 用 さ れ 、. 心からの敬意もはら



けだとしか思えないのである。



し た あとは、



同 じ も の だ と 理 解 し て い る ら し い 。 つまり、 私 が な に を



それを



どう



処理し



ようと、



自分たちの勝手



だ、 という



考え方



ない。 贈 物 は 必 ず も ら え る し 、贈 物 の 付 録 と し て 教 訓 や 注 意 が つ き ま



ースと



わ れ る 。 だ が 、採 用 さ れ た 意 見 も 計 画 も 、 ほ と ん ど 実 行 さ れ な い 。



気にする



「彼 ら は 、 私 の 任 務 は サ ン タ ク ロ 贈物を手に



ことは



いおうと、



である」



とっても、



与 え て お い て 、 そ の 効 果 を 見 届 け な い で は 、 ス チ ル ウ ヱル 參 謀 長 自 身 の 職 務



参 謀 長 と し て の 存 在 意 義 が な い 、 と も 、 ス チ ル ウ ヱ ル 參 謀 長 は 嗅 息 し た が 、武 器 、 弾 薬 、装 備



参 謀 長 は 、 せめ て 少 数 の 精 鋭 部 隊 を ま と め あ げ て 、有 効 な 戦 い を す る 決 意 を 固 め 、



と い う プレゼントを 怠慢になる。 スチルウエル



そ の 成 果 は 、 昭 和 十 八 年 夏 ま で に 、縱 與 人 少 将 指 揮 の 第 三 十 八 師 団 、廖 耀 湘 少 将 指 揮 の 第 ニ



蔣 総 統 と 相 談 し て 、 ニ 個 師 団 を ィ ン ド に 送 り 、完 全 な 米 国 式 部 隊 に 育 て あ げ る こ と に し た 。



十二師団を基幹とする在ィンド中国軍新編第一軍三万ニ千二百九十三人となった。



142



お りから、連 合 軍 は 北 ビ ル マ 進 攻 作 戦 を 計 画 し て い た 。 対 日 戦 略 の ひ と つ の 焦 点 と し て 、中 国 大 陸 か ら 爆 撃 機 に ょ る 日 本 本 土 空 襲 が 企 画 さ れ た が 、中



である。



国大陸に飛行場基地を維持するためには、 インドから北ビルマを経て昆明に通ずる補給路が必要



日 本 軍 の ビ ル マ 攻 略 に ょ っ て 封 鎖 さ れ た 〃 ビ ル マ .ル — ト " の 再 開 で あ り 、 と く に 北 ビ ル マ の ス チ ル ウ ヱ ル 参 謀 長 は 、東 南 ア ジ ア 連 合 軍 副 司 令 官 で も あ る の で 、 養 成 し た 新 編 第 一 軍 に 出 動



要 地 ミ チ ナ (ミ— ト キ ー ナ ) の 確 保 が 要 求 さ れ る 。



を命じ、十月五日、その前衛の第三十八師団はビルマ北部国境をのぞむレドに集結した。 レドから、 ビルマ、 インド国 境 を 走 る パ ト カ イ 山 脈 の 北 端 を す ぎ 、 アーコン峡谷を南下してミ







X



,ボ ー ト ナ ー 准 将 を 同 行 さ せ た 。



チ ナ を 攻 め る の で あ る 。 スチ ル ウ ユ ル 中 将 は 、廖 少 将 の 第 二 十 二 師 団 と と も に 後 続 す る こ と に し て、 孫 少 将 の 第 三 十 八 師 団 に は



ボートナー准将は、 インドで新編第一軍の訓練にあたっていたが、 この中国軍精鋭部隊を高く



参 謀 た ち の 能 力 も す ぐ れ て い る し 、 兵 の 動 作 も キ ビ キ ビ し て い る 。指 揮 官 孫 少 将 も 、米国留学



評価していた。



の経験があり、話は円滑に通じあぅ。



ジョ



ス チ ル ウ ヱ ル 参 謀 長 は 、 と き に 渋 面 を あ ら わ に し て 、 中 国 軍 を 批 判 す る 。 か つ て 、親 愛 の 情 を こ め て 中 国 兵 が 参 謀 長 に 捧 げ た ア ダ 名 "ア ン ク ル .ジ ョ ー " は 、 い つ の ま に か "ビ ニ ガ 1



ジ ョ セ フ ^ス チ ル ウ Xル 143



ポートナー



ーは酢、 うるさ



型の意) に変わっていた。



准 将 と し て は 、従 順 か つ 勤 勉 と し か 思 え な い 中 国 兵 に た い し て 、 ス チ ル ゥ ヱ ル 参 謀



丨 "(注 、 ビ 二 ガ



と、 ポートナー



准将は、 ときには



中 国 兵 に 同 情 す る 意 見 具 申 を こ こ ろ み た も の だ が 、十 月 五 日 、



長 が 示 す 嫌 悪 に 似 た 表 情 は 、苛 酷 に す ぎ る と し か 思 え な か っ た 。 「東 洋 人 で あ る 以 上 、 多 少 の ル ー ズ さ は や む を え な い 。 結 構 .よ く や っ て い る と 思 い ま す が 」



やりましよう、



将軍。



そ の う ち に 、 ですと」



と い っ た の で あ る 。 そ し て 、 そ の ま ま 、 孫 少 将 は レ ド に 腰 を お ち つ け 、 やっと



命 令 書 に は 即 時 出 撃 と 明 記 し て あ っ た が 、 孫 少 将 は フ ー コ ン 峡 谷 進 撃 は 急 ぐ こ と は な い 、 いず



「ホ ワ ッ ト (な ん で す と )、



レ ド で 孫 少 将 に 出 撃 命 令 を 手 渡 し た と た ん 、胸 中 に 疑 惑 の 暗 雲 が 発 生 し た 。







十 日 後 、 十 月 十 五 日 、第 三 十 八 師 団 第 百 十 二 連 隊 に 出 発 を 命 じ た 。



連 隊 の 三 個 大 隊 を ニ 群 に わ け 、第 一 、 第 二 大 隊 と 第 三 大 隊 と が 二 方 向 か ら 、 フ ー コ ン 峡 谷 に は



峡 谷 お よ び そ の 北 部 一 帯 は 、前 年 に 大 洪 水 に み ま わ れ て い た 。 そ の と き の 原 住 民 の 溺 死 者 と み



い っ て い っ た 。 孫 少 将 も 出 陣 し た 。 ボ ー ト ナ ー 准 将 は 、孫 少 将 と 一 緒 に 進 ん だ 。



「フ ー



コン」







ビルマ



語で死を意味す



る。



山 肌 を 吹 き お ろ す 風 は 冷 た く 、骸 骨 を 敷 き つ め て 静 ま



え 、 水 た ま り の ふ ち 、 丘 の 斜 面 、道 端 の 至 る 所 に 人 骨 が 散 乱 し て い た 。



り か え る 辺 境 は 、 ま さ に 「死 の 谷 」 の 呼 称 に ふ さ わ し く 、 嗽 々 の 気 に 満 ち た た た ず ま い で あ っ



た 。 が 、 ボ ー ト ナ —准 将 が お ど ろ い た こ と に は 、 孫 少 将 も 中 国 兵 も 、 人 骨 な ど は 気 に な ら な い ら



だが、なんと、その行軍のまだるいことか。



しく、 ガヤガ ヤ と し や べ り な が ら 、行 軍 し て い っ た 。



キ 一ロ 歩 い て は 休 み 、 次 に 一 キ ロ 進



当 時 の 米 軍 は 、 日 本 軍 と同じく、行 軍 距 離 単 位 は 四 キ ロ で あ っ た が 、その米式訓練をうけたは ずの 、 いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、



し か も 、頭 上 に 英 軍 機 が 飛 来 し て 補 給 物 資 を 投 下 す る と 、 隊 列 を 乱 し て む ら が り 、 悲 鳴 を あ げ



んではごろりと道端に寝ころがる。



つつ、 下 着 に 利 用 す る パ ラ シ ュ ー ト を 奪 い あ う 。



前進停止である。



とたん



ヤ ン (注 、 ビ ル



くる。



む ろ ん 、 朝 食 、昼 食 時 間 は 大 休 止 す る 。 日 没 が 近 づ く と 、 ラ ン ニ ン グ シ ャ ツ に ズ ッ ク 靴 姿 の コ



I







ックが、 巨 大 な 支 那 ナ ベ と メ リ ケ ン 粉 袋 を 天 秤 棒 で か つ い で 、 後 方 か ら か け よ っ て に 、部 隊 に 楽 し そ う な 歓 声 が ひ び い て



シン



迎えねばなりますまい」



「前 進 が お く れ て い ま す 、 将 軍 。 極 端 に お く れ て い ま す ぞ 。 こ の 調 子 で は



さ ら に



築 き 、



日本軍の第十八師団第五十六



も 泰 然 と し た表 情 と 歩 度 を 変 え な い 。 十 月



に着くまでに新年を



ボー ト ナ ー 准 将 は 孫 少 将 に 進 言 し た が 、少 将 は な お



マ国 境 の フ ー コ ン 峡 谷 入 り 口 の 部 落 )



三 十 日 に 日 本 軍 斥 候 に 接 触 す る と 、持 久 態 勢 を 命 じ た う え 、



ポ ー ト ナー准将は、 必 死 に 説 得 し て 孫 少 将 を 立 ち ど ま ら せ 、戦 車 と 重 火 器 で 円 型 陣 地 を



連隊の攻撃に遭遇すると、退却を命令しようとした。



144



空中補給をぅけながらがんばった。 この戦法は効果をあげた。 日本軍第五十六連隊はしきりに突



ゥュ ル)



将 軍は、なにかを誤解しているのではないか、 と自問自答する風情だった。



スチルゥュル参謀長は、中国人は本質的に白人種をきらい、その代表的な存在である米国人に



の 軍 人 に 共 通 し て い る は ず だ 。 で は 、 な ぜ 共 通 の 意 識 を 持 つ ス ン (孫 ) 将 軍 が 、 勝 利 に む か っ て 進 ま な い の か … …」



方 を 勝 利 に 導 く の が 、 わ れ わ れ ブ ロ 将 校 の 任 務 だ 、 と 理 解 し て い る 。 そ し て 、 こ の 理 解 は 、 万国



も 私も、職 業 軍 人 で あ る 。 軍 隊 と い ぅ も の が 戦 闘 を 目 的 と す る 集 団 で あ り 、効 率 の ょい戦闘で味



そ れ は 私 に も あ て は ま る 疑 惑 だ っ た が 、解 答 は 発 見 で き な か っ た 。私 た ち は 、話 し あった。将軍



「〔ス チ ル



准将は回想する。



顔 を ⑴ゲ 然 と 眺 め な が ら 、 考 え こ ん だ … … な ぜ 、 〗 則進しないのか?



ボ | ト ナ |准 将 の 急 報 に ょ っ て か け つ け た ス チ ル ゥ ュ ル 参 謀 長 は 、 に こ や か に 迎 え る 孫 少 将 の



孫 部 隊 は つ い に 完 全 停 止 し た 。‘



し た も の の 、そ の ス ビ ー ド は 以 前 に も お と る 低 速 で あ っ た 。 そ し て 、 昭 和 十 九 年 一 月 二 十 九 日 、



ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、 たしかに前進は開始



そ の 日 本 軍 が ひ き あ げ た の で あ る 。 勝 っ た 、勝 っ た 、 と 小 銃 を 空 に 乱 射 し て お ど り あ が っ た 。



孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、 日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、



撃 を く り 返 し た が 、損 害 を か さ ね て 後 退 し た 。



ジ ョ セ フ ,スチルウエル 145



146



とボートナー



准 将 に 質 問 し た 。 「そ う で は あ り ま す ま い 。 彼 ら



の敵は日本人です。 われわれの敵も日本人です。 してみれば、 われわれと彼らとは共通の敵を前



反感をもっているのではないか、



に し て い る わ け で す 。 た と え 、内 心 に 反 感 が あ っ て も 、そ の た め に 敵 に 利 益 を 与 え る の は 、功利



あえて米国式編制を強要したことが、 かえって彼らの行動を妨げているのだろうか、 とも、 ス



心の富む中国人の採用する政策とは思えません」



チ ル ウ ヱ ル 参 謀 長 は 首 を ひ ね っ た が 、 と に か く 、理 由 は ど う あ れ 、戦 場 で 前 進 し な い 軍 隊 は 不 都 ムロである。



スチルウヱル參謀長は、孫 少 将 に か み つ い た 。



も 自 し 分の使命が達せられないような



も 、火炎放射器 も 、



「明 ら か に 命 令 違 反 で あ る 。 よ ろ し い か 。 貴 下 の 第 三 十 八 師 団 は 、 全 中 国 軍 の な か で と び ぬ け て



… …



優 良 な 兵 器 、 弾 薬 、糧 食 の 補 給 を う け て い る 。 足 り な い と い う な ら 、 迫 撃 砲 米 兵 だ っ て さ し あ げ る 。 だが 、命 令 に 従 う の が 条 件 だ



じ つ は 、孫 少 将 が 前 進 を ひ か え て い た の は 、蔣 総 統 か ら 、無 用 の 出 血 を さ け る よ う に と い う 秘



ら、辞 職 し て ワ シ ン ト ン に 報 告 せ ざ る を え な い 」



密 指 令 が 出 て い た か ら だ が 、孫 少 将 に か み つ い た ス チ ル ウ ヱ ル 参 謀 長 は 蔣 総 統 に も 強 硬 意 見 を 打 電した。 お ど ろ い た 蔣 総 統 か ら 前 進 命 令 が 孫 少 将 に 発 せ ら れ 、さ ら に 二 月 十 九 日 、米国で特別編制した



ジ ョ セ フ ,スチルウエル 147



ド ,メ リ ル 准 将 指 揮 の 遊 撃 部 隊 、 第 五 三 〇 七 混 成 連 隊 ニ 千 八 百 一 二 士 一 人 も 戦 場 に 到 着 し て 、 中 国 軍は進撃を再開した。



ミチ



ナを包囲することができた。



廖 少 将 の 第 二 十 二 師 団 も 戦 列 に 加 わ り 、 そ の 後 、 新 た に 中 国 軍 第 三 十 、 第 十 四 、第 五 十 師 団 も 進 出して、五月初旬には、目 標 の



守 備 し て



いた。 第 五 十 六 師 団 歩 兵 団 長 水 上 源 蔵 少 将 が 第 百 十 四 連 隊 第 一 大 隊 を 率 い て 、 救援に



ミ チ ナ 攻 防 戦 は 、苛 酷 な も の で あ っ た 。 日 本 側 は 丸 山 房 安 大 佐 指 揮 の 第 十 八 師 団 第 百 十 四 連 隊



か け つ け た が 、包 囲 さ れ た ま ま 、死 傷 者 が ふ え 、弾 薬 が 欠 乏 す る 日 を す ご す だ け で は 、持久にも







のちに、



スチ



ルウヱル参謀長は、 回想している。



ル ウ ヱ ル 參 謀 長 に と っ て は 、 「十 八 世 紀 の 戦 術 だ 」 と 思 え た が 、 実 際 に は 、 最



攻略戦で、中国軍は街の郊外から地下道を掘って、 日本軍陣地を地下から攻撃する戦法



八 月 一 日 、水 上 少 将 は ミ チ ナ 放 棄 を 命 じ 、部 下 を 脱 出 さ せ て 、自 決 し た 。



限度があった。



ミチナ スチ



も効 果 が あ っ た 。



を採用した。



「戦 争 は 戦 争 で あ り 、 軍 人 は 軍 人 だ 。 ど こ で も い つ で も 、 同 じ 職 種 の 者 は 同 じ 規 約 に し た が う と



信 じ が ち だ が 、 結 局 は 、 民 族 が ち が い 、 人 種 が ち が い 、. 宗 教 と 慣 習 が ち が う と き は 、職 業 上 の 身



米 国 軍 人 で あ り な が ら 、 中 国 軍 と い う "異 民 族 、 異 教 徒 " の 参 謀 長 を つ と め た ス チ ル ウ ュ ル 将



の処し方もちがうものだ。その意味で、異民族間の協力はょほど困難になる」



軍の体験は、そのまま、 ベトナム戦争に至る戦後の米軍の海外活動の教訓になっていたかもしれ



148



ミ チ ナ を 攻 略 し 、 目 的 の "ビ ル マ .ル ー ト " 再 開 を 成 就 し た ス チ ル ゥ 1ル 参 謀 長 は 、 重 慶 の 蔣



な い が 、 ス チ ル ゥ ュ ル 参謀長の仕事の終わりは、意 外 に 早 か っ た 。



ス チ ル ゥ ェ ル 參 謀 長 は 、憮 然 と し た 。 ビ ル マ で 戦 っ て い る 間 に 、 蔣 総 統 司 令 部 は ー 段 と 腐 敗 と



総統の司令部にもどった。



ス チ ル ゥ ェ ル 參 謀 長 は 、 一 刻 も 早 く 〃 国 共 合 作 " し 、 共 通 の 敵 .日 本 軍 に む か う べ き だ 、 と 蔣



混乱の程度を増し、 日本軍よりも共産軍にたいして敵意を燃やしていた。



と こ ろ が 、 ワシントンには、蔣 総 統 司 令 部 か ら 、別 の 報 告 が と ど い て い た 。 スチルゥェル參謀



総統に進言して、 ワシントンにも報告した。



長 は 、 蔣 総 統 と そ の 軍 隊 に た い す る 理 解 が う す く 、 中 国 の "赤 化 " に 同 情 し て い る フ シ が あ る 、



ワシントンに



という



米政府の配慮のためであったが、 ス



送 還 さ れ 、厳 重 な 監 視 の 下 で 終 戦 を 迎 え た 。



ワシントンは、中国との協カを基礎 に す る 政 治 的 考 慮 を は た ら か せ 、 スチルゥェル參謀長は昭



というのである。



和 十 九 年 十 月 、解 任 の 通 告 を う け た 。 ス チ ル ゥ ェ ル 中 将 は 、極 秘 の う ち に



中 国 と く に 蔣 政 府 、軍 の 内 情 を ば く ろ さ れ て は 困 る 、



はなかった。



チ ル ゥ ュ ル 中 将 は 、 「私 の ほ う こ そ 語 り た く な い 」 と い い 、 夫 人 に も 中 国 生 活 に つ い て 話 す こ と



八 . 0 . ウェデ マイ ヤ 一 149



米 国







ー ト .ベ ニ ン グ



八 ,0 ,ウヱデマイヤ'



ジョージア州のフォ



-- 一 九 二 一 年 二 月 。



おびて



ゥ ヱ デ







ー。 論 告 に ょ れ ば 、



マイヤー少尉は午前ニ



パス市のバーに飲みに出かけ、



兵営に存在することがすでに軍律違反であるのに、



コロン



マイヤ



基 地 で 、軍 法 会 議 が 開 か れ た 。



ー少尉は、同 僚 の将校二人と一緒に近隣の



被 告 は 、 歩 兵 第 二 十 九 連 隊 所 属 の 新 任 少 尉 ア ル パ ー ト ,0 . ゥ ヱ デ ゥ ヱ デ マ イ ヤ



「酒 気 を



たたか酔っばらった。



と い う 失 態 を 演 じ た ば か り か 、 た し な め ょ う と す る 上 官 の 腕 を ふ り は ら い 、第二十九連隊パンザ



時 ……判 事 諸 官 、 と く に こ の 午 前 ニ 時 と い う 時 間 に ご 注 意 い た だ き た い ……営庭で放歌高吟する



検察官は、



ゥ ヱ デ



マ イ ヤ ー 少 尉 が い か に 将 校 と し て の 体 面 を き ず つ け た か を 力 説 し 、厳 格 な 処



イ、 と わ め き つ づ け た の で あ り ま す 」



150



置 を 要 求 し た 。長 身 の ウ ェ デ マ イ ヤ ー 少 尉 は 、不 動 の 姿 勢 の ま ま 、判事の質問にこたえて罪状を 認めた。



基地は、兵舎



も ろ く



になく、若 い 士 官 は



I



テント



住まいを余儀なく



デマイヤー少尉に同



判 事 は 、 「六 か 月 間 の 外 出 禁 止 な ら び に 罰 金 三 百 ド ル 、 但 し 毎 月 五 十 ド ル の 月 賦 支 払 い を 命 ず



フ ォ ー ト .ベ ニ ン グ



る」 と 判 決 し た 。検 察 官 は 量 刑 が 軽 す ぎ る と 不 満 だ っ た が 、判 事 た ち は ウ 情した。 なにせ、



レク リ エ ー シ ョ ン と



みなされたからであ



さ れ た 。そ の う え 、基 地 周 辺 に は 人 家 が 少 な く て 、 デートの対象になる女性もほんの少ししかい



る。



なかった。酔っばらってウサをはらすのは、 やむを得ぬ



だ が 、 ウ1 デ マ イ ヤ ー 少 尉 自 身 は 、 前 途 に 希 望 を 失 っ た 。 陸 土 を 卒 業 し て ニ 年 め に 、 早 く も 軍



I



船 会 社 に 就 職 す る 段 取 り を つ け た 。 だが、指 揮 官 ? .



マロン



少 将 は 、 少尉の



デ マ イ ヤ ー 少 尉 は 懲 罰 期 間 が す ぎ た ら 陸 軍 を 辞 め る 決 意 を か た め 、早手まわしに



法 会 議 の お 世 話 に な る よ う で は 、未 来 の 昇 進 は お ぼ つ か な い 、 と 判 定 さ れるからである。 そこで、 ウ



ニューォー リ ン ズ の



マイヤー



将 軍 は 、.そ う 回 想 し て い る が 、



マロン



少将の温情はウヱデ



マイヤー



少尉という



「将 軍 の お か げ で 、 私 は 自 分 の 人 生 経 験 の 未 熟 さ を 痛 感 し 、 と も す れ ば 大 げ さ に 考 え が ち な ふ ま



才 能 を お し み 、自 分 の 副 官 に 登 用 し て 、軍 籍 離 脱 を 思 い と ど ま ら せ た 。



ウヱデ



じめな気持ちを押えて勤務できるようになった」



1 5 1 八 ,0 ,ウェデマイヤー







デ マ イ ヤ ー 少 尉 は の ち に (一 九 五 三 年 ) 大 将 に 昇 進 す



X



る が 、



第二次大戦中は最も有能な参



一人の青年に希望をよみがえらせただけでなく、米 陸 軍 に と っ て 大 き な 貢 献 も す る こ と に な っ た 。



ヤ ー 参 謀 の お か げ で 、米 国 は 有 効 な 戦 略 計 画 を 準 備 し 遂 行 で き た 、 と さ え 指 摘 で き る 存 在 と な っ



謀 と し て 評 価 さ れ 、 米 国 の 世 界 戦 略 立 案 の 実 務 担 当 者 と し て 成 果 を あ げ た 。 い わ ば 、 ゥユデマイ



I



デ マ イ ヤ ー 少 尉 は 、歩 兵 第 三 十 九 連 隊 配 属 勤 務 を 終 え る と 、 中 国 、 フ ィ リ ピ ン で 勤 務 し た



たからである。 ゥ



あ と 、 ー 九 三 四 年 、 大 尉 に 進 級 し て 、 ヵ ン サ ス 州 フ ォ | ト ,レ べ ン ヮ ー ス の 陸 軍 大 学 校 に 入 学 し



陸 大 の 在 学 期 間 は ニ 年 間 で 、 そ の ぅ ち 第 一 学 年 で は 師 団 単 位 ま で の 戦 術 と 兵 器 使 用 法 、兵站と



た。



れた。



機 動 な ど に つ い て 学 び 、 第 二 学 年 で 軍 団 や 大 部 隊 の 運 用 、戦 史 、 海 空 軍 に か ん す る 知 識 を 与 え ら



戦 史 の 研 究 に は げ ん だ 。 フ レ デ リ ッ ク 大 王 、 ナポレ



シー ザー、 ア レ キ サ ン ダ ー 大 王 な ど の 古 戦 史 、 ま た 南 北 戦 争 、第一次大戦の主な戦いにつ



とくに



ゥ 1デ マ イ ヤ ー 大 尉 は 、 そ の 名 前 で も わ か る よ ぅ に ド イ ツ 系 移 民 の 子 供 で あ る が 、 父 の 訓 育 に



オン、



よって歴史に興味をもっていたので、



し か し 、陸 大 の 教 育 は 、 ゥ ヱ デ マ イ ヤ ー 大 尉 に と っ て 、 も の た り な か っ た 。 いや、 不 満 だ っ た 。



いても、詳 細 に 探 究 し た 。



152



教 育 が 、 理 論 偏 重 に す ぎ る き ら い が あ り 、 し か も 、大 尉 の 見 る と こ ろ 、教 官 は 不 適 格 者 の ほ う が



「教 —



補 者 名 簿 は 教 官 が 作 成 す る が 、そ の 基 準 は 、 ゴ ル フ の腕前とか、現 教 官 と の交友の親疎



多かった。



そ こ で 、 ゥ ユ デ マ イ ヤ ー 大 尉 は 、 卒 業 ま ぢ か に 副 校 長 に た い し て 、 「わ が 陸 大 で 真 に 学 生 を 指



が 主 に な っ て 、候 補 者 の 軍 事 的 な 専 門 知 識 や 指 導 力 は 、ニ の 次 に な る 傾 向 が 強 か っ た 」 か ら で あ る 。



導できる教官はほんのニ、 三人にすぎない」 と直言した。 副 校 長 は 、辛 抱 強 く ゥ こ ア マ イ ヤ ー 大 尉 の 意 見 に 耳 を か た む け た あ と 、 大 尉 が ド イ ツ 陸 軍 大 学



の交換留 学 を と り き め て い た 。そ し て 、大尉はハイスクールでニ年間ドイツ語を習得していたの



留 学 生 に 内 定 し て い る こ と を 、 告 げ た 。 一 九 三 五 年 に 米 政 府 は ド イ ツ 国 防 省 と の 間 に 、陸 大 学 生



ゥ土ア マ イ ヤ ー 家 で は 、 ド イ ツ 系 で あ る が 完 全 な 米 国 市 民 た る べ く 、 両 親 は い っ さ い ド イ ツ 語



で、 選 抜 さ れ た と い う 。



を 使 用 せ ず 、大 尉 も ド イ ツ 語 は ハ イ ス ク ー ル の ニ 年 間 以 外 に 学 ん だ こ と は 、なかった。 大尉は家



X



デ マ イ ヤ ー 大 尉 は ベ ル リ ン に 到 着 し 、 モアビット街の陸軍大学校に



庭教師について速成教育をうけて、 ドイツに赴任した。 一九三六年七月二日、 ゥ



入学した。同期生として約百二十人のドイツ陸軍大尉と、 ゥユデマイヤー大尉のほかに九人の外



お り か ら 『ベ ル リ ン .オ リ ン ビ ッ ク 大 会 』 が 開 催 さ れ 、 ナ チ ス . ド イ ツ の 声 威 が 高 調 し て い る



国 人 留 学 生 が 、 いた。



「 ハ イ ル .ヒ ト ラ ー 」



ゥヱデマイヤー



大尉は、 とっさに



「お お 、 ハ イ ル . ル — ズ ベ ル ト 」



ト 」



エール



ナ チ ス 式 に 右 手 を さ し の ば し て 、叫 ん だ 。



交 換 " は、 ゥ ヱ デ



マイヤ



ー大尉にとっては、 い さ さ か



と 叫 び 、 大 尉 は 「ハ イ ル . ヒ ト ラ ー」 と 叫 び か え す こ と に な っ た 。



もっとも、 こ の 独米親善の〃 右手をあげて



I



「ハ イ ル .







ト ラ ー 」 と唱えるのである。



と い ぅ 噂 が 、 米 本 国 に 伝 え ら れ 、 の ち に ゥ ヱ デ マ イ ヤ —将 軍 の 思



ドイツの破壊を企図して、結局、 ソ連にヨーロッパ支配の機会を与えた」



「英 国 、 と く に チ ャ ー チ ル 首 相 は 、 英 国 の 伝 統 的 な 政 策 で あ る ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 の 勢 力 均 衡 を 捨 て 、



たことは、たしかである。



も っ と も 、 ゥ ユ デ マ イ ヤ ー 大 尉 と し て は 、 ナ チ ス .ド イ ツ は 共 産 主 義 ょ り は ま し だ と 思 っ て い



想に疑問をもたれる要因のひとつになったからである。



「ヤ ツ は ナ チ ス び い き だ 」



し、



ナス効果をもたらした。 いくら掃除婦相手のたわいもない儀礼とはいえ、 ともかく力カトを鳴ら



マイ



り 人 気 者 に な っ た 。 オ パ さ ん は 、 い ら い 、 大 尉 の 姿 を 見 る と 、 こ ん ど は 「ハ イ ル .ル ー ズ ベ ル



ォパさんは喜び、 ついでにドイツ人学生たちに吹聴したとみえ、 ゥヱデマイヤー大尉はすっか



同 じ く



ォ パ さ ん ま で が 、 ナ チ ス 式 に 右 手 を あ げ て 、 ゥ ヱ デ マ イ ヤ ー大 尉 に あ い さ つ し た 。



時 代 で あ る 。 陸 軍 大 学 校 の 校 舎 に は い る と 、講 堂 の 床 に ヒ ザ を つ い て ふ き 掃 除 を し て い る 雑 役 の



八 . 0 ,ウェデマイヤー 153



154



というのが、 ウ



だが、



デマイヤー将軍の持説であり、 このドイツ留学時代にも、 ウ



X



そ れ ょ り も 、



デマイヤー大 X



ゥエデマイヤー大尉は、 ドイツ陸軍大学校の教育に強い感銘をうけた。



尉 は 、 ドイツはソ連にたいする防壁の役割をはたさせるべきだ、という考えをもっていた。



ド イ ツ 陸 軍 大 学 校 の 教 育 は 、 米 国 の 陸 大 に く ら べ て 、 明 確 に "実 戦 第 一 主 義 " で あ っ た 。 第一 学 年 で は 、毎 日 、 師 団 、 軍 団 単 位 の 図 上 演 習 が お こ な わ れ た が 、 教 官 は 学 生 を 指 揮 官 、 幕 僚 に 任 命 して、それぞれに適切な任務遂行のための判断と決定の訓練をほどこした。



戦 史 研 究 も "実 戦 的 “ で あ っ た 。 フ レ デ リ ッ ク 大 王 や ナ ポ レ オ ン の 戦 術 を 研 究 す る た め に は 、 し ば し ば そ の 古 戦 場 を 訪 ね た 。 そ し て 、教 官 は 現 場 で 両 軍 の 配 備 と 戦 術 上 の 決 定 例 を 分 析 し 、 そ



第 二 学 年 で は 、大 部 隊 の 作 戦 の ほ か に 、広 範 な 大 戦 略 の 講 義 も ふ く ま れ て い た 。 地 理 、気候風



のあいまに多くの未発表の興味深い史実を教えてくれる。



ら れ る 。 と く に 、 有 名 な 地 理 学 者 ハ ゥ シ ョ フ 1ル が 、 地 理 学 的 に み て 戦 略 の ,ハ| ト ラ ン ト ガ



土 、 民 勢 統 計 学 、 行 政 、 経 済 そ の 他 、 近 代 戦 の 土 台 を な す 各 種 要 素 に つ い て 、緻 密 な 研 究 が 加 え



(心 臓 地 区 ) の 重 要 性 を 強 調 し た 講 義 は 、 ゥ 1デ マ イ ヤ ー 大 尉 を 感 動 さ せ た 。 小 は 一 国 の 一 部 か



お さ え れ ば 、大 洋 を 包 囲 し た 形 と な り 、 米 国 と オ ー ス ト ラ リ ア は 孤 立 す る 。 世界の



ら 、 大 は 全 世 界 に お ょ ぶ 地 域 を 考 え て も 、 こ の "ハ ー ト ラ ン ト , の 存 在 は 指 摘 で き る 。 そ の "ハ の支配が、 とりもなおさず勝利. の 要 諦 と な る 。 た と え ば 、 ヨー ロ ッ パ .ア ジ ア 大 陸 ラント,



アフリカを



—ト







X デマイヤー



八 .0.ウ



ー 大 尉 は 、 一九三八年に



"ハー ト ラ ン ト " は 、 ヨ ー ロ ッ パ . ア ジ ア ゥ ュデマイヤ



大陸と



だ--



といぅ



考え方である。



帰国すると、 百べージにおよぶ報告書を提出



アフリカ



ドイツから



ド イ ツ 陸 軍 大 学 校 の 組 織 と 機 能 、 機 械 化 師 団 、空 挺 師 団 、対 戦 車 部 隊 を 使 用 す る ド イ ツ の 新 し



した。



い 戦 術 概 念 に つ い て 、 詳 細 に 報 告 し た 。 い ず れ も 、米 陸 軍 に は 存 在 し な い 兵 力 で あ り 、 斬 新 な 戦 術 思 想 であった。 だが、上司の反応は、 にぶかった。



「彼 ら は ヒ ト ラ ー の 奇 癖 、 ナ チ の ユ ダ ヤ 人 迫 害 、 ゲ ッ ベ ル ス と ゲ ー リ ン グ の 恋 の サ ヤ あ て な ど に



大 尉 は 、 が っ かりした。大 尉 は 、



さ ら に ド イ ツ



みやげとして、戦略にたいする



ついては、 い ろ い ろ と 質 問 し た が 、戦 略 、 ド イ ツ の 戦 力 、軍 事 訓 練 、組 織 に か ん す る 質 問 は 、 ほ



ゥエデマイヤー



とんどなかった」



独自の概念を考案していた。



「大 戦 略 と は 、 国 家 政 策 に よ っ て 決 定 さ れ た 諸 目 的 を 達 成 す る に あ た り 、 国 家 の す べ て の 資 源 を



これ が 、 ゥ ニ ア マ イ ヤ ー 大 尉 に よ る 戦 略 の 定 義 だ が 、大 尉 は 、 戦略を支える も の と し て 四 つ の



使 用 す る た め の 力 量 、識 見 と 科 学 を い ぅ 」



資 源 を 指 摘 す る 。 「政 治 的 資 源 」 「経 済 的 資 源 」 「心 理 的 資 源 」 「軍 事 的 資 源 」 の 四 つ で あ る 。 そ し



て、 こ れ ら 四 つ の 資 源 は 、ど の 近 代 国 家 も 保 有 し て お り 、国 家 の 政 策 を 決 定 す る た め の 主 要 素 と



156



「政 治 的 資 源 」 に は 友 好 諸 国 と の 協 定 、 条 約 が ふ く ま れ 、 「経 済 的 資 源 」 に は 他 国 と の 通 商 協 定 、 経 済 封 鎖 な ど が 含 有 さ れ 、 「心 理 的 資 源 」 に は 公 然 、 非 公 然 の 宣 伝 工 作 も は い る 。 そ し て 、 「軍 事 的 資 源 」 は 一 国 の 武力を指すから、 もし 、前者の三要素 が パ ラ ン ス の と れ た 計 画 に し た が っ て 有



つまり、 ひ と く ち に い え ば 、 ゥ ユ デ



マイヤー



大 尉 は 、近 代 戦 に お い て はたんなる戦闘単位の技



効 に 使 用 さ れ る な ら ば 、国 策 の 遂 行 の た め の 第 四 の 要 素 、武 力 は 不 要 と な る で あ ろ う 。



術 で は な く 、国 家 、 さ ら に 国 家 集 団 の 総 合 計 画 と し て の 戦 略 が 必 要 だ 、 と考えたわけである。 下 級 幕 僚 と い え ど も 、国 家 と 平 和 に 奉 ず る 覚 悟 を も つ な ら ば 、たんなる戦闘技術だけで



「幕 僚 が た ん に 事 務 官 や 秘 書 官 の 責 務 だ け を は た し て す む な ら 、 広 範 囲 な 思 想 は 必 要 で な く な る 。 しかし、



















大 尉であるだけに、 ドイツから帰国して遭遇し



な く 、戦 い を し な い た め の 総 合 的 な 思 考 を も た な け れ ば な ら な い は ず だ 」 このような考え方を抱いているゥユデ











少 将 で あ り 、 マ— ル











少将はゥ ル











マイヤ



た 上 司 の の ん び り し た 姿 勢 に は 、怒 り と 落 胆 と を 混 ぜ あ わ せ た シ ョ ッ ク を う け た が 、 ひ と り だ け 、



統 合 参 謀 本 部 戦 争 計 画 部 長 ジ ョ — ジ .マ ー



銳敏な反応を示した将軍がいた。



マイヤー大尉の物語に耳を傾けつづけた。



丨大尉 の 報 告 書 を 読 む と 、 さ っ そ く 大 尉 を 呼 ん で さ ら に 詳 し い 話 を さ せ 、昼食中も午後もゥニア



ゥ ユ デ マ イ ヤ ー 大 尉 は 一 九 四 0 年 に 少 佐 に 進 級 し て 、歩 兵 総 監 部 勤 務 と な っ た が 、 同 年 秋 に は 、



八 .0.ウ ェ デ マ イ ヤ ー 157



い ら い 、 「マ ー シ ャ ル の ポケット.



ナ イ フ 」 (ふ と こ ろ 刀 ) と い わ れ る ウ 1デ マ イ ヤ ー参 謀 の 活



参謀総長となったマーシャル将軍に招かれて戦争指導計画部幕僚となった。



デマイヤー參謀の最初の重要な仕 I



事 は 、 一九四一年七月九日、 ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 の命令にもとづくものであった。



躍 が 、米 陸 軍 作 戦 計 画 に 濃 い 色 彩 を 与 え る こ と に な る が 、 ゥ



こ の 日 、 ル ー ズ べ ル ト 大 統 領 は 「米 国 の 潜 在 敵 国 に 勝 つ た め に 必 要 な 軍 需 生 産 量 の 見 積 り 」 を



す る よ う 、 へ ン リ | , ス チ ム ソ ン 陸 軍 長 官 と フ ラ ン ク ,ノ ッ ク ス 海 軍 長 官 に 命 じ た 。



スチムソン長官はマーシャル参謀総長に伝え、 マーシャル参謀総長は戦争指導計画部長ジロゥ



にはどうすればょいか。制空権を確保し、 かつ敵の攻撃を警戒するにはどのょうな種類の飛行機、



将 来 の 戦 場 に 兵 力 を 輸 送 す る た め の 船 舶 は ど の く ら い 必 要 か 。相 手 国 の 経 済 封 鎖 を お こ な う た め



ど れ だ け の 兵 力 を 必 要 と す る の か 。 そ の 兵 力 を 確 保 す る た め の 徴 兵 、訓 練 、装 備 を ど う す る か 。



つ ま り 〃 勝 利 計 画 "を 作 成 す る に は 、 た と え ば 米 軍 は い つ ど こ で 戦 争 す る の か 。 そのためには



のは、最 も 根 本 的 な 命 題 で あ る 米 国 の 戦 争 目 的 が 明 確 で な か っ た こ と に あ る 」



「感 激 し た の は 、 ま さ に 私 が 考 え て い た 戦 略 の 実 行 を 担 当 す る 仕 事 だ っ た か ら で あ り 、 当 惑 し た



ゥ ユ デ マ イ ヤ ー 少 佐 は 、感 奮 す る と 同 時 に や や 当 惑 も し た 。



り 、 "勝 利 計 画 " と も い え る 基 本 ブ ラ ン で あ る 。



「勝 利 の た め に 必 要 な 軍 需 の 見 積 り 」 と は 、 要 す る に 、 将 来 に 期 待 さ れ る 戦 争 動 員 編 成 計 画 で あ



准 将 に 指 示 し 、 ジ ロ ゥ 准 将 は ゥ 土 ア マ イ ヤ ー 少 佐 に 、作 案 を 命 じ た 。







^ ;



158



艦 艇 を ど の く ら い 必 要 と す る か ——



その他、 うん ざ り



す る ほ ど の 細 か い 問 題 を 検 討 し 、資 料 を 集



少 佐 は ま ず 、 參 謀 本 部 第 二 部 (情 報 ) に 出 か け 、 将 来 の 敵 、 す な わ ち ド イ ッ 、



日本を主力とする枢軸軍の兵力の見積りをたずねた。



マイヤー



めて計算しなければならない。 ゥェデ イタリ ア 、



一 般 に 攻 撃 軍 は 守 備 軍 に た い し て 二 倍 〜 四 倍 の 兵 力 で 勝 利 を お さ め ら れ る 、 と い う の が 、当時



「た ぶ ん 、 一 九 四 三 年 に は 、 敵 は 四 百 個 師 団 を 保 有 す る だ ろ う 」 と い う 返 事 で あ っ た 。



の兵術常識である。 かりに二倍とすれば、 八百個師団が必要となる。



「ま あ 、 い い と こ ろ 、 百 個 師 団 じ や な い だ ろ う か 」



「英 国 と 英 連 邦 諸 国 が 調 達 で き る 兵 力 は ど の く ら い で し ょ う ね 」



回 答 を 聞 い て 、 ゥ ュ デ マ イ ヤ ー 少 佐 は 肩 を す く め た 。米 軍 で は 、 一個師団の兵力は約三万人と みる。実 際 の 戦 闘 要 員 を 一 万 五 千 人 と す れ ば 、 ほ ぼ 同 数 の 補 給 要 員 が 必 要 に な る か ら で あ る 。枢 軸 軍 に 対 抗 す る 連 合 軍 の 主 力 は 英 米 軍 で あ り 、う ち 英 軍 が 百 個 師 団 を 負 担 す る な ら 、米軍の割り



米国の当時の人口は一億三千五百万人である。そして、人口の十パーセント以上を軍隊に投入



当 て は 七 百 個 師 団 、約 ニ 千 百 万 人 と な る 。



ゥ ェ デ マ イ ヤ ー 少 佐 は 、 と に か く 人 口 の 十 パ ー セ ン ト 、約 千 三 百 五 十 万 人 ま で に 動 員 を お さ え 、



す れ ば 国 内 に お け る 生 産 、経 済 活 動 は 破 た ん す る と い う の が 、 こ れ ま た 一 般 常 識 で あ る 。



不足分はすぐれた兵器体系でおぎなうことにし. た。



八 .0.ウ ェ デ マ イ ヤ ー 159



具 体 的 に は 陸 軍 は 航 空 部 隊 を ふ く め て 八 百 七 十 九 万 五 千 六 百 五 十 八 人 を 動 員 し 、 約 千 隻 、 約七



また、 ドイツ



軍 に な ら い 、 五 百 万 人 、約 二 百 個 師 団 の う ち 、 五 十 一 個 師 団 を 機 械 化 師 団 、 十 個



百万. トンの輸送船団でヨーロッパに五百万人を送りこむ、という計画を作成した。



師 団 を 空 挺 部 隊 、 十 個 師 団 を 山 岳 部 隊 と し 、 と く に 飛 行 機 、戦 車 、車 両 、各 種 兵 器 の 大 量 生 産 を 提案した。



実 際 に は 、 一九四五年五月三十一日に最大となった米陸軍動員数は、 八百二十九万千三百三十



六 人 で 、 ほ ぼ ゥ ,デ マ イ ヤ ー 計 画 と 同 じ 結 果 と な っ た が 、 ゥ こ デ マ イ ヤ ー 少 佐 が 計 画 を 立 案 し た



作 戦 担 当 の 第 三 部 長 は 、 「と て も 米 国 に は こ の 計 画 を 実 現 す る 国 力 は な い 」 と 眼 を む き 、 補 給



当 時 は 、参 謀 本 部 の 関 係 部 長 た ち は 、 い っせいに仰天するだけだった。



「ゥ 土 ア マ イ ヤ ー 少 佐 、 貴 官 は こ の 大 動 員 計 画 の 実 現 に 必 要 な 期 間 を ニ 年 間 と 算 定 し て い る が 、



担 当 の 第 四 部 長 は 、 し ん み り と し た 口 調 で 、 いった。



と ん で も な い 。 本 官 の 信 念 と し て は 、 百 年後、紀 元 ニ 千 五 十 年 ま で か か る と し か 思 え な い 」



ゥユデマイヤー



計画は実行に移されて



いく。



む ろ ん 、当 時 は 日 米 開 戦 の 前 で あ り 、太 平 洋 戦 争 が 開 幕 し て か ら は 、 す べ ての事情と雰囲気は 一変し、 急 ピ ッ チ で 、



いいかえれば米国はどんな戦争を



や る



つもりなのか、



という



疑問であった。



だ が 、 そ の 過 程 の 中 で も 、 ゥ ユ デ マ イ ヤ ー参 謀 の 頭 に こ び り つ い て は な れ な い の は 、 戦 争 目 的 の把握。1



160



ゥェ デ マ イ ヤ ー 参 謀 は 、第 二 次 大 戦 の 開 始 は 第 一 次 大 戦 の 失 敗 に も と づ く 、 と考えた。第一次 一^破 壊 一^分 裂 と い う 型 の 戦 い が お こ な わ れ 、 し か も 平 和 条 約 の 締 結 で は 、恨 み と 再 び 専 制 政 治 の 台 頭 を 許 す 条 約 を む す ん だ 。 第 二 次 大 戦 で は 、 二 度 と こ の 過 ち を 繰 り



大戦では、たんに殺傷



ゥ , ,デ マ イ ヤ ー 参 謀 は 、 考 え た 。



返 さ ぬ よ う な 政 治 、経 済 、領 土 、社 会 の 諸 条 件 を 確 立 す る 決 意 を か た め 、 そ の 目 標 を 成 就 す る 戦 争計画が必要であろう。 では、 そ の た め に は ど う す れ ば よ い か —



を 打 倒 し て も 、そ れ と 同 じ よ う に 危 険 な 別 の イ デ ォ ロ ギ ー の 誕



一つのイデォロギーを打倒するだけのために戦う



「米 国 が 世 界 平 和 に は た す べ き 役 割 は 、 勢 力 均 衡 の カ ナ メ に な る こ と で あ る 。 ョ ー 口 ッ パ 大 陸 の



I



し くとびこむべきではなく、また、



べきでもない。 あるイデォロギ



紛争に軽々



生 を う な が す だ け で あ る 。 心 し ろ 、 独 ソ が 共 倒 れ に な る の を 待 ち 、そ の あ と に 英 国 と 米 国 が ョ ー



あたかも



フ ッ ト ボ ー ル の 選 手 の よ う に 、 た だ 試 合 に 勝 っ て 家 に 帰 る こ と だ け を 考 え る … … そん



ロッパの勢力の均衡を確立する、 という歴史的役割をはたすのが最善である」



そこで、 ゥ



I



デ マ イ ヤ ー 參 謀 は 、 一 九 四 一 年 十二月に中佐、 一九四ニ年六月に大佐、 同七月に



な戦争はまずい、 というのである。



准 将 と 、 太 平 洋 戦 争 開 幕 後 は め ざ ま し く 進 級 を か さ ね て 、 "ブ ラ ン .メ — 力ー “ と し て の 仕 事 に



と く に 英 国 と の 協 調 で は 、英 国 の た め に 利 用 さ れ す ぎ な い よ う 、 マ ー シ ャ ル 参 謀 総 長 に 進 言 を



成 果 を あ げ な が ら 、 こ と あ る ご と に 、直 言 を つ づ け た 。



ウュデマイヤー 八 .0



一 九 四 三 年 一 月 、 ル 丨 ズ ベ ル ト 大 統 領 は ホ ワ イ ト ハ ウ ス で 、 統 合 参 謀 本 部 幹 部 を 集 め 、対 枢 軸



繰 り 返 し 、英 軍 参 謀 た ち か ら 非 協 力 の 批 判 を う け た 。



無 条 件 降 伏 方 針 を き め た 。 ウ ユ デ マ イヤー参謀は、即 刻 か つ 強 硬 に 反 対の意向をマーシャル参謀



「閣 下 、 無 条 件 降 伏 は 、 ド イ ツ 国 内 に い る 反 ヒ ト ラ —派 の ド イ ツ 人 さ え も 、 徹 底 抗 戦 に 結 束 さ せ



総 長 に 、具 申 し た 。



マーシャル参謀総長は、 ウ I



デ マ イ ヤ ー 参 謀 の 意 見 に う な ず い た が 、その後カサブランカの連



てしまうでしょう。 まったくの無意味な政策です。なんとしても撤回すべきです」



合 国 首 脳 会 談 で 、 無 条 件 降 伏 方 針 が 決 定 さ れ 、 さ ら に ウ ユ デ マ イ ヤ ー 参 謀 は 、 インドに新設され



明 ら か に 英 国 側 の "策 謀 " だ 、 と ウ 二 ア マ イ ヤ ー 参 謀 は 感 じ た が 、 む し ろ 、 自 分 の 大 戦 略 実 現



る東南アジア連合軍総司令部の參謀副長に左遷された。



の た め に は 好 都 合 か も し れ な い 、 と の 覚 悟 を き め て 、 ニユーデリ— にむか っ た 。



ウ , 土 ア マ イ ヤ ー 少 将 は 、 一 九 四 三 年 (昭 和 十 八 年 ) 十 月 、 ワ シ ン ト ン を 出 発 し た 。 准 将 か ら 少 将 に 進 級 し 、東 南 ア ジ ア 連 合 軍 参 謀 副 長 と い う 肩 書 き を 身 に つ け 、 中 国 、 ビ ル マ を



と こ ろ が ——



ニユー デ リ — に 着 任 す る と 、 少 将 の 希 望 も 期 待 心 も 、 急 激 に し ぼ ん で し ま っ た 。



舞 台 と す る 対 日 戦 勝 利 の た め の "大 戦 略 , を 実 施 し ょ う と い う 希 望 に 、 胸 を と き め か せ て も い た 。



「私 は



ワ シ ン ト ン で勤 務 し て い る と き 、



いつもヨーロッパ戦線に転出する日を



夢 み て い た 。 ドイ



戦 ぅ ハ メ に な る と は 考 え ら れ ず 、極 東 地 域 で は 、 私 が 修 得 し た 近 代



ツ陸 軍 戦 略 を 勉 強 し た の で 、 ド イ ツ と の 戦 い に 活 用 さ れ る の が 自 然 で あ る 。 ょ も や 、 ガ ソ リ ン の



的戦術を応用する余地はほとんどないはずだからである」



補給もままならぬ極東地域で



む ろ ん 、 こ の 感 想 は イ ン ド に 赴 任 す る 前 か ら の も の で あ る が 、少 将 と し て は 、 中 国 、 ビルマ方



イ ン ド の英 軍 だ が 、なにはともあれ、



っていた。



面 の 広 大 な 戦 線 を 利 用 し て 、少 な く と も 日 本 軍 を 中 国 大 陸 東 岸 に お し つ け る 機 動 戦 が 実 行 で き る



介 石 .中 国 軍 と



だ が 、 実 際 に 現 場 に き て み る と 、事 情 は あ ま り に も ち が



も のと、考 え て い た 。



中 国 、ビルマに存在する対日戦力は、 .蔣



必 要 な の は 蔣 介 石 軍 に た い す る 支 援 で あ っ た 。 そ の た め に は 、 ビ ル マ か ら 中 国 大 陸 内 の 基 地 .昆



蒋 介 石 大 元 帥 の 参 謀 長 で も あ る ー . ス チ ル ゥ ヱ ル 中 将 は 、 対 日 戦 の 勝 利 は 「強 力 な 中 国 軍 を 育 て



明 に む か っ て 輸 送 道 路 と 油 送 管 を 設 け る こ と が 、急 務 と み な さ れ た 。在 中 国 米 軍 司 令 官 で あ り 、



ゥ エ デ マ イ ヤ ー 少 将 は 、 し か し 、 そ れ は あ ま り に も ま だ る っ こ い と考えた。 ビ ル マ か ら 昆 明 ま



あ げ て 、 日 本 軍 を 東 シ ナ海 に け お と す 以 外 に 方 法 は な い 」 と 、 強 調 し た 。



舞 台 に 出 る つ も り が 、 ア ラ ス カ の キ ャ バ レ ー に出 演 さ せ ら れ た と い ぅ 思 い は



で の 土 木 工 事 は 、早 く て も ニ 年 間 は か か る と み こ ま れ た か ら で あ る 。 「ブ ロ ー ド ゥ ヱ イ の



と も か く 、 当 寺 ^す で に ド イ ツ の 敗 色 は 明 ら か で あ り 、 太 平 洋 戦 線 で の 米 軍 の 進 攻 ぶ り も め ざ ま



一 ^ ^ 、



し か っ た 。 ニ年間も、道 路 が で き る の を 待 っ て い , たのでは、そ れ ま で に 一ミ が日本に勝ってしまうにちがいない」



ッ ツ と マ ッ カ — サー



さら



リ Xン 」 作 戦 計 画



そ う 考 え た ウ エ デ マ イ ヤ ー 少 将 は 、英 軍 を 主 体 に し て ス マ ト ラ 、 シ ン ガ ボ — ル を 攻 略 し 、



に マ レ ー 半 島 を 北 上 し 、 イ ン ド シ ナ 半 島 を 横 断 し て 中 国 東 岸 に 達 す る 「カ ル ヴ



こ の 計 画 は 、 チ ャ ー チ ル 英 首 相 の 支 持 を う け た が 、 一 九 四 四 年 三 月 に は じ ま っ た 日 本 軍 の 「イ



を立案した。



ン パ ー ル 」 作 戦 に ぶ つ か っ た 。 そ し て 、 日 本 軍 の 攻 勢 を 撃 破 し た あ と 、 体 制 を 整 備 し て 「カ ル ヴ



1リ ン 」 作 戦 発 動 に と り か か ろ う と し て い る と き 、 一 九 四 四 年 十 月 下 旬 、 ウ ユ デ マ イ ヤ ー 少 将 は 、



一月には中将に進級する、 という。



在中国米軍司令官兼蒋介石軍参謀長に任命された。 スチルウユル中将との交代であり一九四五年



I



ル 中 将 だ け で な く 、多 く の 米 軍 将 校 の 報 告 で 知 っ て い た か ら で あ る 。



ウ ニ ア マ イ ヤ ー 少 将 は 、 く さ っ た 。 蔣 介 石 軍 の 非 能 率 、装 備 不 良 、 組 織 未 熟 に . つ い て は 、 スチ



ス チ ル ウ エ ル 中 将 は 、 蒋 介 石 大 元 帥 を 「苦 力 な み で 、 か ん し ゃ く 持 ち で 、 無 能 力 だ 」 と 論 評 し



ルウ



てぃた。



ベ 「い や 、.ほ と ん ど の 軍 人 、 外 交 官 も 一 致 し て 、 中 国 は ア メ リ カ 人 の 墓 場 だ 、 と い っ て い た 。 アメ み リ カ 人 と 中 国 人 と は 、水 と 油 の ょ う な も の で 、絶 対 に 協 力 は で き な い 。 お ま け に 、 中国人は訪れ



る ア メ リ カ 人 を 悩 ま し 、 ア メ リ カ 政 府 と の 関 係 を こ じ ら せ て 、 そ の 身 を 滅 ぼ さ せ る 、 と聞いてい



1 6 3



そこで、



ゥ ヱ デ マ ィ ヤ ー少 将 は 一 九 四 四 年 十 月 三 十 一 日 、 少 な か ら ず 憂 鬱 な 心 理 で 重 慶 に 到 着



し た が 、 翌 日 、蔣 介 石 大 元 帥 に 会 い 、 さ ら に 数 日 間 を す ご す と 、 心 境 は 一 変 し た 。 蔣 介 石 大 元 帥 は 、 た し か に 頑 固 だ っ た 。 か ん し ゃ く 持 ち で も あ っ た 。 そ し て 、近 代 戦 に た い す



ィヤー少将は、理解した。



る 戦 術 眼 も 三 流 と し か 、 思 え な か っ た 。 し か し 、 そ の 頑 固 さ は 、 称 賛 さ れ る べ き だ 、 とゥヱデマ



「考 え る が ょ い 。 フ ラ ン ス は ド ィ ツ の 攻 撃 開 始 後 、 わ ず か 六 週 間 で 降 伏 し て し ま っ た 。 だ が 、 中 国 は 一 九 三 七 年 (昭 和 十 二 年 ) に 日 本 の 攻 撃 を ぅ け て か ら 、 七 年 後 の 一 九 四 四 年 に も な お 日 本 軍



し か も 、蒋 介 石 大 元 帥 は 、 た ん に 日 本 軍 と だ け 戦 っ て い る の で は な い 。 中 国 共 産 党 と 戦 い 、 地



に抵抗しつ づ け て い る の で あ る 。 これは、蔣 介 石 大 元 帥 の 偉 大 な る 頑 固 さ の お か げ で は な い か 」



とも、戦っていた の で あ る 。



方 の 半 独 立 の 旧 軍 閥 と も 戦 い 、 さ ら に 蔣 大 元 帥 に ょ れ ば 「英 国 に 代 表 さ れ る "西 欧 帝 国 主 義 者 "」



「蔣 大 元 帥 は 、 中 国 の 統 一 と 独 立 と い ぅ 目 標 に 、 執 糊 に し が み つ い て い た 。 か り に 対 日 戦 に 勝 利 をおさめても、 もし中国が派閥や地域に分割され、 西欧と共産主義者の思いのままにされるので こ の 蒋 介 石 大 元 帥 の 思 想 は 、 やが て 皮 肉 な 結 果 を も た ら し た と い え る 。頑 固 に 中 国の政治的統



は無意味だ、 と考えていた」



八 .0.ウ ェ デ マ イ ヤ ー 165



一 を 主 張 し つ づ け た お か げ で 、 中 国 共 産 党 に と っ て は 、 〃敵" は 蔣 政 権 一 本 に し ぼ ら れ 、 一 挙 に



I



デ マ イ ヤ ー 少 将 は 、そ ぅ い っ た 後 日 の 発 展 に つ い て は 、当 時 は そ れ ほ ど明確な見通しを持



中国を手中におさめることができたからである。 ゥ



「祖 国 の た め に 戦 い つ づ け る 意 思 を 持 つ こ と 。 こ れ こ そ 、 立 派 な 指 導 者 の 資 格 で あ る 。 一方、 中



た な か っ た が 、 ま ず は 軍 人 と し て 、蒋 介 石 大 元 帥 の 軍 事 的 頑 固 ぶ り に 感 銘 を ぅ け た 。



国 共 産 党 は 、 日 中 戦 争 の 主 要 な 会 戦 に は ま っ た く 参 加 し て い な い 。 一 九 三 七 年 の 上 海 戦 、 一九三



八 年 の 徐 州 戦 、 武 漢 三 鎮 攻 防 戦 に も 、 そ の 後 の 長 沙 軚 に も 、 ビル' マ戦線にもあらわれていない。



ゥ ェ デ マ イ ヤ —少 将 は 、 蔣 大 元 帥 を た す け る こ と に し た 。 少 将 の 信 条 は 、 共 産 主 義 に た い す る



日 中 戦 争 で の 真 の 抵 抗 者 が 、蔣 大 元 帥 と 国 民 政 府 軍 で あ る こ と は 明 白 だ っ た 」



反 感 と 勢 力 均 衡 に よ る 紛 争 解 決 に あ る 。蔣 大 元 帥 を 支 持 し 、 そ の 軍 隊 を 強 化 す る こ と は 、中国共



産党の勢力拡大をおさえ、 やがてソ連、 日本と対峙する安定勢力としての中国の出現を期待させ



ゥ 土 ァ マ イ ヤ ー 少 将 は 、 在 中 国 米 軍 司 令 官 と し て よ り も 、蔣 介 石 軍 参 謀 長 と し て の 役 目 を 自 覚



る 。 ま さ に 、 ゥ 土 ァ マ イ ヤ ー 少 将 が 胸 に い だ く ,大 戦 略 " の 実 現 に 通 ず る は ず で あ る 。



し て 、次 々 に 蔣 軍 育 成 策 を 実 施 し て い っ た 。



ま ず 、少 将 は ワ シ ン ト ン と 連 絡 し て 、自 分 の 幕 僚 陣 を 整 備 し た 。 最も有能な幕 僚 を 要 求 し た の



「作 戦 計 画 を 作 成 す る た め に 必 要 な の は 、 優 秀 な 幕 僚 だ が 、 優 秀 な 幕 僚 と は 、 決 断 を 下 す 能 力 、



である。



166



臨機応変の才能、 つねに自分の案以外の代案をうけいれる度量の三つの資質をそなえた者でなけ



それが相手に伝わらなければ無意味だし、ましてわれわれの計画に欠点を発見したときに、



ればなら な い 。 私 は 、 ど の 部 下 に も 、 い つ で も 自 由 に発言するよう指示した。頭の中で考えてい 、も







す る の が 、 幕 僚 の つ と め で あ ろ う 。 そ れ に は 、以 上 の 三 つ の 素 質 を 持 つ 者 で な け れ ば 、自由な発



それを黙っているのは罪悪である。 われわれの欠点を敵に指摘される前に、 われわれ自身が修正



想と発言はできない」



そ れ ま で 、蔣 介 石 軍 の 幕 僚 と 米 軍 の 幕 僚 と は 、 め っ た に 同 じ 部 屋 で 執 務 す る こ と は な か っ た 。



次 に 、 ゥ ヱ デ マ イ ヤ ー少 将 は 、 中 国 軍 の "社 会 改 革 " を お こ な っ た 。



米軍将校の間には、中国人にたいする不信感が根強く、また、中 国 軍 将 校 は 日 本 軍 と の 戦 い で







少 将 は 、 毎 週 一 回 、 両 軍 の 幕 僚 会 議 を 司 令 部 で 開 い た 。 国 防 部 長 .陳 誠 将 軍 以



"連 戦 連 敗 " の た め 、 「米 軍 の 前 に 姿 を あ ら わ す の を 恥 じ て い る の だ 」 と い う 見 解 が 、 一般的だっ



Iデ マ イ ヤ







た。



じ め は 、 米 軍 側 の 発 言 に た い し て 中 国 側 は 無 表 情 に 耳 を 傾 け る だ け で あ っ た が 、 や が て 「作 戦 の



下 の 編 成 、 作 戦 、補 給 、 通 信 、 兵 器 そ の 他 各 部 の 責 任 者 と 、 米 軍 側 の 各 担 当 者 と 会 合 さ れ た 。 は



えが理解され、中国側からも、活発に反対意見がだされるようになった。



欠点が戦場で発見されるよりは、 この会議で発見されるべきだ」 というゥヱデマイヤー少将の考



入 ,〇 ,ウェデマイヤ 一 167



ゥ こ ア マ イ ヤ —少 将 の 次 の ガ 社 会 改 革 X



は、 中 国 軍 の 食 糧 確 保 で あ っ た 。 少 将 は 、 蔣 大 元 帥 に 、



少 将 は 、 重 慶 に お け る 中 国 軍 内 部 の "貧 富 の 差 ガ に 、 眼 を み は っ て い た 。 少 将 は 、 し ば し ば 中



「戦 闘 中 は 、 幹 部 の 宴 会 料 理 の サ ラ 数 は 四 サ ラ に 制 限 さ れ た ぃ 」 と 提 案 し た 。



も の だった。 ところが、 下 級 兵 士 は 給 与 が 悪 く 、 しばし ば 一 般 市 民 の 家 庭 に 徴 発 に 出 か け て 、悪



国 軍 幹 部 か ら 食 事 に 招 待 さ れ た が 、例 外 な し に 将 軍 た ち が 提 供 す る 食 事 は 、十サラ 以 上 の 豪 華 な



「理 由 は 明 ら か で 、 イ ン フ レ の た め 、将 軍 た ち は 支 給 さ れ る 部 隊 の 食 費 を ビ ン ハ ネ し て 、 自 分 の



評をまねいていた。



家 族 を 養 っ て い た か ら だ 。 だが 、 ハラが減った軍隊は、戦 闘 は で き な い 」



ゥ ェ デ マ イ ヤ ー 少 将 は 、蔣 大 元 帥 が 宴 会 の サ ラ 数 制 限 に 同 意 す る と 、 さ ら に 部 隊 に 食 費 を 与 え



る ょりも、 中 央 補 給 廠 に 十 分 な 予 算 を 提 供 し て 、各 部 隊 に 食 糧 を 配 給 さ せ る 方 法 を 採 用 さ せ た 。



「結 果 は 、 極 め て 満 足 す べ き も の だ っ た 。 兵 士 は 食 糧 あ さ り を せ ず に す む の で 、 そ の 時 間 と 労 力



と り ょ せ 、中国兵士の栄養を一段と向上 さ せ た 」



を訓練にまわせることになり、 一般市民も絶えまない徴発から解放されることになった。私は、



ゥ ュデ マ イ ヤ ー 少 将 は 、 ま た 、中 国 軍 の 衛 生 活 動 を 改 善 し た 。 そ れ ま で 、中国軍部隊の多くで



アメリカからビタミン剤を



は 、傷 病 兵 は ほ ぼ 戦 場 に 遺 棄 さ れ た が 、 ウ ェ デ マ イ ヤ ー 少 将 は 、 救 急 車 、担 架 な ど の 代 用 品 を つ



く ら せ 、 と に か く 傷 病 兵 を 後 方 に は こ ん で 手 当 す る こ と に し た 。 中 国 兵 士 は 、自分たちは見すて られない、とわかつて、その士気は高まった。



168



ド イ ツ軍



の指導をうけていた。



フォー



学 校 も 、つ く っ た 。 歩 兵 学 校 、 砲 兵 学 校 、 自 動 車 学 校 、 戦 車 学 校 … … な ど 。 ゥ エデ マ イ ヤ ー 少 将 か ら み れ ば 、 中 国 軍 に と っ て 最 も 不 足 し て い る の は 、将 校 団 で あ っ た か ら



蒋 介 石 大 元 帥 の 中 国 軍 は 、支 那 事 変 の は じ め ま で は 、



である。



ン .ゼ ー ク ト 将 軍 、 さ ら に フ ォ ン . フ ァ ル ケ ン ハ ウ ゼ ン 将 軍 な ど 、 優 秀 な 将 校 が 派 遣 さ れ て 、着



着と成果をあげていた。



ニ年 間 お く れ て い た ら 、 そ れ ま で に 中 国 に は 、 ド イ ツ 装 備 の 六 十 個







た と え ば 、 一 九 三 七 年 の 上 海 、南 京 で 日 本 軍 に 頑 強 に 抵 抗 で き た の は 、 ド イ ツ 製 の 装 備 を も ち 、



「も し 、 支 那 事 変 の 開 幕 が



ドイツ式の訓練をうけた中国軍部隊であった。



団 が 勢 ぞ ろ い し 、空 に は メ ッ サ ー シ ユ ミ ッ ト 戦 闘 機 、 ス ツ ー ヵ 急 降 下 爆 撃 機 が 乱 舞 し 、海 に は ボ ー ト潜 水 艦 が 群 を な し て い た か も し れ な い 。 そ し て 、そ の 結 果 は 、 中 国 は ド イ ツ と同 盟 を 結 び 、



支 那 事 変 の 開 始 が お く れ た と し て も 、 は た し て 、 こ の ゥ ヱ デ マ イ ヤ —将 軍 の 予 測 が 実 現 し た か



膨 大 な 戦 力 を ソ 連 に む け て 、歴 史 は 大 き く 変 わ っ て い た か も し れ な い 」



は 、 「お ど ろ く べ き ほ ど に 将 校 不 足 、 参 謀 不 足 に 悩 ん で い た 」 の で あ り 、 少 将 は 、 米 軍 将 校 を 教



どうかは疑問であろう。 が、 いずれにせょ、 ゥヱデマイヤー少将が一九四四年に遭遇した中国軍 官とする各種学校を建設した。



11



八 ,0 ,ウュデマイヤー 169



また、 ゥ



デ マ イ ヤ ー 少 将 は 「右 側 通 行 」 制 度 の 実 施 を 、 蔣 大 元 帥 に 進 言 し た 。



I



「中 国 で も っ と も 苦 慮 し た 事 態 の ひ と つ は 、 交 通 事 故 の 頻 発 で あ っ た 、 な に し ろ 、 数 千 年 の 伝 統



を 持 つ 中 国 の 交 通 機 関 で あ る ゥ マ 、馬 車 、 人 力 車 、 ラ ク ダ そ の 他 は 、 す べ て 左 側 通 行 な の で 、 米



な ん と か 「右 側 通 行 」 に で き な い も の か 、 作 戦 行 動 に さ し つ か え る 、 と い う ゥ ェ デ マ イ ヤ ー 少



国 製 の 右 ハ ン ド ル の ジ ー ブ 、 ト ラ ッ ク 、 乗 用 車 は 、限 り の な い ト ラ ブ ル の 発 生 に な や ま さ れ た 」



「な に ご と も 、 左 よ り は 右 が よ ろ し い 。 さ っ そ く 、 新 し い 交 通 規 則 を 布 告 し よ う 」



将 の 提 言 に 、蔣 大 元 帥 は 、即 座 に う な ず い た 。



だが、運転者と歩行者に教育がゆきわたるまでは、あまり急な変革は事故を多発させるだけで



あ る 。 進 級 し て い た ゥ ユ デ マ イ ヤ ー 中 将 は 、 一 九 四 五 年 九 月 一 日 に 「右 側 通 行 」 を 実 施 す れ ば 十



そ の こ ろ は 、 す で に 一 九 四 五 年 の 春 を す ぎ 、 ド イ ツ の 降 伏 は 時 間 の 問 題 と な っ て い た 。 ゥ工デ



分 だ 、 と答えた。



















ー と



ロ 、



















戦 、 車 部 隊 ^#;官



























高名な て



歴 に 戦の































. パ こ



ッ と



ト に



中 ン将 も く



























そ 。



ァ将軍を南



中、将 は 、 パ































将 ト 軍を中支那、 マ



ジ と



作戦をたてた。











デ マ イ ヤ ー 中 将 は 、大 規 模 な 中 国 戦 線 の 反 攻 計 画 を ね っ て い た 。



I パ







デ マ イ ヤ ー 中 将 は 、大 将 に 畀 進 し て 指 揮 を I



将軍を北支那に進攻











マイヤー中将の司令部には、 マーシャル參謀総長からョーロッパ米軍の転用の可能性が伝えられ







ていた。 ゥ















支 那 に ふ り あ て 、 一気に中国大陸の日本軍を制圧す



170



I



と、 見 積 も っ た の で あ る 。



そ の 作 戦 開 始 を 、 マ ッ カ ー サ ー 軍 の 日 本 九 州 上 陸 日 で あ る 十 一 月 一 日 に あ て は め 、 それまでに 食糧から交通規制まで、すべての中国軍の準備を完成させる











る あ



















失望したが、







覚悟した。



機会を失った















ひ と つ 、 "戦 略 参 謀 " と し て の 任 務 に は 、 な お 努



だ が 、 日 本 は そ の 前 に 、降 伏 し た 。 ゥ ニ ア マ イ ヤ ー 中 将 は 、 ついに野 戦 軍 指 揮 官 と し て の 手 腕 を



共 産 主 義 勢 力 の 阻 土 ^ ^ であり、 じ つは、 ゥェデマイヤー中将は、終 戦 前 か ら 、 そ の た め の



余地が







かさねていた。







中 国 共 産 党 に つ い て は 、 戦 時 中 は 、 し き り に た ん な る 農 民 運 動 団 体 で あ る と か 、 ソ連共産党と



ガ 闘 い ,



は 無 関 係 だ と い う 見 方 が 、米 国 内 に 強 か っ た 。 .そ の た め 、 蔣 介 石 軍 と 中 共 軍 と の 合 体 工 作 が 、 米 国側によって促進ざれたほどである。 ゥ ュ デ マ イ ヤ ー 中 将 は 、 し か し 、 終 始 一 貫 し て 、 中 国 共 産 党 が 「私 的 な 軍 隊 を 持 ち 、 ク レ ム リ ンの後援のもとで、中 国 全 域 を 完 全 に 支 配 す る 目 的 で 行 動 し て い る 陰 謀 家 た ち 」 だ と み な し 、そ の勢力の拡大に役立つ処置には、まっこうから反対しつづけた。 終 戦 に 近 づ く と 、 ゥ ラ ジ ォ ス ト ッ 7、 モ ス 7 ヮ、 延 安 の ラ ジ ォ は 、 急 ビ ッ チ で 対 米 、 対 蔣 反 感



の帝国主義者だ、 というのである。



を 高 唱 し は じ め た 。 米 国 は ア ジ ア を 搾 取 し 征 服 し よ う と し て い る 、蔣 介 石 と 国 民 政 府 は そ の 手 先



1 7 1 八 .ウ ュ デ マ イ ヤ ー



ゥ ユ デ マ イ ヤ ー 中 将 は 、 終 戦 に な る と 、 「中 国 共 産 主 義 者 の 機 先 を 制 し て 、 国 民 政 府 軍 に 日 本



府 軍 を 満 州 か ら イ ン ド シ ナ 半 島 ま で の 日 本 軍 占 領 地 域 に 、急 送 し た 。



軍 の 降 伏 を 受 理 す る 立 場 を と ら せ る 」 た め 、 た だ ち に 米 軍 の 飛 行 機 と 船 舶 を 総 動 員 し て 、国 民 政



当 然 、 ゥ ヱ デ マ イ ヤ ー 中 将 も ま た 、 中 国 共 産 党 か ら "人 民 の 敵 " の レ ッ テ ル を は ら れ た が 、 さ



ゥ ユ デ マ イ ヤ ー 中 将 は 、 一 九 四 五 年 十 一 月 、米 国 お よ び 自 由 世 界 が 中 国 で そ の 権 益 を 保 持 で き



ら に 中 将 に は 、米 国 内 部 か ら も 白 眼 が む け ら れ た 。



る 政 策 は 、 た だ ひ と つ 、国 民 政 府 を 同 盟 者 と し て 強 力 か つ 明 白 な 援 助 を 与 え る こ と だ 、 という意



そ の 回 答 は 、大 統 領 特 使 と し て の マ ー シ ャ ル 参 謀 総 長 の 中 国 派 遣 と な り 、 マーシャル参謀総長



見具申をワシントンの統合参謀本部に電報した。



ゥ ヱデ マ イ ヤ ー中将は、







シャル参謀総長にかみついた。



マ ー シ ャ ル 参 謀 総 長 に 見 出 さ れ て 、 登 用 さ れ た 。 い わ ば 、 マーシャル



は、国 民 党 と 共 産 党 と の 連 立 政 権 樹 立 に よ っ て 中 国 を 安 定 さ せ る 、 と い う 訓 令 を 持 っ て き た 。







「閣 下 、 中 国 の 国 民 党 と 共 産 主 義 者 と の ^^協 は 不 可 能 で あ り ま す 。 お そ ら く 、 国 民 党 と し て は 、



総長は中将の恩人といえたが、中将は、正 面 き っ て



その勢力があると感じている間は、けっして共産党と握手しようとは考えず、共産党のほうでも、 国 民 党 の 壊 滅 は 望 ん で も 、妥 協 は 考 え て い な い は ず で す 」



そ う い っ た あ と 、 ゥ ヱ デ マ イ ヤ ー 中 将 は 、 声 を 高 め て 、指 摘 し た 。



「閣 下 、 歴 史 は 新 し い 流 れ を 示 し て お り ま す 。 共 産 主 義 者 と の ハ ネ ム ー ン は 、 明 ら か に 終 わ り を



172



告 げ ま し た 。 いや、 す で に 戦 争 中 で も 、彼 ら の 信 念 と 野 望 は 感 得 で き た は ず で す 。 閣 下 、国民党と共産 主 義 者 と は 中 国 内 に お け る 、 たんなる二つの党派ではありません。共産主



ょ う と す る、残 忍 な 集 団 で あ り ま す 」



義 者 は 、中 国 国 民 の 利 益 を 重 視 す る 自 由 主 義 的 グ ル ー ブ で は な く 、共産主義イデォロギーだけで



「ゥ ヱ デ マ イ ヤ ー 将 軍 、 私 と し て は 、 国 民 党 と 共 産 党 と の 連 立 政 権 を 樹 立 す る と い う 使 命 を 達 成



世界を支配し



で き る つもりだ。貴 下 は 私 を 援 助 し て く れ る も の と 期 待 す る 」 マ ーシ ャ ル 參 謀 総 長 は 、 冷 然 と ゥ ヱ デ マ イ ヤ ー中 将 の 進 言 を 、 は ね つ け た 。



デマイヤー中将の意見具申は退けたが、中将の大使就任には、



ゥ ヱ デ マ イ ヤ ー 中 将 は 、 マ ー シ ャ ル参 謀 総 長 の 公 平 な 態 度 に 感 謝 し た 。 が 、 そ の 後 、 ワ シ ン ト



I



ャ ル參 謀 総 長 は 、 ゥ



マ イ ヤ ー中 将 に 、 中 国 駐 在 大 使 任 命 の 打 診 が 、 ワ シ ン ト ン か ら ょ せ ら れ て い



た。 マー シ



ワ シ ン ト ン に推薦の 電 報 もうってくれた。



そのころ、 ゥ ヱ デ



賛成した。



マ— シャル參謀総長から届いた。共産側は、



ゥヱデ



ンに帰り、中 国 駐 在 の た め の 準 備 を し て い る と 、中 将 の 大 使 就 任 の ニ ユ ー ス が 共 産 側 に も れ て 、 共産側の態度を硬化させた、 という報告が、



ゥ ヱ デ マ イ ヤ ,丨中 将 の 大 使 就 任 は 取 り や め と な っ た 。



マ イ ヤ ー中 将 が あ ま り に 蔣 介 石 派 で あ り す ぎ る 、 と 批 判 し て い る 、 と い う 。



「私 は 、 歴 史 の 流 れ に 即 応 し 、 ア ジ ア の 摩 力 均 衡 を 維 持 す る た め に 努 力 す べ き だ 、 と 確 信 し て い た。 そ れ が 、大 使 と い う 政 府 に た い す る 〃 戦 略 幕 僚 " と し て の つ とめだと思ったが、大使就任が



中 止 と な っ た と き 、 あ る い は 私 自 身 が 、 じ つ は 歴 史 の 流 れ に 逆 ら お う と し た の で は な い か 、 とい



ゥ ユ デ マ ィ ヤ ー 中 将 の 反 共 精 神 は 衰 え ず 、中将はその後も国府支持政策が正しかったと叫びつ



う思いにとらわれた」



してきた国 ¢1



と き に 、大 使 に な る



づ け る が 、大 使 任 命 が 中 止 に な っ た と き は 、 さ す が に シ ョ ッ ク を 感 じ た と み え 、 通 0 . ア チ ソ ン に 、次 の ょ う に つ ぶ や い た だ け で あ っ た 。



「中 国 の 共 産 主 義 者 が ア メ リ カ 政 府 の 人 事 に 干 渉 す る の は 、 不 快 で す が … …



務次官



ために新調したセビロ代八百ドルは、 いただけますかな」



174



1



























,カ イ テ ル



一 八 九 八 年 (明 治 三 十 一 年 )



十 六 歳 の ウ ィ ル ヘ ル ム .ボ ー ド ウ ィ ン .ヨ ハ ン .グ ス タ フ .カ イ テ ル が 、 プ ロ シ ャ 軍 将 校 に な



ド イ ツ .ブ ル ン ス ウ ィ ッ ク 地



方の



ヘ ル ム シ ユ ロ ー デ に住 む カ イ テ ル家 は 、 心 か ら の プ ロ シ ャ



る た め に ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン の 陸 軍 士 官 学 校 に は い る 、 といぅと、家 族 は 落 涙 し て 反 対 し た 。 北



ウ ィ ル ヘ ル ム少 年 が 、 こ と もあろぅに ブ ロ シ ャ軍人になるといったときには、







嫌 い 、 と り わ け 軍 人 嫌 い で あ っ た 。 だ か ら 、 幼 年 時 代 か ら 鋭 敏 な 頭 脳 が 認 め ら れ 、 一家の誇りと 期待されていた



さ っ さ と陸 軍 士 官 学 校 に は い り 、卒 業 し て サ ク



家 は 意 外 さ に 仰 天 す る と と も に 、失 望 の 涙 に く れ た の で あ る 。 だ が 、 ウ ィ ル へ ル ム .カ イ テ ル の 決 意 は 固 く 、



第一次大戦で右腕に負傷したが、 カイテル中佐は第十師団先任参謀として有能さを評価され、



ソン砲兵連隊に配属され、 やがて優秀な參謀将校として認められた。



ウ ィ ル ヘ ル ム ,カイテル 175



「責 任 と 服 従 、 そ れ が 軍 人 の 使 命 だ が 、 私 に は そ れ は そ の ま ま キ リ ス ト 教 徒 と し て の 純 粋 な 生 活



カ イ テ ル中 佐 自 身 も軍 人 以 外 の 生 活 を 考 え な い 心 境 に な っ て い た 。



に も通 ず る と 思 え た 。国 家 と 家 族 に た い す る 責 任 と 神 へ の 服 従 こ そ 、 こ の 世 を 平 和 に 生 き る 方 法



ではないか」



第一次大戦後、 ドイツは再軍備へのひそかな準備をすすめ、 カイテル中佐もその編成事務を担



九 I三 四 年 に は 少 将 、 第 二 十 二 師 団 長 に 、 一 九 三 五 年 に は 陸 軍 參 謀



当 し た が 、 一 九 三 三 年 一 月 、 『ド イ ツ 国 家 社 会 主 義 労 働 党 』 (ナ チ ス 〕 が 政 権 を と り 、 党 首 ア ド ル フ .ヒ ト ラーが首相になる と 、再 軍 備 は 公然かつ急ピッチで進行した。 カ イ テ ル中佐も# 進 し て 、



ー 、その右腕であるへ



任者フォ



長 、 一 九 三 六 年 中 将 、 そ し て 一 九 三 八 年 二 月 大 将 と な り 、 国 防 軍 司 令 部 (ひ 民 双 ) 参 謀 総 長 に 就



いまや総統を名のるヒトラ



カ イ テ ル大 将 が 参 謀 総 長 に 就 任 し た の は 、 た ぶ ん に 偶 然 だ っ た と い え る 。前



ン .ブ ロ ン べ ル ク 将 軍 が 再 婚 し 、 結 婚 式 に は 、



任した。



ヒトラーを激怒させたからである。



ル 7将 軍 ) が 知 ら な か っ た は ず は な い 。 し て み れ ば 、 そ の よ ぅ な 女 性 に



こ と をかぎだし、



ル マ ン . ゲ — リ ン グ 空 軍 元 帥 も 出 席 し た 。 と こ ろ が 、 秘 密 警 察 は ブ ロ ン べ ル ク 新 夫 人 が 、 かつて



(ブ ロ ン べ



,不 道 徳 な 職 業 婦 人 “ で あ っ た 「ま さ か 当 人



ヒ ト ラ ー 総 統 は 、 そ ぅ い っ て ブ ロ ン べ ル 7将 軍 を 解 任 し た 。



祝 福 を 与 え さ せ た の は 、明 白 な 侮 辱 で あ り 、 反 逆 行 為 で あ る 」



カ イ テ ル 大 将 が 後 任 に 指 名 さ れ た 一 週 間 後 、 一 九 三 八 年 二 月 十 二 日 、 ヒ ト ラ ー総 統 は ベ ル ヒ テ



176



スガ—デ ン の 別 荘 に 、 カ イ テ ル 參 謀 総 長 を 呼 ん だ 。 立ち会え、というのである"



ッ ツ首 相 と の 会 談 は 、 , 一



ヒ トラー



シ ユ シ ニ ッ ツ .オ ー ス ト リ ア 首 相 と の 会 談 に



シ ユ シ



の時間に顔をみせて



く れ 」



いった。



ド イ ツ軍の能力をォース



ス ト リ ア を 併 合 す る た め の も の で 、 必 要 な ら 武 力 を 行 使 す る計 画 で あ る こ と は 、 カ イ



カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、緊 張 し て 必 要 ! #^を 用 意 し た 。 総統がオー



I



ヒ テ ス ガ ーデ ン に 到 着 す る と 、 ヒ ト ラ ー総 統 は 、



テ ル参謀総長も指示されていた。 お そらく、会 談 で は 、 正 確 か つ 優 勢 な ト リ ア側 に 示 す こ と に な る は ず で あ る 。



コーヒ



ところが、 カイテル参謀総長がベル



そ し て 、そ の 言 葉 ど お り 、 カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 会 談 に は 一 度 も 参 加 を 求 め ら れ ず 、 ただ食事と



「と く に 用 事 は な い 。 食 事 と



シ ョ ッ ク で あ っ た 。 私 は 、明らかに目的の



ス トリ ア 側 は 、 わ れ わ れ の 軍 備 が と と の っ て い る こ と を 、 私 の 存 在 で 推



お茶の時間に呼ばれただけであった。 「会 談 は 成 功 し た 。 ォ ー



ための手段のひとつに利用された。私は、 これがヒトラーの軍人の使用法だと理解した」



察 し た 。 し かし、私 に と っ て は 、 こ の 会 談 は ひ と つ の



カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、 の ち に 『二 ユ ー ル ン べ ル ク 裁 判 』 の さ い 、 獄 中 で 書 い た 手 記 に そ う 述 べ ている。 が、 ヒ ト ラ ー 総 統 の そのような扱いにたいして、 カイテル參謀総長は不満や不服を感じ たわけではなかった。











が権力をにぎる







こ と が で き た要因は、



カ イ テ ル 參 謀 総 長 は 、 いう。 「 ヒ



いくつも



考 え ら れ る 。 しかし、最 も 有 力 な ひ と



つ と し て 、伝 統 的 な ド イ ツ軍 人 の 忠 誠 心 を 見 逃 せ な い は ず だ 。 プ ロ シ ャ 将 校 団 の 上 官 に た い す る



参謀総長の述懐は、 正しい。 ナ チ



に む け ら れ た 」 ス



. ド



























こ、 と 軍 人 社 会 で は 、 ナチ



忠 誠 心 は 、第 一 次 大 戦 で も 破 壊 さ れ な か っ た 。大 戦 後 の 再 軍 備 の 過 程 で も 、 この忠誠心は維持さ れ 、 ヒ ト ラ ー政 権 が 誕 生 す る と 、 か つ て カ イ ザ — (皇 帝 ) に 捧 げ ら れ た 忠 誠 心 は 、 自 動 的 に フ ユ (総 統 ) ル











ラ ー イ



この















典型的な



















統 と カ







































責任と服従とを生活の信条と見定め、最 、



参 謀 総 長 が 、最 も 忠 実 な ヒ ト ラ ー の 幕 僚 長 に な っ た の は 、



ャ軍隊の伝統であるなら







ル参



謀 総 長 と を く ら べ て み る と 、 み ご と に対 照 的 で あ る 。



将校である







それが











ー総



さらに、















参謀総長は無口、 ル



















総 統 は 相 手 に 話 を さ せ る ひ ま が あ っ た ら 、 自分で



嫌 い だ し 、 狩 狼 に つ い て は 「残 酷 な ゲ ー ム だ 」 と 定 義 し て い る 。



と こ か が 、 ヒ ト ラ ー 総 統 は 、菜 食 主 義 者 、禁 酒 主 義 者 、禁 煙 主 義 者 で あ り 、 お ま け に 乗 馬 は 大



好きなスポーツマンでもある。



カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、 美 食 家 で あ り 、愛 酒 家 で あ り 、愛 煙 家 で あ り 、 乗 馬 が う ま く 、 狩 狼 が 大







自然であったといえよう。







る。



ズムに反対する将校でも、 上官にたいする服従に疑問を持つ者は、最後まで少なかったからであ



I



ウ ィ ル ヘ ル ム ,カイテル 177



178



一般的な観測では、こ の よ う に 趣 味 、 思 想 、性 格 の す べ て が 相 反 す る 組 み あ わ せ は 有 効 な 成 果



話したいというおしやべり屋である。



こ と は 、 双 方 が 完 全 に 個 人 生 活 を 確 保 で き る こ と だ。 こ れ は 仕事は



を生まないはずだが、 カイテル参謀総長は、 かえって良かった、 と回想する。 「な に も か も ち が う 、 と い う



き る からだ」



仕 事 だ け で い い わ け で 、 仕 事 以 外 の つ き あ い で わ ず ら わ さ れ な い だ け に 、仕 事 に 、 よ り 純 粋 に 没 頭で



ト ラ —総 統 が 国 防 軍 総 司 令 官 な の で 、 そ の 直 属 機 関 で あ り 、 參 謀 総 長 も ま た ヒトラ



し か し 、実 際 に は 、 カ イ テ ル 参 謀 総 長 に は 、 個 人 生 活 は な か っ た よ う な も の で あ る 。 国 防 軍 総



丨総統に直属する。 ヒトラー総統が旅行するとき、山荘で週末休暇を楽しむとき、あるいは深夜



司令部は、 ヒ



し か も 、 ヒ ト ラ ー 総 統 は 、 散 歩 以 外 は お よ そ 無 趣 味 で あ り 、 ひ た す ら 軍 事 .政 治 の 指 導 に 専 念



でも、総 統 の 呼 び 出 し に は 応 じ な け れ ば な ら ぬ 。



力イテル参謀総長に、 不 満 は な か っ た 。



いや、







した。おかげで、 カイテル參謀総長はいかにヒトラー総統とは別の趣味を持っているとはいえ、



だ が 、 そ れ で も 、服 従 を 美 徳 と 信 仰 し て い る



否 応 な く ヒ ト ラ — .ベ ー ス に ま き こ ま れ て 、 個 人 生 活 の 味 を 楽 し む 余 裕 は な く な っ て い っ た 。



シ 0 ャ軍隊のストイックな こ と だ。 ヒ ト ラ ー は 、 飛 行 機



イ テ ル 参 謀 総 長 は 、次 第 に ヒ ト ラ ー 総 統 の 没 我 的 ス パ ル タ 生 活 に 、 ブ 「ォ ー ス ト リ ア の 無 血 併 合 が 成 就 し 、 ゥ イ ー ン を 訪 問 し て の 帰 り の



生 活 と の 同 質 性 を 見 出 し 、共 感 を お ぼ え る こ と も あ っ た 。



ウ ィ ル ヘ ル ム ,カイテル 179



の 窓 か ら 、 走 り す ぎ る 大 地 を 見 下 ろ し な が ら 、 "み ん な ..あ の 森 も 川 も 、 み ん な わ が ド ィ ツ に



になった感銘とともに、 ヒ







ラ ー が 愛 国 者 であることを知って、感 動 し た 」



も ど っ て き た " と つ ぶ や き 、涙 を 眼 に た め て い た 。 私 は 、 ォ ー ス ト リ ア 併 合 と い ぅ 歴 史 の 目 撃 者



カ イ テ ル



参謀総長の忠誠さは、プロシャ型服従の伝統を軸にしつつ、 ヒ



ト ラ



ーを愛



そ の 主 張 は 、他 の 被 吿 た ち に く ら べ 、 き わ だ っ て ヒ ト ラ ー 擁 護 の 色 彩 が 濃 か っ た か ら



『ニ ュ ー ル ン ベ ル ク 裁 判 』 で 、 カ ィ テ ル 參 謀 総 長 は 、 「最 後 ま で ヒ ト ラ — に 忠 実 な 男 」 と い ぅ 評 言を得た



















軍は



























進 に 入 し て 、大 戦 の 幕 を あ げ た が 、 ヒ















総 統 は 、 つづ



ー総統にたいする" 奉 仕 " は、 幕 僚 長 と し て 最 も 従 順 な 典 型 例 を 示 し て い た 。







進入をくわだてた。











ト ラ







問題は時間である。 フランスに一時間与えれば、 . 一 時 間 だ け フ ラ ン ス の 防 備 は 強 化 さ れ る 。英 軍



ダ と も 戦 ぅ こ と に な る .. 。 ヒ ト ラ ー総 統 は 、怒 っ た 。 ベ ル ギ ー そ の 他 の 隣 国 が 邪 魔 に な る の は 、 フ ラ ン ス も 同 じ で あ る 。



冬 季 作 戦 の 準 備 は と と の わ ず 、 ま た フ ラ ン ス 攻 撃 は 隣 接 す る ル ク セ ン ブ ル ク 、 ベ ル ギ ー 、 オ ラン



カ イ テ ル 參 謀 総 長 は 、 反 対 し た 。 フ ラ ン ス が 誇 る 要 塞 線 "マ ジ ノ .ラ イ ン " の 攻 略 が 難 し く 、



いて



一九三九



総艮のヒ



国 者 と み な す 見 解 に 支 え ら れ て い た の か も し れ な い が 、 いずれにせよ、第 二 次 大 戦における参謀



あるいは、



で あ る 。 〃盲目的な忠誠" と 、 冷 笑 を こ め て 批 判 す る 検 事 も 、 いた。



~0



180



ド イ ツ の勝利は保証される。 しかし、



ルールを失えば



ド イ ツ の敗北は必至



も続々と到着している。さらに重大な一事は、 ルール工業地帯がフランスからの脅威にさらされ



「ル ー ル が あ る 限 り 、



ていることである。



カ イ テ ル 參 謀 総 長 は 、 「い っ た ん ヒ ト ラ ー の 頭 に 浮 か ん だ ア イ デ ア は 、 地 球 上 の 誰 も 消 す こ と



となるのだ」



ぃた。



ができない」 というゲーリング元帥の言葉を思いだしながら、 あわててヒトラー総統に手紙を書



「本 官 は 、 上 下 の 秩 序 を 乱 し た の で は な い か と い う 遺 憾 な 疑 惑 に か ら れ て い ま す 。 も し そ う で あ -



ヒ ト ラ ー 総 統 は 、考 え す ぎ る 必 要 は な い 、 と カ イ テ ル 参 謀 総 長 を 慰 留 し 、 フ ラ ン ス 攻 撃 は 一 九



れば本官は第一線勤務を希望します」



四〇 年 五 月 ま で 延 期 す る こ と に し た 。 そ の 予 定 ど お り 、 一九 四 〇 年 五 月 十 日 午 前 六 時 に 開 始 さ れ た フ ラ ン ス 攻 撃 は 、 六 月 二 十 二 日 、



調印式は、 コンビヱーヌの森に保存されていた第一次大戦のドイツ降伏調印がおこなわれた汽



フランス代表の降伏調印で終わった。



車 車 両 で 、実 施 さ れ た 。 カ イ テ ル 参 謀 総 長 が 、 ド イ ツ 軍 を 代 表 し た 。 「第 一 次 大 戦 の 敗 北 と 復 簪 と 、 世 に 電 撃 戦 と 讚 え ら れ た 軍 事 行 動 の 成 功 に た い す る 誇 り を 、 私 は 感じていた。軍人としての私の生涯の最良の日であった」



ウ ィ ル ヘ ル ム ,カイテル 181



カ イ テ ル 參 謀 総 長 は 、率 直 に そ の と き の 感 想 を 記 述 し て い る 。 当 然 、 そ の よ う な 感 激 の 瞬 間 を



与 え て く れ た ヒ ト ラ ー 総 統 に た い す る 「感 謝 の 念 」 と 、 「よ り 一 層 の 忠 誠 の 誓 い 」 も 、 カ イ テ ル



調 印 の 翌 日 、 ヒ ト ラ ー 総 統 は カ イ テ ル 参 謀 総 長 と 一 緒 に 、午 前 四 時 か ら 約 ニ 時 間 、 ま だ 眠 り か



参謀総長の胸にわきあがった。



フランス攻略による論功行賞で、 カイテル参謀総長は元帥に昇進した。 カイテル参謀総長の部



らさめぬパリ市内を見物した。ゲリラにたいする警戒のためである。



下 で あ る 作 戦 部 長 ア ル フ レ ー ト .ョ ー ド ル 少 将 は 大 将 に 特 進 し 、 ゲ ー リ ン グ 空 軍 元 帥 は 、 新 設 さ



む ろ ん カ イ テ ル 参 謀 総 長 は ! 0111んだ が、 も の の 一 か 月 も し な い う ち に 、憂鬱の想 い で 眉 を し か め



れた国家元帥の称号を得た。



一九四〇 年 七 月 末 、 ヒ ト ラ ー 総 統 は ソ 連 攻 撃 計 画 を 提 案 し た の で あ る 。



ることになつた。



ス タ ーリンは、 ド イ ツ を西 にむけさせ、そこで米英間と戦わせて自滅させたいと



「私 は 、 心 か ら 反 対 し た か っ た 。 ヒ ト ラ ー は 、 独 ソ 不 可 侵 条 約 は 、 互 い に 下 心 を 承 知 の 取 引 だ っ た、 と い っ た 。



思 い 、 ヒト ラ — は、ま ず そ の 西 を 固 め て ソ 連 を た た き 、東 を 安 全 に し て か ら 戦 争 終 結 を ね ら う つ



私 は 、 し かし、兵 力 不 足 で 実 行 は 不 可 能 と 判 断 し た 。 だが 、 それだけでヒトラーを承知させる



も り だ 。 こ の 互 い の ハ ラ は 互 い に わ か っ て い る 以 上 、対 ソ 作 戦 は 早 い ほ う が よ い 、 と い っ た 。



こ と は で き な い 。 そ こ で 、私 は 、輸 送 能 力 、 と く に ポ ー ラ ン ド の 鉄 道 が 不 備 な の で 、それが修理



182



拡充されるまでは作戦はできない、 とヒトラーに進言した」



I



は、 作 戦 計 画 を 考 え る



と キ, : 、 必ず 大 幅 な サ バ を 読 む 。 そ し て 、ま ず 出 来 な い と い う返



いう。



い つ ま で 待 て ば よ い の か 、 と い う ヒ ト ラ ー 総 統 の 質 問 に 、 カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、少 な く と も 十 二 月 (一九四〇 年 〕 ま で 、 と 答 え た 。



ヒ ト ラ ー総統はうな ず い た 。そ し て 、 カイテル参謀総長は、



ヒ ト ラ



「こ の ヒ ト ラ ー 説 得 工 作 は 、 失 敗 だ っ た 。







ト ラ ー の こ の や り 方 に 気 づ い て は い た が 、幕 僚 長 の 仕 事 は 指 揮 官 の 意 思 を 実 現 す る こ と に あ る 以



事 を 聞 き 、延 期 さ せ る こ と に よ っ て 、実 際 に は 自 分 が 計 画 す る 時 期 に あ わ せ て し ま う 。 私 は 、



カ イ テ ル 参 謀 総 長 が 約 束 し た 一 九 四 〇 年 十 二 月 が く る と 、 は た し て 、 ヒ ト ラ ー 総 統 は 、 一九四



上、結局は彼の手にのらざるを得なかった」



暗 号 名 『バ ル パ



ロッサ』と



称する対



攻 撃 作 戦 は 、 ユーゴスラビア制圧のためにさらに約一か



一年五月はじめに作戦が開始できるよう、同三月中旬までに準備を終了せよ、 と指示した。



カ イ テ ル 参 謀 総 長 の 三 人 の 息 子 は 、 い ず れ も 将 校 で あ っ た が 、 一九四一年八月、 スモレンスク



前途に悲観的であった。



戦 況 は 、 相 変 わ ら ず の ド イ ツ 側 の 〃 電 撃 " ぶ り で 進 ん だ が 、 カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、対 ソ 作 戦 の



月 お く れ 、 一九四一年六月二十二日に開始された。



'/



ウ ィ ル ヘ ル ム ‘カイテル 183



も し大 き な 勝 利 が 得 ら れ た ら 、戦 争 は 今 年 中 に 終 え ら



「お そ ら く 、 こ の 戦 い は 通 常 の 手 段 で は 勝 て な い だ ろ う 。 対 ソ 作 戦 は 、 軍 事 的 に は 無 意 味 だ 。 ヒ



攻 撃 で 三 男 が 戦 死 し た と き 、 カ イ テ ル 參 謀 総 長 は 長 男 力 ー ル ハ イ ン ッ に 、 いった。



トラーの政治的戦争だよ。その意味では、



会 議 を 開 い た が 、 カイテル參



だ が 、対 ソ 戦 に 大 勝 の 機 会 は な く 、逆 に ド イ ッ 軍 は ソ 連 領 内 に 進 む に つ れ て 強 化 さ れ る ソ 連 側



れ る か も し れない」



の抵抗に、当惑 し た 。 ヒ ト ラ ー総 統 は 、 毎 日 日 中 に 三 時 間 以 上 、 夜 に 一 時 間 以 上 の : ^



謀総長にとって、この会議はまったくの時間の浪費としか思えなかった。



ト ラ ー に た い す る 朗 読 の た め に し か す ぎ な い 。 おまけ



「会 議 で は 、 前 線 か ら の 報 告 電 報 が 読 ま れ 、 必 要 な 問 題 の 処 理 が 討 議 さ れ る の だ が 、 報 告 電 報 は すでにわれわれは承知している。ただ、 ヒ



に 、討 議 さ れ る 問 題 は 、 作 戦 方 针 だ け で な く 、 前 線 に 配 給 さ れ る 水 筒 の 数 ま で と り あ げ ら れ る の



一九四一年十二月八日、 日 本 は 真 珠 湾 を 攻 撃 し て 第 二 次 世 界 大 戦 に 参 加 し た が 、 まるで日本の



だから、時間と労力の無駄としかいいようがない」



あ る 〃 ロ シ ア の 冬 , で あ る 。 た ち ま ち 、 大 気 は 雪 片 に 変 わ り 、 大 地 は 凍 り つ き 、 山 も 林 も 、戦 車



攻 撃 が ョ ー ロ ッ パ の 気 象 条 件 を 変 え た よ う に 、東 部 戦 線 に 例 年 よ り 早 く 冬 が や っ て き た 。定評が



「ふ み と ど ま れ 、 一 歩 も 退 く な 」 ——



と 、 カ イ テ ル 参 謀 総 長 は ヒ ト ラ —総 統 の 指 示 を う け て 、 全



も 大 砲 も 雪 に 埋 没 し た 。 道 路 交 通 の み な ら ず 、汽 車 輪 送 も 困 難 と な っ た 。



184



「い ま で も 、 あ の 命 令 は 正 し か っ た



軍に命令した。 と



思 っ て い る 。 な ぜ な ら 、後 退 し











思 え ば 、戦 車 、 火 砲 と



など重装備は運べないので放棄することになる。重装備がなければ敵を食いとめることはできず、



だが 、後 退 を 禁 止 し て も 、前 線 に た い す る 補 給 が 不 可 能 で は 、たんなる自滅を指示するだけと



一八一二年のナポレオンの敗北と同じ結果を招くだけだからだ」



ド イ ツ 軍 は 膨 大 な 資 材 と 兵 力 を 失 っ て 戦 線 を 整 理 し 、 一九四ニ年四月、 あ ら た め て 春 季 攻 勢 を



なる。



こ こ ろ み た が 、 スター リ ン グ ラ ー ド を 攻 め あ ぐ み 、 一九四三年一月には、逆に ス タ ー リ ン グ ラ ー



カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、 「あ と は フ ラ ン ス 海 岸 で 連 合 軍 の 上 陸 を 阻 止 し 、 東 西 ニ 正 面 作 戦 を さ け



ドでドイツ第六軍が完全にソ連軍に包囲されてしまった。



る以外に戦争遂行の道はない」 と、 ヒトラー総統に進言した。



















側に不利となった。 ツ



総 統 は 、次 第 に 身 心 と も に 疲 れ は て 、 そ の 戦 争 指 導 ぶ り は 、 ヒス テ リ ッ ク 、 かつ、 ー



め が な く な っ た 。 と り わ け 、 連 合 軍 が 北 フ ラ ン ス に 上 陸 (一 九 四 四 年 六 月 六 日 ) し て か ら は 、







ヒ ト ラ ー 総 統 は 、首 を ふ っ た 。敗 北 は ど の 戦 場 で も 認 め ら れ な い 、 と 第 六 軍 に 抗 戦 を 命 じ た 。











し か し 、 第 六 軍 は 、降 伏 し 、 戦 局 は 急 速 に







明らかに自制力を失いはじめた。



ウ ィ ル ヘ ル ム ,カイテル 185



将 軍 た ち の 間 に 動 揺 が 起 こ り 、 ヒ ト ラ ー 暗 殺 計 画 (一 九 四 四 年 七 月 二 十 日 ) も 発 生 し た が 、 力



「ヒ ト ラ ー は 、 た し か に 神 経 が ま い っ て い た 。



しかし、彼 は 数 々 の 栄 光 を



ド イ ツ と ド イ ツ軍に与



イ テ ル 参 謀 総 長 は 、 ふ し ぎ な 感 動 に 支 配 さ れ な が ら ヒ ト ラ ー総 統 に た い す る 〃 奉 仕 " を つ づ け た 。



え て くれた。そ し て 、彼 は 名 誉 あ る 戦 い を 願 い つ づ け な 。た し か に 、 一般市民の感情からいえば、



彼 の 戦 い は あ ま り に 個 人 的 で あ っ た か も し れ な い が 、彼 の 部 下 と し て 、 私 に は 彼 の 意 思 を 生 か す



ヒトラー総統は、 四月二十日の誕生日には必ず側近を集めてパーティを開くのが慣^ であった。



義 務 が あ る 、 と思った」



一 九 四 五 年 、 五 十 六 歳 の 誕 生 日 は 、 す で に 砲 爆 撃 下 の ベ ル リ ン .総 統 官 邸 の 地 下 防 空 壕 で 祝 わ れ



日後、 四月二十二日にも、同 じ 提 案をした」 11



た 。 カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、 黄 色 が か っ た 灰 色 と い う 異 様 な 皮 膚 の 色 を 示 す 、疲 れ き っ た ヒ ト ラ ー 総統を眺めて、おめでとうの言葉をのみこんだ。 「代 わ り に 私 は 休 戦 交 渉 を す べ き だ 、 と 提 案 し 、



ト ラ



I



総統に献言した。



カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、 ベ ル リ ン で 市 街 戦 が は じ ま る 前 に 連 合 国 と 降 伏 交 渉 を す る か 、 ベルヒテ スガーデンに脱出してそこから休戦交渉をしてほしい、 とヒ



ヒ ト ラ —総 統 は 、 ベ ル リ ン を は な れ な い 、 他 の 者 は ベ ル リ ン を 脱 出 し て も ょ い が 、 自 分 は ベ ル リンにいる、たとえ最期を迎えてもベルリンにとどまる、 と述べた。



「こ れ ま で 七 年 間 、 私 は 一 度 も あ な た の 命 4 に 従 わ な か っ た こ と は な い 。 し か し 、 こ の 命 令 だ け は 実 行 で き な い 。 問 題 は 、 ベ ル リ ン が ど う な る か で は な く 、 ド イ ツ 国 防 軍 の 指 揮 の 問 題 で す 。最 "13



カイテル參謀総長は、そ う い っ て ヒ ト ラ ー 総 統 に ベ ル リ ン 脱 出 を 求 め た が 、 ヒトラー総統は承



一尚指揮官として、 あ な た は 、 ド イ ツ 国 防 軍 を 見 捨 て る こ と は で き な い は ず で す 」 知しなかった。 「自 分 が ベ ル リ ン に い る こ と が 、 将 兵 の 士 気 を 維 持 で き る 唯 一 の 方 法 だ 。 い ま や 、 ベ ル リ ン を 守 り ぬ く に は 、 信 ^^が 必 要 だ 。 そ の 信 ^^は 、 自 分 が ベ ル リ ン に い る こ と で 、 将 兵 の 胸 に 生 ま れ て く



カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、 べ ル リ ン 北 東 約 八 十 キ 0の ラ イ ン ス べ ル ク に 司 令 部 を 移 し た が 、 連 絡 で







力ールスホルストのドイツ軍



一 日深 夜 、 「 総 統 、昨 日 午 後 三 時 三 十 分 、死 亡 す … …」 と い う 電 報 を 受 け と っ た



八 日 、 ドイツは降伏し、 カイテル参謀総長はベルリンの東、



1



て 忠 誠 を つ く し た 。 そ れ が 軍 人 の 義 務 で あ り 、 自 分 は 「軍 人 と し て の 義 務 を は た し た の だ か ら 、



日 、ド イ ツ 四 か 国 管 理 委 員 会 に た い し て 、 銃 殺 刑 の 請 願 を し た 。 軍 人 と し て 国 家 と 総 統 に た い し



カ イ テ ル 参 謀 総 長 は 、 『一ーユールンベルク裁判』 で 死 刑 の 判 決 を う け た が 、 一 九 四 六 年 .十 月 五



ユ ー コ フ 元帥であった。



事技 術 学 校 長 室 で ド イ ツ 軍 を 代 表 し て 降 伏 文 書 に 調 印 し た 。 連 合 軍 代 表 は ソ 連 の ゲ オ ル ギ !



五月



あとは、 カイテル参謀総長は静かに降伏の時を待った。



しかし、五 月



ては、 なおも脱出を勧告しつづけた。



き る 部 隊 に た い し て "最 後 ま で の 抗 戦 " を 指 示 す る と と も に 、 ベ ル リ ン の ヒ ト ラ ー 総 統 に た い し



」る



186



軍人らしい死を与えてほしい」 といぅのである。



だ が 、請 願 は 却 下 さ れ 、 カ ィ テ ル 参 謀 総 長 は 他 の 被 告 と と も に 、 十 月 十 六 日 、 ク市体育館で絞首された。



豳 文音文陣'











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( 下)



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1 9 7 5 年 8 月 2 5 日 第 1刷



著 者 児 島 襄 発 行 者 樫 原 雅 春 発行所株式会社文藝春秋 東京都千代田区紀尾井町3 丁已し 0 3 ,2 6 5 ,1211



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文春文庫目録







































































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大江健三郎青年の汚名 海音寺潮五郎武将列伝宾冊



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新田次郎武田信玄全 冊



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